迅悠一は幸せを願う。

少しだけ、昔話をしようと思う。昔話と言ってもうんと昔と言うわけでは無く、今から三年と少し前──第一次大規模侵攻が起きた時の話だ。

近界民からの侵攻により、瓦礫の海と化した三門市。その時俺はSEで視た中で最善と思われる未来を目指して、仲間達と街中を駆け回ってた。そんな中、今にも倒壊しそうなひとつの家屋があった。そう、なまえさんの家だ。逃げ遅れたらしいなまえさんと母親が、家の中で息を殺してトリオン兵に見つからない様にと祈ってた。まあ、そんな事当時の俺は知らなかったんだけどね。

たまたま、本当にたまたま、トリオン兵がその家屋に突撃していくのが見えた。見えたのなら、追い掛けて撃破するしかない。それが俺の役目だから。ただ、今目の前に居るトリオン兵を片付けてからじゃないと動けなかったし、何より家屋の中で人が逃げ遅れているとは思わなかった。所詮、俺のSEは万能じゃないって事だ。まあ、つまりはだ。端的に言うと間に合わなかった。

家屋を破壊して家の中へと侵入したトリオン兵は、俺が到着するよりも早くになまえさんの母親を殺していた。べったりと、大袈裟な程に壁に広がる血痕が事の凄惨さを表しているようだった。でも、それに意識を持っていかれる訳にはいかない。目の前にはトリオン兵。今も尚、次の獲物──なまえさんを狙っているのだから。

時間はかからなかった。孤月で一刀両断して仕舞えば、トリオン兵はうんともすんとも言わないただのガラクタになる。


「や、災難だったな。大丈夫か?」


トリオン兵の身体が邪魔でよく見えなかったその子の姿が、漸く見えた。目の前で母親が殺され、今まさに自分も…という場面だったのだ。下手にパニック状態に陥ったりしないよう、なるべく優しく声を掛けたつもりだった。でも、その小さな女の子は俺の予想に反して頬を赤く染め上げ、きらきらとした瞳で崩れたトリオン兵を見詰めている。
まるで神様に祈りでも捧げるみたいに、痩せ細って小枝みたいになってる腕を胸の前に寄せて、指を組んでいた。熱を孕んで居そうな惚けた瞳を、ゆっくりと俺に移してからもう一度トリオン兵へ落とし、そして今度こそ俺を見上げる。先程、姉を助けてくれと必死の形相で懇願してきた少年との差が余りにも大き過ぎて、見間違えかと思ったほどだ。


「……母を、」
「…………。」
「母を、殺して貰いました。そして貴方にも、助けて貰いました。どうしよう、恩人が二人も居るなんて。」


意味が分からなかった。瞳を丸める俺を置いてけぼりにして、彼女はその日、三門市の誰よりも幸せそうに笑ってた。




さて、どうしてこんな見るからに重そうな話をしたかと言うと、今目の前でその時に勝るとも劣らない顔でちびちびとジュースを飲んでいるなまえさんがいるからだ。あの時の顔と結び付けるのはどうかと言われそうな状況だが、思い出して仕舞うのだから仕方がない。それだけ、俺にとっては強烈な思い出って事だ。

そして、そんな幸せそうに飲んでいるジュースと彼女の出会いは、ボーダーに入隊してから少し経ってからのことだった。訓練後に間違えて買ってしまったらしいオレンジジュース。それをちょこん、と両手で持ちながらどうしたものかと困った表情を浮かべてうろちょろと歩いてるところを見掛けてしまったものだから、つい声を掛けてしまった。


「なまえさん、どうしたの?」
「迅君。あの、これ、間違えて出てきちゃって。」
「飲めないやつ?」
「飲んだことないやつ。」
「…飲んでみたら良いんじゃない?無理そうなら俺が貰うから。」


手に持っているそれを嬉しそうに飲む未来が視えてたから、飲んだこと無いって返答は意外だった。というか、オレンジジュースを飲んだことないって返してくる人に出会ったのが初めてだったし、オレンジジュースとかりんごジュースとか、まあそう言う一般的な物は誰しも飲んだことがあるっていう先入観があった。オレンジジュース飲んだこと無いって、どんな風に育ったんだって思ったけど、自分の死を目前にして母を殺して貰ったなんて言ってた子だ。何か、まあ凡そ母親絡みの事情があるんだろう。

本人が話さない以上、俺から根掘り葉掘り聞くのは違うなと思ったので憶測に留めておく。


ボトルのキャップを小さな指先でくるくると回してから、恐る恐る口元へ運ぶ。不安そうに揺れる菫色の瞳が、俺を見上げていた。オレンジジュース相手に何をそんな怖がる事があるのやら。ちょん、とジュースが唇に当たり、付着したそれを舌で舐めとる。いやいや、どんだけ警戒してんのよって。
少し苦笑しながらその様子を見守っていれば、ぴゃっ!と肩を跳ねるもんだから、釣られて俺まで少し驚いてしまった。まんまるにした瞳をぱちぱちと瞬かせているその顔は、なんだか猫みたいだ。


「……びっくりした。聞いて迅君、これ味があるよ。」
「うん、今まで何飲んで来たの?」
「お水。」
「だけ?」
「うん、お水しか飲んだことない。お家に飲み物置いて無かったけど、蛇口捻ればお水は出てきたし。」
「……どう、初体験の味は。美味しい?」
「うん、うん。皆こんな美味しいの飲んでたんだね、早く教えてくれたら良かったのに。」


自販機のボタンひとつで買える一本120円かそこらのオレンジジュースに瞳をきらきらと輝かせて、美味しさから頬を緩ませながら少しずつ少しずつ、それはもう大切に飲む姿に心臓がきゅうっと握り潰される様だった。頬は興奮からか僅かに色付いて、ついさっきは不安そうに俺を見上げていた瞳は、宝物を見付けたと言わんばかりにきらきらとジュースを見詰めている。その姿に、俺はただただ頭を撫でてやる事しか出来なかった。
俺が視た、嬉しそうにジュースを飲むなまえさんの姿が、こんなにも悲しいものだなんて知らなかった。分からなかった。もっと、幸せなものだと思ってたのに。こんなに胸を締め付けられる事になるとは。


「ねえなまえさん、初体験ついでにぼんち揚げも食べる?」
「ぼんち揚げ知らない、食べたい!」
「勿論、どうぞ。」


何となく、社員食堂のおばちゃんがなまえさんを可愛がっている理由が分かった気がした。こんな、嬉しい!美味しい!って分かりやすく顔を綻ばせてるところを見てしまえばこっちまで嬉しくなってしまう。嗚呼、でもこれ、お菓子あげるからって連れ去られそうじゃない?3つも年上の人にそんなこと思うのは失礼だとは思うけど。まあ、でも、母を殺して貰った何て言いながら恍惚とした表情を浮かべられるよりは何倍もマシか。



これから先、なまえさんにとってもっと幸せな事が起きるよ。沢山の後輩に囲まれて、慕われて、愛される。だから、もっと俺達のことを好きになって。




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