迅悠一のハッピーエンド。


なまえさんが目を覚ましたのは、近界民が撤退したその十日後だった。と言うのも、なまえさんのキューブが中々見付からなかったのが原因で、解析が遅れたせいなんだけど。なんせ、なまえさんが落ちていた一帯は戦闘状況の関係上トリオンキューブがごろごろと落ちていて、その中から探し出さなくちゃいけないって事で後回しにされちゃったのもあって大分時間を食ってしまった。その間のボーダー本部内の空気を例えるなら…うーん、阿鼻叫喚?いやいや、冗談でも笑い事でもないんだなあ、これが。うちの宇佐美が「私が不用意に声なんて掛けたからぁ゛!」なんて泣いていたくらいだ。勿論、宇佐美に落ち度が無いことは俺含め、皆分かっている。オペレーターとしての仕事を果たしただけに過ぎない。ただ、そう、なまえさんが音に過敏な反応を見せることを知らなかっただけだ。なまえさん自身もそのことをわざわざ公言したりはしないから、誰が悪いという事は無い。ただ、そう。なまえさんのキューブは見つからないかもしれないという噂まで流れてきたこの十日間、生きた心地がしなかった。

医務室のベッドの上で両腕を伸ばし、気持ち良さそうに伸びをしているなまえさんの姿を見て、漸く呼吸が出来たような気がしたくらいだ。


「んーー……ッあ、迅君。おはよう。私ってば、随分長い間寝ちゃってたみたいだね。」


窓から差し込む陽光を受けているせいか、きらきらと輝いて見える。寝癖だろうか、耳の辺りでぴょんと跳ねてしまっている髪の毛を掌で撫で付けながら、少しだけ恥ずかしそうにはにかんだなまえさんが俺の名前を呼んだ。

途端、堪らなくなって、思わずなまえさんを抱き締めた。いや、心境的には縋り付いたと言った方が正しいのかもしれない。きつく抱き締めているせいでなまえさんの顔は見えないけど、きっと驚いて目を丸めてるんだろうな。その姿が簡単に想像できちゃうもんだから、少しだけ可笑しくなった。


「わ、ッ!どうしたの迅君、お姉さんが恋しくなっちゃった?」


嫌がりもせずに俺の身体を受け止めて、慰める様に背中の低い所を撫でてくれる。

あの日、廊下ですれ違った時からずっと瞼の裏に張り付いてたなまえさんの未来。俺一人の力ではどう足掻いても覆りそうになかった、到達する確率が高い未来。三門市を、何もかもを捨てて、近界民へと寝返るなまえさんの姿がチラつく度に目眩がした。でも、なまえさんが色々な隊員達との交流を深めていくことで少しずつ別の未来も視え初めて、なまえさんと千佳ちゃんを会わせて、そこで漸くその未来が大きく揺らいだ。それでも、ずっと不安だった。何せ、一年半ほど前から何度も何度も繰り返し視てきた未来だ、何がきっかけでまた元に戻ってしまうかも分からない。

三門市にとって、ボーダーにとっての最悪の未来はメガネ君が死んでしまう事だったし、倫理的にも避けなければならない未来だ。でも、それでも、俺にとっての最悪は、なまえさんが居なくなってしまう未来だった。


「……なまえさん、」
「うん、迅君のなまえさんだよ。よしよし、辛かったね。沢山頑張って偉かったね。いいこいいこ。」


つい、名前を呼ぶ声が震えてしまった。それに気付いているだろうに、何も言及せずに背中を撫で続けながら、何時もの様に穏やかな声で甘やかしてくれて、柔らかな頬を首筋へと擦り付けてきた。──なまえさんは、確かに俺の腕の中に居る。此処に、居るんだ。存在を確かめたくて、なまえさんの存在を強く感じたくて、痛いくらいに抱き締めてしまっているのに、なまえさんは何の抵抗もせずに受け入れてくれている。

「うぐぅ、」

…ちょっとだけ、苦しそうな呻き声が聞こえた気はするけど。

それでも俺の事を慮ってか、身体を離そうとするどころかお返し、とばかりに背中を撫でていた手に力がこもる。ぎゅう、としっかりと抱き締められると、鼻の奥がツンとした。別に泣きたいわけじゃないけど、子供のように泣きじゃくってしまいたい気持ちにさせられるのはどうしてか。でももし、仮に泣いてしまったのならそれはきっと嬉し泣きだ。

ぴったりと隙間なく互いの身体を密着させているからか、腕の中の温もりが自分の内側へと溶け込んでくる。これ以上の幸せは無いと、噛み締めた。


もう絶対に、何処へも行かせない。




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