短編集

10000打記念

 梅雨明けがきたと思ったら、すぐさま気温が上がり体調に気をつけなくてはならないほどの暑さとなった。最近は、猛暑日と呼ばれる日ばかり続いている。本格的な夏に備えてモールの商品が一変し、遊戯施設もかき氷やホラーゲームなどを開催するようになった。
 夏休み前の学校も、教室のほとんどでエアコンが稼働している。それは、風紀委員が働くそこでも変わりなかった。

「ただいまー」
「あー、あっちぃ」

 見回りを担当していた二人が帰ってくるとともにそれぞれソファに身を投げ出した。ひんやりとした皮のそこは、気持ちいいらしく、低い声が弾んでいる。

「おい、いつまで寝転がってんだ。さっさと飲んで報告書書けよ」

 五分経っても取調室に人が来ないことをいいことにごろごろし始めた二人に、大河の喝が飛ぶ。すぐさま咎めなかったのは、彼らが暑い最中、しっかり業務をこなしたためだろう。
 初めて見た光が大河に聞いてみれば、夏の恒例行事らしく、一番乗りで帰ってきた委員がそこで涼しむのは、暗黙の了解となっているらしい。
 教室や職員室などには空調があるものの、一歩廊下へ出れば、じりじりとした暑さが身を焼き、身体の奥から汗が出始め、精神的にも身体的にもきつい。彼らがこうなるのも当然だろう。

「そうだ、「暑い」で思いだしたんですけど」

 五百ミリリットルのスポーツ飲料を飲みきった委員が、ふと大河に声をかける。

「今日、肝試しやるって聞きましたけど、許可したんですか」

 ひとつのクラスが企画として学園内のどこかを使って行うらしい。九時を過ぎた時間帯に学園に入り、軽く一周して帰るだけの簡単なものだが、三十人前後いる彼らは、準備や片付けも含め三時間ほどかかるかもしれないとのこと。

「どこのクラスだ?」

 眉間に皺が寄った大河の顔が、彼らが許可どころか話もしていないことを示す。風紀室にいた全員が、関わらないように目の前の仕事に精を出し始めた。

「すみません。たぶんそれ、俺のクラスです…」

 問われた彼が答える前に、話を聞いていた光がそろそろと声をかける。大河の眉間から皺が消え、サングラスをした小さな光を見て、驚きの声を出した。

「陽一が言ってたんです。今夜やるから俺も一緒に来ないかって」

 許可が必要だと思わなかった光は、楽しそうな彼らに行くという返事をしてしまっている。そこまで伝えて、大河に怒られるだろうかと浮ぶ。恐る恐る、猫のような彼の様子を伺う。

「…とりあえず、今夜は中止にしてもらうよう言って来る」

 悪いな、楽しみを奪って。大河は、予想に反し優しく光の頭を撫でた。どうやら怒っていないらしいと胸を撫で下ろし、彼の大きな掌に目を細める。

「まぁ、場所と企画の詳細を確認して問題なかったらやってもいいんだ」

 苦笑いを浮かべる大河に、怒ったりしないと言われたように思われ、光は頬を染めて俯いた。


 寮の談話室に集まっていた光のクラスメイトたちのところへ乗り込んだ大河は、彼らの企画の詳細を聞いていた。

「よりによって旧校舎を舞台にしようとはな…」

 彼らの企画は、二人一組になって旧校舎に入り、一階部分を探索しようというものだった。旧校舎は、一年前に閉鎖されたばかりだが、その当時も補修に補修を重ねなんとか使っていた。それほど古い校舎で、小さな明かりを頼りに歩けば、なるほどかなり不気味だろう。しかし、怪我という意味での危険が心配されるのも事実だった。

「やっぱりできませんか…」
「ああ、駄目だな」

 発案者らしき生徒に、現在の旧校舎の状況を伝える。床板の穴、飛び出た釘、さまざまなものが転がって埃を被っている。ひとつひとつ丁寧に説明すれば、彼は渋々納得してくれた。大河に咎められたせいか、やや肩を落としている。談話室に集まった生徒たちも同じなのだろう、沈んだ空気でこれからどうするか話し始めた。

 ふいに扉がノックされ、返事をするか否かの間に開け放たれた。ざわついていた室内が一気に静まり返り、視線が集中する。

「お、全員参加か」

 短い茶髪に、高校生にも見える童顔の教員、逆代梓だった。後ろから白杖を手にした光も顔をのぞかせる。

「ひかるん! さっちゃんと一緒に来たの?」
「うん。めんどくさがりな梓さんが逃げないようにって、す…委員長さまが」

 普通の会話だったのだが意外と響いたらしく、視線が大河へ移る。

「旧校舎の肝試しは許可できないが、怪談ぐらいならいいと思ってな。怖い話がうまいって噂の逆代先生に頼んで来てもらったんだ」

 噂が出始めたのは、数日前にさかのぼる。あまりにやる気のない生徒たちに呆れた梓が、涼しくしてやろうと怪談を語った。その場所にまつわる簡単な話だったそうだが、あまりの怖さに、そこでの授業を拒否するほどだったという。

 初めて噂の内容を知った光は、隣に立つ彼を仰ぎ見た。にんまりと口だけで笑った梓は、生徒たちに呼ばれて彼らの元へ行く。車座になった生徒たちは、興味津々で梓の顔を見た。
 光も池田に促されて彼らの列に座り込む。そして当然のように大河がそばに来た。

「遅いから、ついでに聞いてけって逆代先生がな」

 視線を向けた光の表情で察したらしい大河の答えに納得する。大河の位置から一番近い場所がここだという事実が脳裏を過るが、それでも頬が緩むのは止められなかった。

「それじゃあ、始めるよ」

 薄明りの中、梓の声がぼとりと落とされる。光は、聞き取りやすいはずなのに粘つくように感じた。

 大河は、淡々と語る梓の話を聞くともなしに聞いていた。彼の通る声と語り方が聴き手を話に引き込んでいく。怪談話を語るのは意外と技術が必要なのだが、普段と変わらない笑顔で話す彼は難なくやってのけていた。正直、話を真剣に聞いている側からすれば、その笑顔も怖いだろう。
 くんっと袖を引っ張られた。隣の、少し下にある光の顔を見る。薄暗がりの中でもわかるほど真っ青になっていた彼は、無意識なのかこちらを見ることなく、ただ袖にかけた指を外さなかった。

 ほんの少しの優越感。大河は、隣に座る判断をした少し前の自身を褒めたくなった。

 話が佳境に入ると、エアコンの設定温度はあまり低くないにも関わらず、腕をさする生徒が増える。見える限りでは、ほぼ全員の生徒が真剣な表情で顔をこわばらせながら聞いていた。隣の光を見れば、青を通り越して白い顔をしている。あまり涙が出ないはずの義眼にも、うっすら水の膜が張っているようだ。
 袖を引っ張る力が強くなったように思い、ちょうどいい位置にある光の頭を撫でる。ぽふぽふ、と軽く叩いてゆっくり撫で回した。気付いた光が、こちらを見る。暗がりでも口が綻ぶのがわかった。

 梓が語る話が終わり、一クラス分の生徒たちはそれぞれ身を寄せ合いながら帰っていく。口々に怖かったなどと感想を言いあい、中には半泣きになった生徒もいた。

「あれ、委員長くん、一人なの」

 荷物をまとめ、ようよう帰ろうかと云うとき、後ろから声をかけられる。その内容に顔をしかめつつ振り返れば、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた逆代梓。

「どうやら、古賀にはフラれたみたいだね」
「…ッ」

 不本意ながらも状況ぴったりの言葉をかけられ、ぐっと声が詰まる。光は、終わった途端に今の状況がどんなものか気付いたようで、早口で大河に礼を言ったかと思えば、友人とともに帰ってしまったのだ。ふと、梓が知っていることが、彼の怪談の間の様子を見られていることにつながることに気付いて振りかえる。

「大丈夫大丈夫。君ら一番後ろでしょ」

 からからと笑いながら、周りの子も気付いてなかったと付け足され、胸を撫で下ろした。それなりの人の前でああしたことをすれば、気付かれる可能性がある。

「ま、人目がないときにしなよ」

 光に対してやたら甘くなってしまう自覚があった大河は、絞り出すようにして善処を約束した。
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