短編集

50000打記念

!黒柴サブロウ視点のsight本編終了後
!零さん、リクエストありがとうございました

 黒柴サブロウの散歩コースはだいたい決まっていた。飼い主である芳樹の家から出て三十分。兄貴分であるイチロウの足元にまとわりつきながら、飼い主のそばから離れないように細い四肢を懸命に動かす。それまで一定の速度を保っていた彼女がふと立ち止まった。

「イチロウ、走るよ」

 それを見て悟った飼い主の言葉を尻目に、サブロウは成長したばかりの四肢で走り出した。成犬ほどではないものの、それなりに大人の体格に近くなった彼女は、黒い弾丸のような速度で目標の人物に近づく。

 こっち見て。そんな意味をこめて、大きく吠えた。彼の視線がこちらを素通りして中空を彷徨う。眼が見えないのだから仕方ない。ひとまず期待通りにこちらに視線を持ってきてくれた彼の足元へたどり着く。急ブレーキで止まったおかげか、ぼふっと短い毛に覆われた身体を彼に押し付ける形になってしまった。

「サブロウ、ここにいたんだね」

 しかし、そんなことを気にしていないような彼は、嬉しそうに声を弾ませてしゃがんでくれた。暖かな指先が、サブロウの背中や顔を撫でていく。もっともっと。彼の手に身体をおしつけて、鼻から声を出す。甘えた調子のそれを、彼は正しく理解してくれた。

「相変わらず、サブロウは光が大好きなんだな」

 聞き覚えのある声に、彼女の耳が動く。ふんふんと匂いを見れば、彼が大好きだと言っていた人物だということがわかった。

 道理で、彼があまり驚かずに撫でてくれたわけだ。隣の人物が声をかけてくれていたんだろう。こういうときはいいんだけどなぁ。大きな彼と一緒にいると、彼はあまり彼女を見てくれない。少しだけ不満だった。

「寿々さん、古賀さん!」
「あ、芳樹くん」
「おう。サブロウは、ここだぞ」

 ようやく追いついたらしい飼い主と兄貴分。普段は優しい目をしている彼も、このときばかりは手厳しい。黄金の毛並をゆらして、サブロウの背中を甘噛みした。少しだけ痛みを感じ、彼女は身体を強張らせる。それが伝わったようで、光は殊更優しく撫でてくれた。

 サブロウ、と咎めるように名を呼ばれたが、光の手に身体を押し付け絶対に移動しないと言わんばかりに四肢を踏ん張った。

「どうもダメだな…」

 その呟きに二人の視線が突き刺さる。疑問に満ちたそれらに彼は、苦笑した。そして、細身の少年は、サブロウを見据える。

「サブロウ、お前は古賀さんとこに行きたいんだな?」

 その言葉に間髪いれず大きな声で返事をする彼女。それを伝えたいがために、何度も飼い主である芳樹の元を離れて、光の元へ走ったのだ。

 期待をこめて、光の眼を見る。くーん、と甘えた声で彼へすり寄るのも忘れない。一緒にいたい彼へのアピールなのだ。あざとかろうが、わざとらしかろうが関係ない。

「…無理に、とは言いません。ですが、どうですか、古賀さん。それなりに賢いし、上手く躾ければ盲導犬紛いのこともできるでしょう」

 お願い、一緒にいさせて。味方となってくれた芳樹の声に被せるように声を張り上げた。飼ってくれなきゃ帰らないぞ。そんな意志を示そうと光の腕の奥へ鼻を突っ込む。衣服の隙間を狙ってもぞもぞ動く彼女を抑えたのは、兄貴分のイチロウだった。首をくわえられ、宙にぶらんと手足が投げ出される。きゅーん、情けない声が光の耳朶を打った。

「…でも、ここの寮室ってペット可でしたっけ?」

 ひとまず、飼いたいという意志は持ってくれたらしい。声を頼りにこちらを見ているだろう光が、サブロウに優しく微笑んだ。

「トラは、蛇とか飼ってるけど、許可って貰ってたのかは知らないしなぁ」
「他の生徒に迷惑をかけない。それさえ守れば、ペットもよかったと思うが」

 迷惑といえば、無駄吠えやあちこちで粗相をするなどといったものになる。厳しく躾けられたサブロウは、その点は安心だ。飼い主であり今まで躾けてきた芳樹の保証が入る。

「ただ、古賀さんは、盲目なので周囲の信用を獲得しづらいかと」

 責任をとる、ということは、万が一の事態も予期してのものだ。盲目では、その万が一のときに対処しきれない。
 三人の話は続く。光の眼は今更変えようがなく、蛇の世話に明け暮れる虎島を頼みの綱とするのもいささか辛いものがあった。

 どうしよう。兄貴分に訴えるように視線を彼の黒目に合わせた。彼は、ぽふぅと鼻から溜息をもらし、彼女をくわえたまま、光の手へ押しつける。大好きな光の手の中に転がった彼女を見て、彼は一声吠えた。それを聞いた芳樹が、その手があったかと頷く。

「寿々さんは、一人部屋になるんですよね」
「…そうか。確かにそれなら解決するな」

 む、大きい彼がどうしたのだろうか。にんまりと笑った彼を、光の懐から眺める。優しく撫でる光は、大河のそれに気づいていないらしい。

「光。サブロウは俺の部屋で飼わないか」
「え、でも…」
「役員用の部屋は、広さも十分。幸い、犬好きも多いし、俺だったら万が一のときにも対応できる」

 迷っている様子の光に口説きにかかる大河。サブロウは、光の懐から顔を出して大きな彼を見た。おそらく、大河は光とともにいる時間を増やしたいという目的もあるのだろう。サブロウも大好きな人と一緒にいられる時間が増えるのはとても嬉しい事だ。彼の気持はよく分かる。ただ、何が弊害なのか、光は渋い表情をしていた。彼女は、彼の懐で首を傾げる。

「その、世話を少し任せることになるんですよ…?」

 少し揺れた声。それを感じ取ったのは、サブロウだけではなく、目の前の大きな彼もだった。

「犬は好きだから、いい息抜きだよ」
「……」
「じゃあ、光ができるだけ俺の部屋に来てサブロウの世話をする。これなら、俺への負担は減るし、むしろ、癒しが増えて嬉しいんだがな」

 仕事で疲れているだろう、と遠慮してなのか、光はあまり大河の部屋へ行こうとはしない。もちろん、親衛隊や他の生徒の眼があることも理由のひとつだろう。彼らの説得の最中は、あまり刺激しない方がいい。しかし、サブロウがいることで、多少は体面がもつのではないだろうか。

「大河さんは、優しいなぁ」

 ぽつりと零れた言葉は、サブロウの小さな耳だけが拾った。光の罪悪感を刺激しないように誘導してくれたことを言っているのだろう。サブロウは、俯いた彼の緩んだ頬を眺めながら、尻尾をゆるり振った。

「それじゃ、よろしくお願いしますね」

 顔をあげた彼がどんな表情をしていたのか。光の懐にいた彼女には、知りようがなかった。


 大きい彼と大好きな彼の背中を追いかけるように、彼らの周囲を走る。リードから解放され、自由に駆け回るサブロウは、草原を飛ぶ蝶を追いかけた。狙いを定めて跳びあがる様は、狩りをしているようにも見える。何度も跳びあがり段々近くなってきた。しかし、狙われたことに気付いた蝶が慌てたように彼女の手には届かない場所へ飛んで行ってしまう。
 つまんないの。ぴすぴすと鼻を鳴らして、踵を返す。一人遊びが済んだなら、今度は彼らに相手してもらえばいいのだ。息を弾ませながら二人の元へ走る。

 ふと、彼らの声が聞こえた。大きな彼が大好きな彼を抱きしめて笑いあっている。何度も唇を合わせたり手を握ったりと随分楽しそうだ。
 しかし、彼女は、足を止めた。今は、二人きりがいいのだ。そう解釈して、再び蝶の群れへ突入することにした。

 意外と独占欲が強かった大河に痺れを切らした彼女が邪魔しにいくまで、あと十分。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -