短編集
5000打記念
図書館の最奥にあたる哲学書が並ぶ棚。その背が高い棚に囲まれて隠れるようにしてテーブルがある。幾人かが座れる程度の大きさのそこには、三人の生徒がいた。「どや、おもしろない?」
「…すごいね」
「意外とさらさらしてる」
黄色みの強い金髪をカチューシャでとめ、いくつかのアクセサリーをつけた生徒が、顔が崩れるように笑う。
「ええやろー。この後、体長計ったらめっちゃ大きなってるん」
そのまま彼は語り始め、恍惚とした声音がつらつらと息も止めずに並べられていく。光は、改めてこの友人の感性は不思議だと考えた。志藤は、光の手にあるそれを覗きこみながら指先でつついている。
「ひかるん、しーちゃん、やほー」
かすかな物音が響き、棚の向こうから少しだけ独特のノイズが混じる声がかけられる。オレンジの頭が覗き、耳につけられたピアスが小さく涼やかな音を立てた。
「て、あれ。今日、トラの番だった?」
予想外の人物を目にして声をあげる池田。光とともに座っていたトラ、もとい虎島は、やってきた友人に軽く挨拶をする。熱中していた志藤も、一度池田を見て挨拶を交わした。
「いや、今日は陽一の番だったよ。ただ、トラが見せに来てくれただけ」
「へぇ、なになに? 俺もみたー、い…」
光の手の中にあるものを見る。ぴしり、と。その瞬間、石像のように固まった。
うっすらと白さがある、紙のように薄いもの。ぽつぽつと小さな楕円が集まり、模様と成している。一瞬、縄かと思うほどの長さがとぐろをまいていた。なんとなく思いついてしまった予想に、冷や汗が噴き出す。
「ひ、ひかるん、は…これがなにかわかってる?」
サングラスをかけた光の義眼が、一度瞬きをして、手の中のそれを見る。そっと触れながら答えを口にした。
「蛇の皮、じゃなかったの?」
予想していた通りの答えが返ってきて、ひくり、顔が引きつった。
光は、池田が力のない声で返事をして一歩ひいた椅子へ座ったことに、彼の爬虫類嫌いを思いだす。池田は、小さな蜥蜴でも、見かければ相手が去るまで動くことができない。それほど苦手としていたのだが、脱皮したものを見ることも難しいとは思わなかった。
「なんなんー、陽一、これはさすがにいけるんちゃうんか」
「無理。さすがに一部だけだったらなんとかなるけど、それ明らかに全部じゃん!」
全長一メートルに満たない蛇、虎島いわくまだ子供の完全脱皮の抜け殻。頭の部分は、さすがに潰れてしまって原型を留めていないが、胴体から尻尾までつながったまま残っていた。
「全部でも、子供やん。たかが知れてるて」
「ちっちゃくても、あのにょろにょろ動いてちろちろ舌を出したりひっこめたりするのがダメ!」
全力で拒否する池田に対し、虎島は口をとがらせてそこがかわいいのにと主張する。池田と真逆で、虎島は大の爬虫類好きだった。その中でも蛇がお気に入りらしく、よく話題にのぼる。
そして、虎島は、なんのスイッチが入ったのか、そのまま蛇の魅力について語り始めた。すぐに青ざめた池田が虎島の口をふさごうととびかかる。
「う、わ…なにすんだよッ」
「蛇語りやめてー!」
二人とも運動神経は悪くないどころか抜群といわれる類だ。察して逃げ出した虎島を、目じりに涙をにじませた池田が追いかけ始める。健全な男子生徒がどたばた走り回りながら喚けば、どうなるかはよくわかるだろう。古い本棚から嫌な軋みの音が聞こえ始める。
「トラ、陽一…ここ、図書館…!」
それに気づいた光は、慌てて立ち上がろうとして、温かい掌に押し返された。そのあとすぐに鈍い音が二発分響き、友人二人のうめき声。
「あ、ありがと、志藤…」
「うん。今度は、平らな方で殴ったぞ」
志藤が手にしているのは、大量の紙が挟まったバインダー。彼が気に入って勉強に利用しているものだ。最近は、うるさすぎるときの池田に使用されることが多い。綺麗に笑った志藤に苦笑を返して、光は、三人を席に着くよう促した。
「ごめんよ。ひかるん、しーちゃん」
「光も智治もとめてくれてありがとな。すまんかったわ」
軽く暴走していた自覚があったらしい二人は、それぞれ謝罪を口にする。また、互いに自身の非を詫びた。この話題さえなければ、基本的に仲のいい二人なのだ。
「それにしても、陽一がここまでとは思わなかったよ」
「う、だって連想しちゃうんだもん」
「まぁ気持はわかるぞ。うちかて、うちの子らんかわええ動き思いだすかんなぁ」
「なんだか触り心地がよかった」
光よりも興味を持っていた志藤は、どうやら蛇の抜け殻を気に入ったらしい。池田の情けない顔に笑いながら、今度光と志藤の二人で虎島の部屋にお邪魔させてもらう約束をした。
図書館の最奥の一間。今日も、それなりににぎやかな声がこだまする。