「…俺は至って普通だが。」


今日の私は、普段の飾り気の無い私とはひと味もふた味も違う。普段は日焼け止めとファンデーションを薄らと塗る程度で終わらせている化粧も、きつい印象になり過ぎない様にブラウンのアイラインを引いて、睫毛もばさばささせているし、唇もリッププランパーを使ってぷっくり見せている。仕上げにタイトめなスーツを着込んで完成だ。最後に唐沢さんに全身をチェックして貰って、問題なしとの評価を頂いたのでそのまま唐沢さんが運転する車に乗り込む。

一応言っておこう、これから行くのはデート等という甘酸っぱいものでは無い。唐沢さんの、所謂接待に同行するだけ。普段、社用車を私用で使う事を黙認してくれている御礼みたいなものだ。利用させて貰っている分、利用して貰っている。便利なものは使う。あくまでもビジネス的な関係だ。そして何より、そう言う場に私を呼ぶ時は大体お酒もご飯も美味しい場所を用意してくれている。お酌をしたりお話し相手になったりしなくちゃいけないのは気を遣うから大変だけど、経費で美味しいご飯を食べられるのは正直有難い。スカートが皺にならない様に気を付けて助手席へと腰を下ろしてから、シートベルトをきっちりと付ける。あ、少しだけ背凭れを倒させてもらおう。


「助かるよ。先方の好みがまさに苗字君って感じだったからね。」
「いえいえ、お易い御用です。…あ、なるべく黙っていた方が良いですか?」
「いいや、普段通りで構わないよ。」


ということは、最低限のマナーだけ守っていれば大丈夫そうかな。うん、問題無くこなせそうだ。気合を入れて身支度を整えたせいで既に少し疲れちゃったし、着くまで少し寝てようかな。と、目を閉じたところで振動と共に車のエンジンの音がする。今回のご飯は何かなあ。なんて呑気に考えながら車が動き出すのを待っていたら、こんこんと窓を叩く軽めの音。何だろう、誰だろう。閉じたばかりの瞼を持ち上げて運転席の方の窓を見ると、蒼也君が居た。一度肩をすくめてから窓を開けた唐沢さん越しに蒼也君を見ながら、私は小首を傾げていた。え、なになに、ついでに何か買ってきて欲しい物でもあるのかな。


「おや、風間君。何か用かな?」
「いえ、たまたまお二人の姿が目に入ったので、何方に行かれるのかと思いまして。」
「嗚呼、これからスポンサー相手の接待にね。」
「そこに名前が同伴する必要が?」
「苗字君は結構ウケが良くてね。物腰が柔らかいし、容姿も悪くない。横に添えておくだけで機嫌が良くなる人も居るくらいだ。」
「名前。」
「うん?」
「お前はボーダー隊員だ、そんな事をする必要は無いだろう。」
「そうなんだけど、でもスポンサーって大切なんでしょ?」
「隊員としての活動も大切だ。」
「ううん゛、」


蒼也君の言うことももっともなんだけど、一度は同伴すると言ってしまった手前それもそうだね、やっぱりやーめた。という訳にはいかない。さてどうしたものか。唐沢さんを見ると、やれやれと言った様子で緩やかに首を振ってから助手席側のシートベルトのロックを外した。するする、と私のシートベルトがホルダーに吸い込まれて行く。それを見た蒼也君が助手席側へと回り込んでドアを開けてくれた。なるほど、今日の晩ご飯は食堂のご飯になりそうだ。差し出してくれた蒼也君の手を取って、車から降りる。


「今回の苗字君はサプライズゲストの予定だったからね、最初から居なかった事にすれば問題無いさ。」
「何だかすみません、唐沢さん。」
「いいや、気にしないでくれ。今度は過保護な騎士様が居ない時に声を掛ける事にするよ。」


冗談っぽく言った唐沢さんが、時間が迫っているから、そろそろ行くよ。と車を走らせたのを、頭を下げて送り出した。握ったままだった手を引かれ本部へ戻る途中、ふと此方を振り返った蒼也君が立ち止まると、手を離しておもむろに上着を脱ぎ出した。なに、なに?突然の事に目を丸めて瞬く事しか出来ない私の顔を覆うように、頭から脱ぎたてほやほやな上着を掛けられた。えぇ、別に寒くないのに。むしろ、今迄それを着てた蒼也君の方が寒いのでは?まあ、本部に入っちゃえば空調効いてるし問題無いんだろうけど。
流石に前が見えないのは危ないので、せめて肩に掛けさせて貰おうと上着をズラそうとしたら、その腕をやんわりと掴まれて阻止されてしまった。曰く、このまま歩けとの事らしい。嘘でしょ…。蒼也君の手と声を頼りに、辛うじて見える足元を注意深く見ながらよろよろと歩く。あ、これあれだ、ニュースで見た事あるよ。犯人が警察に連行されるシーン。つまり私が犯人側だ。

そしてその状態は、本部に入っても変わらなかった。正直、意味が分からない。蒼也君のお家の柔軟剤の匂いはこれなのかぁ…とか、私の思考も意味の分からない方へと向かってしまっている。ある種の現実逃避かもしれない。


「よぉ、風間……と、誰だァ?それ。」
「あ、洸太郎君の声だ。名前お姉さんだよ〜。」
「ああ゛!?何でそんな面白ぇ事になってんだよ。」
「やめろ、取ろうとするな。」


前方から聞こえた声に、ひらひらと繋いでいない方の手を軽く振る。すると、仰天した様子の洸太郎君の手が上着を触る感覚が。分かるよ。私も洸太郎君の立場だったら、その上着の中身が何なのか気になるもん。一体何でそんなことになってるの?って。いや、別にどうにもなってないんだけど。全然見られても困らないんだけどね、何故だか蒼也君に徹底的にガードされてるんだよね。その証拠に、ぺちん!という乾いた音と共に上着に触れていた洸太郎君の手が遠ざかる気配が。うーん、絶対叩いたよね。喧嘩は良くないと思うんだけどなあ。いやでも、喧嘩する程とも言うし、まあ、じゃれあいの範囲内なら良いのかな。男の子同士だしな。うーん。
止めるべきか、見守るべきか。いっそ自ら上着を取ってしまうべきか。視界の外で行われている攻防に頭を悩ませていると、ぎゅうっと上着ごと抱き締められた。あ、これ結構首痛いし息苦しいかも。もそもそ、と少しでも楽になろうと動いたけど、そうすると更にキツく抱き締められた。うぐぅ…。


「何つー顔してんだよ。」
「…俺は至って普通だが。」
「嘘つけ。」
「………。」
「…あ゛ー、分かった分かった。」


こつこつ、足音がする。どうやら洸太郎君が諦めてこの場を去ることにしたらしい。通りすがりに、「お前、何時の間にそんな厄介なモン飼い始めたんだよ。」何て溜め息混じりに言われた。厄介なモン、と言うのが蒼也君のことを指しているのは分かったが、蒼也君の何を厄介だと評したのかがイマイチ分からない。蒼也君とはボーダー入隊時からの仲だけど、別段厄介だと思った事は…まあ、対戦中以外は無いし。そもそも飼ってないし。頭の上でふん、と鼻を鳴らした蒼也君は洸太郎君が行ったことを確認してから離してくれた。

そして、当たり前の様に手を繋ぎ直してから私の歩幅に気を遣いながら私の部屋迄送り届けてくれたのだ。扉を開けて、私を部屋へと一歩進ませてから漸く上着を取ってくれた。久々の明かりに目の奥がちかちかと僅かに痛んだ気がした。ぱしぱし、と目が慣れるまで数度瞬きを繰り返していると、蒼也君が親指で目尻を撫でて来た。あ、ラメ付いちゃうのに。


「名前は、もう少し自覚をした方が良いな。」
「え、なん…ああ、ボーダー隊員として、みたいな事?」


先程、唐沢さんの接待に同行しようとしていたことを思い出して言ったのだが、蒼也君は片眉を上げただけだった。どうやら違うらしい。すりすり、と猫か何かをあやす時みたいに手の甲を頬に擦り付けてくる。だから、化粧付くって。蒼也君にはそういう概念無さそうだけど、気付いたら手が粉っぽいとか嫌じゃない?…うーん、蒼也君なら気にしないかも。顔の横でちょろちょろと揺れていた髪の毛を耳に掛けると、僅かに緩んだ真っ赤な瞳が私の事を射抜いてくる。


「自分が、魅力的な女性だと言うことを。だ。」
「魅力的?私が?」
「ああ。」
「…ふふ、あははっ、そう、有難う蒼也君。そう言われるのは悪い気がしないね。」


蒼也君の事だ、嘘やお世辞では無いのだろう。と言うことは、少なくとも蒼也君の目から見た私は魅力的だと言うことだ。褒められ慣れていない事もあって、少しこそばゆい感じがして思わず笑ってしまった。まあ、今日のお姉さんはメイクもばっちりしてて何割増って感じだしね。お化粧のお陰だとしても、蒼也君にそう思って貰えるのは大変気分が良い。身近な人に褒められるのって、やっぱり嬉しいものなんだなあ。よしよし、気分が良いからお姉さんとツーショットを撮る権利をあげちゃおう。端末のカメラを起動してから、おいでおいでと蒼也君を隣に並ばせる。自撮りでもちゃんと二人で画面内に収まるようにと頬をぴったりとくっ付けて、少しだけドヤ顔をする私といつも通りの無表情な蒼也君の写真が撮れた。ささっとメッセージアプリで蒼也君に写真を送り付ければ完了だ。うん、我ながら化粧映する顔だこと。満足した。着替えたり化粧を落としたりするから、と部屋迄送り届けてくれたお礼を言って今日のところは解散とした。




後日、その写真を待ち受け画像として使ってる蒼也君が目撃されたせいであらぬ噂がボーダー内部で蔓延したとかしないとか。



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