影浦雅人は塗り替えたい。


ボーダー本部、その中に設置されている作戦室へと向かう途中の廊下でなまえと出会した。俺を見るなりだらしなく顔を緩めて手を振ってくるわ、頭ん中に花でも植えてんじゃねえかってくらいやわっこくて擽ったい感情を向けてくるわで、正直初対面の頃は「何だこの頭の悪そうな女は」と思っていた。会うたび会うたび、飽きもせずにそんな感情ばかりを惜しげも無くぶつけてくるもんだから、とうの昔に色々と諦めたが。

まあ、こいつがそんなおめでたい感情ばかり持ってる訳じゃないってことは、文字通り痛い程分かってる。


「カゲ君と会うの久し振りな気がするなあ、元気?怪我してない?ちゃんと皆と仲良く出来てる?」
「……うるせぇ。」
「はは、相変わらずそうで安心した。」


わしゃわしゃ、と、わざわざ背伸びまでして俺の頭を撫でるなまえの額へ、軽く突っつく様にゆっくりと指先を押し付ける。ほんの一瞬、ちくりと刺してくるのは普段どこにどうやって隠してんだってくらいの感情だ。それでも、あの頃より随分とマシになったもんだとへらへらと呑気に笑うなまえを見下ろしながら思う。







あれは何時だったか、確かその年一番の猛暑だの何だのと言っていた日だったような気がする。

何か用事があったんだろう。くそ暑い外から本部へと帰ってきたらしい、顔を真っ赤にさせたなまえが休憩スペースで紙パックのジュースをちゅうちゅうと吸っていた。同じく、自販機の飲み物を目当てにしてた俺に気付いたなまえが"嬉しい"やら"慈愛"やら、そう言った頭のおかしな感情で俺をつんつんと刺しながらおいでと手招きをする。暑さに体力が持っていかれたらしい、普段よりもさらに情けない顔で笑っていたのを覚えてる。


「お姉さんが飲み物を買ってあげよう、好きなのを選んで良いよ。」
「そりゃどぉも。」


お言葉に甘えて。なまえが小銭を入れた自販機で冷たい珈琲を選んで取り出し口から出すと、横から「カゲ君珈琲の苦いやつ飲めるの?大人だあ。」何て間の抜けた声が聞こえる。一度顔を見てから手元のジュースへ視線を移して鼻で笑ってやったのに、結局俺に刺さるのは"楽しい"という感情だった。歳下の俺に分かりやすく馬鹿にされてんのに、少しも苛立ちやしねぇ。プライドとか無いのか、この女は。
まあ、別に、こんなことしといてあれだが、何も本気で怒らせたい訳じゃねぇ。なまえからは不快な感覚が来ない分、時々こうして試してみたくなるってだけだ。温厚が服を着て歩いてるようななまえの何処に、その感情を強く揺さぶるモンがあるのか。結局は今日のなまえもお気楽で平和ボケしてるってことしか分からなかったが。

脳天気ななまえに重たい溜め息を吐き出してから、汗で額に張り付いてしまっている前髪を払ってやる。否、払ってやるつもりで手を伸ばした。ほんの気紛れだ。その前髪は鬱陶しくねぇのかと、其れを退けてデコを出した方が幾らか涼しくなるんじゃないかと。暑さにバテているなまえを見て、何となくそう思っただけだった。だが、俺がなまえの額へと指を寄せようとした瞬間、針山にでも全身を放り投げられたのかと思った。息をするのも躊躇う程の、馬鹿でかい"恐怖"という感情の塊をぶつけられ全身から冷や汗が飛び出る。汗腺がバグったのかってくらい背中がびしゃびしゃになったし、耳の奥からばくばくと心臓の音が聞こえる様な気すらした。時間としてはほんの一瞬だ。その一瞬が過ぎ去れば、鳥肌が立つ程の不快感なんてありませんでしたよと言わんばかりに肌を撫でてくるのは、いつも通り棘のひとつも無い柔らかな感情だ。きょとんとした顔をして俺を見上げてくるなまえに変わった様子は一切無い。傍から見たら、まさかこいつの中にあんな感情が眠ってるなんて誰も思いやしないだろう。…あんだけの感情を無自覚に俺に向けて来たとか、どうなってんだよこいつ。意味が分かんねぇ。

息も出来ずに固まったままの俺に、へらりと笑っては「どうしたの、カゲ君?」と小首を傾げてくる。てめぇのせいだわ、ボケ。


「あ゛〜〜…くそ、」
「わ、あ!吃驚した、ありがとう。」


一度伸ばした手を引っ込める言い訳も思い浮かばず、爪の先で擽るみたいにして前髪を退けてやると、藤色の目を瞬かせた後に言葉通り嬉しそうに顔をへにゃりと弛めた。勿論、刺さってくる感情も似たようなモンだ。まるで、さっき突き刺した感情何て何処にもありませんよとでも言いたげな様子に、何でか無性にむしゃくしゃした。確かに俺が探してた、なまえの感情の揺らぎの癖に。


──嗚呼、そうだ。確かにきっかけはあの日だった。気になって何だそれはと聞いてみれば、眉尻を垂らしたなまえから母親との関係を聞かされた。それからは、このチビっこい身体にまだあの時の感情が居座ったまま居るのかどうか、確かめるみたいに額へと指先を軽く押し付けてやるのが定番になっている。

なまえが俺自身を怖がってる訳じゃねぇのは、普段の態度から分かってる。と言うより、無自覚と言うか、条件反射と言うか。とにかく、本人の意思とは関係無く向けられる感情だってことが分かってきた。それが回数を増す毎に、少しずつ治まってきてるって事も。要するに、慣れだ。指を額に押し付けられる。ただそれだけの行為を慣らすために、どんだけ時間を掛ける気だって話だが、この何て事ない行為よりも先に、何処かの誰かさんに長いこと植え付けられてきた慣れがあるんだろう。まあ、俺が上書きしちまえばそんなモンは関係ねぇが。





「そう言えばさ、私カゲ君ちのお好み焼き食べてみたいんだよねえ。」
「食いに来りゃあ良いだろ。」
「やー、食べ切れる自信が…。」
「普段お好み焼きどう食ってんだよ。」
「大体は迅君とか、蒼也君、太刀川君何かと行くかなあ。食べれない分は食べて貰ってるの。でもほら、折角カゲ君のおうちのお好み焼き食べるなら、一枚全部独り占めしたいなあって気持ちもあって。」
「どう食べたって味は変わんねぇだろ。」
「特別なものって、独り占めしちゃいたくならない?」


独り占めなんて欲がこいつにあったのか。という驚きよりも、俺が必死になまえの感情を上書きしようとしているこの行為に名前を付けられた様な気がして、胸の辺りや首周りが痒くなったような錯覚に襲われる。違う。いや、違わない。他の奴から教えられた感情が今もまだ色濃く残っていて、それがどうにも気に食わない。例えばこれが恐怖じゃなかったとしても、それは変わらなかっただろう。そして、それに気付いたからには見て見ぬふりをするのは難しい。俺の方がなまえに感情を植え付けられてるとか、笑い話にもなりゃしねぇ。

今日一番デカい溜め息を吐き出してから、頭をわしゃわしゃと乱暴に掻き回してやる。


「独り占めさせてやるから、今度来い。」
「食べ切れないかもよ?」
「怒りゃしねぇよ。」
「うぅ゛ん……、じゃあ、お言葉に甘えて。行く前に連絡入れるね。」
「おー。」




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