短編集

50000打記念

!光が幼児化する話
!ムーさん、リクエストありがとうございました



 いつも通りの朝だった。休日ともなれば、外出許可を貰った生徒たちがこぞって街へ降りる。それは、大河と光も同じだった。
 彼らは、面白いと評判の科学館へ行こうと計画していた。もちろん、そこへ行くためのバスは満席の状態が長く続く。光が盲目であることを考えた結果、前もって朝の早い時間に利用しようと相談して決めていた。

 電子音が鳴り、来客を知らせる。しかし、それが鳴り終わっても部屋の中から物音が聞こえない。普段ならば、真面目な光は大河が訪問する前に準備を終え、彼を待たせないようにと扉をすぐ開けていた。しかし、今日に限って、慌てるスリッパの音も聞こえない。

 妙だな。一般生徒の扉の前で一人呟く。早朝のせいか、廊下には人の気配がまったくなかった。

 まだ寝ているのかもしれない。手元の端末を操作して、彼の番号を呼び出す。コール音が静寂に大きく響いた。数回目のコールで、音が変わり、つながったことに胸を撫で下ろしながら声をかける。

「おはよう、光。寿々大河だ」

 起きていたか。そう続けられるはずだった言葉。しかし、それは、聞こえてきた妙な声で遮られてしまった。

『もしもし、おはよーございます?』

 明らかに高校生ではありえないボーイソプラノ。舌足らずな口調で、こてんと首を傾げる少年。思わず浮んでしまったあり得ない情景に、大河は慌てて扉を開けた。


 下から見上げてくる大きな目が、大河の髪の毛を捉える。片時も離されない視線が、どうにも慣れない。斜め下を見やる。そうすれば、目があったことに気付いたらしい少年が、満面の笑みを浮かべた。つられて大河も頬が緩む。愛しさに自然と少年の頭を撫でてしまった。

『…なんだか親子みたいだね』

 パソコンの両側についたスピーカーから、聞き取りやすい発音の声が聞こえてきた。そこでようやく梓とテレビ電話をしていたことを思いだし、顔がひきつった。

 さきほど、いつのまに番号を知っていたのか、唐突にかかってきた電話で、スカイプをつなげろと告げられた。鬼気迫るドスの効いた声に慌ててパソコンを立ち上げれば、テレビ電話としてつなげられた。画面の向こうの彼は、小さな子供を見て「やっぱりかくそ野郎」などとスラングをたくさん叫んで一旦退席。数分で返ってきた梓から語られたのは、光のこの状態についてだった。

 昨日、光は梓の家に行っていたという。彼の家は、妙な物が多いらしく、その一部が今回の出来事を引き起こした原因だった。

『一応、一日で治るって保障は貰ってるから』

 ごめん、とげっそり疲れた表情で謝られた。以前から不思議なところがあると思っていた相手だが、それは彼の家に原因がありそうだ。多くは語られなかったが、確信できる。

「とりあえず、状態としては、記憶も身体も幼年時のものってことでいいんだな?」
『うん。その解釈で間違いないよ』

 おとなしい顔立ちのくせに、好奇心旺盛らしく、今度は大河の腕から出ようとする子供。パソコンの画面に映る茶髪の男が珍しいのか、パソコン自体が不思議なのか。液晶へ細く小さな指がのびる。それに、へにゃんと笑う梓。意外と子供好きらしい。

『でも、まぁ、かわいいね』
「そうですね」

 思わず、頬が緩む。ふと、寝癖なのか毛先が跳ねた黒髪がぴょこぴょこ動く様が視界の隅を掠めた。画面の向こうでは、梓がさまざまな芸を見せている。それを見てきゃっきゃと嬉しそうに顔を綻ばせる様は、単純にかわいらしい。平凡だろうがなんだろうが、光はかわいい。小さいともなれば、尚更だ。

『古賀さん…光のおばあちゃんに見せて貰った写真そのままだよ』
「写真…」

 光と梓が、家のつながりで知り合ったというのは、光から聞いて知っていた。しかし、こうやって差を見せつけられると少々面白くないというのは当然のこと。くす、と向こうの彼が苦笑する。今、大河は拗ねたような表情をしているのだろう。子供っぽい仕草という自覚は持っていたため、更に顔が歪んだ。

 ふと、画面を見ていた大河の頬を小さな紅葉がぺちんと叩いた。意外といい音がして、抱えていた温もりを見やる。

「にーちゃん、だいじょうぶ?」

 どっかいたいの、と聞いてくる少年。今の光にはない茶色い虹彩が、ライトを反射して彼の顔を映し出す。幼児になって大河の記憶がない状態ではあるものの、光は光であり彼の恋人だ。その彼の眼に、自身が映っている。しっかりと見てくれている。それは、思っていた以上に。

「大丈夫だ」

 こみ上げてきたもののせいで声が少しだけ震えた。


 幸いにも、今日は祝日。大河は、生徒の影がほとんど見られない中庭に来ていた。というのも、子供用の遊び道具なんて一切ない部屋の中で一日を過ごすのは難しいだろうと考えたためだ。もちろん、子供服もないため、梓に持ってきてもらっていた。

 猫耳付のパーカーを来た小さな背中が黒柴を追いかける。彼女も、光の状態をしっかり理解できているのか、子供相手に手加減しながら走っては止まるを繰り返していた。

 携帯のムービー機能とカメラ機能を交互に使いながら、その様子を見守る。元気のいい姿は、今の大人しい彼からはあまり想像できなかったものだ。見えていたころは、こんな風に走り回っていたのだろうか。本好きとは聞いているが、今とは違っていたはずだ。

 きらきらと輝くような笑顔。子供らしい、純粋な微笑。かわいいな、と相好を崩す大河。誰かが彼を見ていたら、驚いて二度見するかもしれない。

「にーちゃん!」

 サブロウを引き連れ、小さな彼が懸命に駆けてくる。手足を必死に動かして走る様に、暖かなものが胸中に広がった。

「みてみて、これ」

 彼の目線に合わせるように腰をかがめれば、走って息を弾ませる少年の握られた掌が差し出される。あげるね、という声に彼の手の下に手を伸ばした。

「アマガエル…」
「みどりがきれーなの」

 にぱーと広がる満面の笑み。それにつられて笑み崩れる大河。カメラを取り出したい衝動を抑えつつ、お礼の言葉を伝えた。そうすれば、平凡と称された少年は、頬を赤らめて微笑んだ。
 思わず、いつもより小さな彼の頭をぐりぐりと撫でまわす。ヒカリを詰め込んだような子供らしい甲高い声が、中庭に響いた。


 このあと一週間ほど、風紀委員長がちびっこと戯れていたという噂が学園内をしのびやかに賑わせていた。
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