お姉さんのおはなし。

「ねえ、三輪君はお姉さんの事好き?」
「…茶化すな。」
「あ、"お姉さん"って私の事じゃないよ。」


私達以外誰も居ない、三輪隊の作戦室。先日、三輪隊の狙撃手二人の邪魔をしてしまった事を改めて謝りに来たのだけど、どうにも今日はログを見に来た三輪君以外は本部に来ていないみたいだ。まあ、学生は学業が本分だもんね。学業以外にも普通に遊び歩きたい時期でもあるだろうし、また日を改めれば良いかな。三輪君にそう言って退散しようかと思ったんだけど、目の下にしこたまこさえている隈が気になって、少し居座る事にした。

隣合ってソファに座りながらぽつり、ぽつりと、なんて事ない世間話をしていたのだけど、ずっと気になっていた事がついに溢れ出したといった様子で「近界民を…何で、庇ったんだ…、」と三輪君が声を絞り出したところで、冒頭に戻る。多分、三輪君は私が「迅君に言われたから。」と答えるのを望んでいる。私の意思では無い事を、願っている。そんな三輪君を見ると、ほろ苦い表情になってしまう。求められている事は分かるけど、私には三輪君が欲しがっているものをあげることが出来ないから。
玉狛に居る近界民について随分と思い悩んでいるんだろうなあ、という事が伺えるその目元を親指で撫でてやる。一度深く呼吸をしてから、瞼の裏に住み着いている世界で一番愛しい子を思い浮かべて口元に笑みを浮かべた。


「私にはねえ、妹が居るんだよ。それはもう、目に入れても痛くない!ってくらい可愛いの。こーんなちっちゃくてね、異国の血が強く出てる私とは違って綺麗な黒髪で、おめめもくりくりしててね、ほんと、お人形さんみたいで…鈴を転がしたような声で"ねえね"って私を呼ぶの。どう、とっても可愛いでしょ?」
「…みょうじさんが何を言いたいのかが分からない。」
「ふふ、そうだね。あのね、その子、ね。私の、妹。私の、大事な大事な可愛い子、…殺されちゃった。」
「……は、」
「一応、死因は病死ってことになってるんだけど……あ、結構長いお話になっちゃうけど大丈夫?」


黙って頷いた三輪君の頭をよしよしと撫で付けてから話を続けるんだけど、なんとなく三輪君の方は見れなくて、身体を正面に向けた。……これから話すのは、私の一番内側の脆くて、柔らかい部分の話だ。



──私達は、五歳違いの姉妹だった。そんな私達の両親は、ヒステリックで暴力的な母とそんな母に嫌気が差して浮気を繰り返していた父だ。母が私と妹を作ったのは、そんな父を繋ぎ止める為の手段だった。まるで道具みたいな理由で産まれたなんて、ふふ、笑っちゃうでしょ。私達が勝手に与えられた役目は父を繋ぎ止めることだったから、父が浮気相手の所に行く度に、八つ当たり的に暴力を振るわれたの。「お前達が可愛くないからあの人は私のところに帰ってこないのよ!」って具合で。私は、そんな母から妹を必死に守った。壁際に妹をしゃがませて、その上に私が覆いかぶさったりしてね。物が飛んできても、拳を振り下ろされても、罵声が降ってきても。可愛い妹が痛い思いをしたりなんかしない様に。すぐ真下にある妹の大きな瞳から涙が零れ落ちても、「大丈夫だよ。」なんて、何の足しにもなら無い気休め程度の言葉しか掛けてあげられなかった。ここまででも充分酷いと思う?そうだねえ。でも、父が事故死してからの方が酷かったの。父が居なくなってしまえば、母にとっての私達は意味を成さないガラクタ同然だったから。まるで奴隷みたいな扱いだったよ。家事は全部私達に押し付けて、食べ物は限られた量しか与えられなかった。わざわざ鍵付きの冷蔵庫なんて使っちゃってさ、意地が悪いったら無かったよ。その癖無駄に外面は良いからさ、近所には虐待だとか、そんなの一切疑われてなかった。私達にも、「誰かにこのことを言うんじゃない、言ったらこうしてやる。」そう言って、思い切り顔を殴られた。

顔に向かって飛んでくる硬く握られた拳が、スローモーションのような、コマ送りのような、そんな風に見えた。今思えば、それが私のSEが発露した瞬間だったのかもね。幼い私にとっては酷く恐ろしい、長い一瞬に思えた。それでも、妹を守らなくちゃと思って抱き締めたんだけど、後ろから思い切り髪を引っ張られちゃってね。無理矢理引き剥がされて、私の目の前で妹は母に暴力を振るわれた。私の大事な大事な宝物みたいな子、助けなきゃと思って身体を割り込ませても、髪を掴まれて投げ飛ばされた。ろくにご飯も食べていない私の身体は成長が遅くて平均よりもずっと小柄だし、何より軽かったからよく飛んだ。ねえ知ってた?髪の毛だけで身体を持ち上げられるとね、頭皮が全部剥がれるんじゃないかってくらい痛いの。毛穴から血が噴き出すんじゃないかってくらい…なんて、ごめんごめん。知らないなら知らないままの三輪君で居て。……どれだけ痛くたって、喉が引きちぎれて仕舞うんじゃないかってくらい泣き叫ぶ妹を助けようって必死だったよ。何度割って入っても、簡単に転がされちゃうんだけどね。数分か、数十分か、数時間か。そうして私達を痛め付けた母は、「分かったわね!」鼻息荒くそう言って私達を見下ろした。自分が痛い思いをするのは幾らでも耐えられるけど、妹が痛い思いをするのは、嫌だった。それだけは耐えられない。だから、私は、母の言うことを聞くしか無かった。

留まることを知らない暴力のせいで出来た傷の言い訳ばかりが上手くなってた。そんなある日…私が中学三年生の頃、妹は酷い風邪を引いたの。ある程度の風邪なら、無理矢理にでも学校に連れて行った方が安全なんだけど、その日は意識が朦朧としちゃっててね、起き上がるのもやっとってくらいの様子で…。私も一緒に学校を休もうかとも思ったんだけど、私が高校に上がる為には奨学金や推薦が必要で、それを貰うために一日も休めなかったの。いずれ、この家を出て妹と二人で暮らす時に、妹を養える職に就く為には高校や大学を出た方が良いと思っていたから。

「何かあったらお姉ちゃんの学校に電話するんだよ。」
「給食、お姉ちゃんの分を持って帰って来てあげるからね。」
「学校が終わったら走って帰って来るからね。」

返事をするのも気怠そうな妹に必死に話し掛けて、最後に「ごめんね、」と熱のせいで随分と熱くなってしまっている小さな掌を握り締めてから家を出た。その日の授業は気が気じゃなかった。妹の無事を祈り続けた。あの母の事だ、どうせ世話なんてしないだろう。水の一滴すら与えるとは思えない。泣いてないか、苦しんでないか、私の事を呼んでいないか、喉は、お腹は。考える度に泣きそうになって…でも、急に泣いても理由なんて話せないから涙は堪えた。その日全ての授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った瞬間、鞄の中に教科書を入れる時間すら惜しんで、教室から転がるように飛び出した。約束通り、全速力で走ったよ。でも、こんなみすぼらしい細っこい身体に体力何てものがある訳ない。最初の信号に着くよりも早く息が切れる。肺が破裂するのかと思った、過剰に空気が行き来する喉が痛かった。大袈裟な音を立てながら玄関を開けた私は履いていた靴を乱雑に脱いで、手洗いもうがいも全て無視して妹が寝ている部屋へと駆け込んだ。朝と同じように布団に寝転んでいた妹は、一人じゃ満足にトイレすら行けなかったんだろう。布団の下半分がぐしょぐしょになっていた。それでも、妹が傷ひとつ無く無事でいてくれた事に安心した。すぐ側に膝を着いて、よしよしと優しく頭を撫でてやる。「気持ち悪かったね。今、お姉ちゃんのお布団敷くから、お着替えしたらそっちでねんねしようね。」と、布団を敷くために一度立ち上がろうとしたところで「ねえね、」私を弱々しく呼んだ。

私を見て、僅かに瞳を細めたかと思えば、そのまま、ゆっくり、ゆっくり、宝石みたいな瞳を隠して、今まで肺の中に溜まっていた空気を全て吐き出すように穏やかに、静かに、長く、息を吐き出した。次に、息を吸い込む事は無かった。それを認識した瞬間私の喉から、変な音がした気がした。必死に、それこそ気でも狂ったんじゃないかってくらい、何度も何度も名前を呼んだ。抱き起こした身体は一切の力が入っていなかった。それでもまだ、心臓は弱々しく動いている。戻ってきて、お願い、お願い。まだ行かないで、お願い、ちゃんとお姉ちゃんが守ってあげるから、お願い。二人で幸せになろ。お願い、お願いします、誰か……誰かッ!!!




その翌日、母の体裁を保つ為だけに葬式が行われた。



「もし、薬のひとつでも飲ませてくれてたら。もし、食事だけでもちゃんと与えられてたら、高熱に耐える体力があれば…。なんて、ねえ、もし三輪君が私の立場だったら、どうしてた?」
「………俺は、…。」
「ふふ、意地悪しちゃった。私ね、つい最近"母をさっさと殺しちゃえば良かった"何て思ったの。…私、近界民よりも母が嫌い。だからね、近界民に母を殺して貰えて、私は漸く息が出来るようになった気がするよ。…まあつまり、私、実質近界民に助けられてるんだよね。だから、この前のは恩返し…みたいな?」




三輪 side


時折、爪先をもじもじと動かしながらみょうじさんが聞かせてくれた話は、俺から言葉を奪うには充分だった。ずっと、同じだと思ってた。俺と同じ様に、大切な家族を近界民に奪われたんだと。みょうじさんの大切な家族を奪ったのは、みょうじさんの家族だった。それに、みょうじさんの、髪も。てっきり、昔の恋人から乱暴でもされたのかと思って…だから俺は、みょうじさんと交流を計ろうとする隊員に目を光らせてた。もう、みょうじさんに酷い事をする奴に捕まったりしない様に、せめてボーダー内では俺が見張っておこうと。みょうじさんはどうせ、強く人を拒絶したりなんか出来そうにないから俺が見極めてやらなくては、と。それがどうだ。蓋を開けてみれば、俺はみょうじさんを守っていた気になってただけだ。悔しさと、虚しさと、自分の無力さに奥歯を噛み締める。

漸く、俺の方へと顔を向けたみょうじさんは、感情の色が乗っていない瞳で俺を見た。だが、それも一瞬の事で、俺を見るやいつもと変わりない顔でからりと笑った。湿度を伴わない気持ちの良い笑顔…とでも言うんだろうか。だけどそれは、随分と扱い慣れた様子の作り笑いに見えた。


「三輪君がそんな顔しなくていいんだよ。お話、聞いてくれて有難うね。」


よしよし、と優しい手付きで甘やかす様に頭を撫でられる。恐らく、妹さんもこうやって撫でていたんだろう。
そう思うと、胸の辺りがやけに重たくなった様な気がして、今度こそ、今度こそ。この人の事を正しく守りたいと、強くそう思った。何から、と聞かれたら「全部から」と答えられるように。以前、掴まれそうで怖いからと言っていた、肩よりも上で切られている短い髪の毛先を指先で撫でた。


「わ、……ふふ、なあに?」
「髪、伸ばしたらどうだ。」
「うーん、でもなあ。」
「長い髪が好きなんだろ。」
「うん、でも、トリオン体で充分かなあ。」
「…もう誰にも掴まれたり何かしない様に、俺が傍に居る。」


だから、と、これではまるで懇願だ。結局、縋り付いてるのは俺の方なのだと思い知らされる。それでも、縋り付く俺の手を振り解けない事は知っているから、


「はは、じゃあ、格好良い事言ってくれた三輪君を信じて、伸ばしてみようかな。」


ぱちぱちと瞳を瞬かせてから眉尻を垂らして、少し不安そうな顔を浮かべながらも承諾してくれたみょうじさんの毛先を、軽く摘む。これから先、少しずつ伸びていくこの髪が、俺がみょうじさんを守れているという証明になるんだろう。




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