部屋の扉を閉めた瞬間、まるで世界マラソンに行ってきたかのような激しい疲れが全身を襲い、わたしは床へとへたりこんだ。しかしベッドへダイブしたい気持ちをぐっと抑えてブレザーをハンガーにかける。自分の制服なら気にしないんだけど、見慣れないこの部屋はもちろん仁王くんの部屋だ。

「… 落ち着かない」

精神的にずいぶん疲れてるはずなのにわたしは無意味に室内を動き回る。黒と白で統一されたシンプルな部屋には音楽雑誌やテニス関連のものが散らばり、やっぱりここは男の子の部屋なんだと実感させられた。え、ということはだ、わたし今日この部屋で寝るってことだよね。ゆっくりと視線を奥に向ける。異様な存在感で佇むあのブラックなベッドで睡眠…むりだ、むりとしか言い様がない…。居場所を探して結局わたしはカーペットも敷かれてないような床の隅の方へ腰を下ろした。

「信じ、られないよなあ…」

そっと瞼を閉じ今日のことを思い返してみる。本当に今日は大変だった。特に朝仁王くんと話を終えたあのあとは、ただただ困惑するばかりで。女子の毎日に必須の「いつでもスマイル」は気持ち悪がられるわ頬を染められるわで面倒くさかった。男女の違いってむずかしい。

「おまえなー、あんな笑顔だと期待するだろ。かわいそうに」
「そうなんか?」
「…仁王キモい!今日ヘン!」

それから意外だったのが、ブンちゃんは仁王くんと仲が良いという事実である。同じ部活とはいえ雰囲気から性格まで全くちがう二人がクラスでつるんでるなんてちょっとびっくりで、そんな仲の良い友達を紹介されていなかったというのも彼女的にはへこむ。会話にも名前すら出てきてなかったからなあ、明日にでも普段どんな話をするのか聞いておかなくちゃ。と、そこで後方からコンコン。ノックの音が聞こえる。

「まさー?あんた、コレずっと鳴ってんだけどさァー」
「ひっ!!」

出た、噂の仁王シスターだ!と瞬時に思った。夕食の席では弟くんと二人だったためなんとか誤魔化せたけど…今日の仁王くんの言葉がエコーになって脳内を駆け巡る。「姉貴とは絶対喋んな」んな、んな…。やばいよピンチ、これいきなり難易度レベル5じゃないかなあ!赤いマニキュアが塗られた手によってプラプラ揺れるスマートフォンはわたしがリビングに置き忘れたものだった。

「…なんでそんな隅っこで縮こまってんの」
「あ、うん」
「まあいいわ。これ、鳴ってる」
「お、おお」

さすがに家族と口を利かないというのはむりだったけど、なんとか口数を最小限に留めて部屋から追い返す。やった、やったよわたし!レベル5クリアです!と思ったんだけど。

「みょうじなまえ…新しい彼女?」
「ちょおおお!ってわたしぃ!?」
「…? どうしたのあんた」
「あ!いや、何でもないじゃけん!姉貴そろそろ帰って、な?」

わたしがそう叫んだ瞬間、それまで普通だったお姉さまの表情が険しいものに変化した。仁王くんに似てお姉さまもかなりお美しい部類、けど性格がまったく違うことこの上ない。「なに?あたしに言えないってわけ?」目の前には食い気味に突っかかってくる美女。いやそうではないのですが、これにはマントルより深〜い事情がありましてですねハイ。

「いつからあんた、あたしにそんな態度取れるようになった?ん?」

お姉さまが髪をかきあげるのを綺麗だなあなんて目で追ってしまっていたのが運の尽き。気付いたときにはその白い腕からまさかの間接技が繰り出されて、わたしは瀕死状態に陥った。勘弁してよ、わたし女の子!!!
とまあ、なんとか仁王シスターに帰って頂いた頃には既に空は闇夜に包まれていた。ちなみにお姉さまには明日の帰りにドーナツを買うことで手を打ってもらったんだけど、そこは絶対仁王くんに請求してやる。行列に並ぶところから一人でさせてやるんだから。なんか今日は本当に疲れたなあ。わたしは着信履歴から自分の名前を探し出し、ゆっくりと通話ボタンを押す。

「もしもし…」
「おお、ようやく繋がった。おまえさん今なにしとった?」
「生死をさまよってた」
「…なんか大変だったことは伝わった」
「それは良かったわ」

で、どうかした?と続ければ、とたんに仁王くんは黙りこんでしまった。そんなに言いにくいことならLINEにすればいいのに。なんだろう、生理…はまだ先だし、お家での過ごし方なら仁王くんのお家に比べたらだいぶハードル低いけど。ということは、まさかブンちゃん関係?キスなんかしてたらほんと血を見るよ。

「その…な?」
「うん」
「みょうじ、に会いたい」
「なっ、え…!!?」

カァァッと頬が赤くなっていくのが分かる。ってなに照れてんのわたし。自分の声に言われたってどうってことないでしょう。頭ではそう理解しているのに体温は一向に下がらなくて、この浮気者とぺちぺち頬を叩いてもそれは変わらなかった。だって、仮にも男の子に、会いたいなんて言われてわたしどうしたら…。

「仁王く、」
「頼むみょうじ。どうしても、どうしても風呂に入れんのんじゃ…!」

泣きそうな彼の声を聞いて、先程までの様子が嘘だったみたいにわたしの顔の赤みはスッとひいた。





「で?プレイボーイの仁王くんはこんな貧相な身体は見たくない、と」
「ちがうから!ただ…自分で脱ぐとか穿くとかがむりなんじゃ!わかるじゃろ?」
「わかりませんな」

今わたしがいるのは懐かしの我が家である。目の前にはギュッと固ーく目をつむる仁王くんの姿。もう皆さんお分かりだと思うけど、仁王くんが女の姿で風呂に入れないとかほざいたせいでわたしはヘルパーさんのように身体を洗ってあげています。ちなみにわたしはといえば家に帰ってすぐシャワーを浴びました。タオルを巻いて。

「そういえばさ」
「うん?」
「「仁王くんのお姉さん、すごいね」
「…思い出させんな。頭痛うなる」

お姉さんは神経図太そうなのに、なんで弟はチキン野郎なんだろうね。そう言うと仁王くんは気まずそうに口を閉ざした。小さくため息をつき、泡につつまれた自分の背中を見つめる。ふつうここは女の子の方が『わたしの身体、絶対見ないでよね!』ってのが定番だよね。いや本当、少しはわたしに恥じらいを持たさせてくれ。


(20110309 加筆)
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