逃走劇

006


 昼休みのチャイムが鳴り、午後の授業となった。だが、鬼さんは、ぶつぶつと呟いたまま反応しない。何がショックだったのか知らないけれど、そろそろめんどくさくなってきたので、叩き起こすことにした。というか、俺は、鬼さんと話がしたくてここにいたようなもんだしね。

「…ッ」
「おお、さすが鬼さん」

 ぱちぱちと拍手の音が間抜けに響く。彼が起きられるようにと振り上げた拳は見事な足さばきで避けられてしまった。それを見て、鬼さんの眉間に刻まれた皺がほぐれていく。深いため息。そして、苦笑した。ふっきれたらしい表情で、彼は俺に向き直った。

「あの日、お前は俺から逃げて、クレムの包囲網を軽々と突破したよな」

 クレムと言えば、鬼さんのチーム名だったように記憶している。母のブラックリストに入ってたはず。近づいたら地獄の特訓されるんだよ、困るよなー、ほんとに。バレなきゃいいけど。

 あそこは、人数はものすごく多い。ほとんどが烏合の衆だけど、数の力がある。その上、絶対数が多い分、幹部クラスになるととんでもない。このあたりのチームのトップとほとんど同レベルの統率力やらカリスマ性やらを持つ。まともなスポーツやればいいのに。

「雑魚ばっかじゃないですかー」
「リョウやスクネもいた。うちの俊足」
「わお」

 特攻隊長みたいなものだろうか。そういえば、逃げるときにカラフルな中に真黒な頭二つを見かけた気がする。そして、やたら長い事追ってきたやつらがいて面倒だなって思った気もする。

「で。それがどうして争奪戦に発展するんですか、意味わかんない」
「クレムの総長でもかなり手間取る相手ってなると、他のチームにとっては喉から手が出るほど欲しいんだよ」

 地域一番のチームであり、他の追随を許さないクレム。それを潰して成り代わりたいと思っているチームはごまんといるようだ。男なら一番を目指せという根性らしい。そして、効果的に潰すためには、頭を倒すための切り札が必要。それが俺、と認識された。

「あんなことでそう思っちゃうなんて…レベル低いんですね」
「違ぇ。前例がなかったんだよ。他のチーム連中だって無傷で逃げられてねぇんだ」

 お前が特殊なんだと睨んで語気を強めた。鬼さんは、今まで獲物を逃がしたことがなかったようだ。どんだけ強いの。というか、相手も好戦的だっただけじゃないの。

「まぁ、なんにしろ、だ。他のチームでほしいってやつが出て来たんだよ」

 いくつかのチームが単独で勧誘するとしたら、気の短い連中のことだ。襲われる可能性が高い。一般人からすれば、とっても迷惑な勧誘だ。現に俺は周囲の友人から疎遠になるという被害を受けまくっている。

「だから、最初は俺のとこに所属させとこうと思ったんだがな…」

 恨みがましい視線。あのしつこい勧誘もとい鬼ごっこは、それが理由だったのか。珍しいとは思ったんだよ。一般人をチームに誘うなんて。俺、これでも喧嘩はほとんどしてないからね。売られたら買うけど、それもこっちに引っ越してからはしてない。そんな相手を誘うのは、そうそうないはずだ。特に、鬼さんは理性的な対応をするタイプ。

「…失敗したから、今度は俺争奪戦に応じなきゃいけないわけですね?」

 鬼さんは、俺の言葉にゆっくり頷いた。おそらく、その争奪戦も、彼が提案したものだろう。所属させるだけの提案すらも退けた俺の気持を考えた上で、面倒な事にならないように、と。鬼さんは、噂よりもずっと面倒見がいい性格をしているようだ。俺、赤の他人なのに。

 多くの人間が彼を慕う理由がよく分かった。そんな気がした。
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