07
折原さんと一悶着あったものの、平和島さんと打ち解けることが出来たあの日からしばらく経った。
あれから私は平和島さんと校内で偶然会えば挨拶を交わしたり、時間が合えば帰り道を共にするようになっていた。
平和島さんに言われた通り、彼といると何故だか毎度のように誰かしらに絡まれ喧嘩に発展した。その度に私は平和島さんから距離をとって遠目に彼が大勢の男を薙ぎ倒す姿を見守った。
確かに恐ろしい光景には遭遇してしまうけれど、だからといって平和島さんから離れてようとは思わなかった。
彼は少し特異な体質で、目を引く存在であるだけで、人としてとても魅力的な人だっただから。
ぶっきらぼうだけど冷たく突き放すようなことはしない、心温かく優しいと感じられる彼とのやり取りは心地良くて。それでいてたまにむずがゆい気持ちにもなる。
彼と会えるといいな、なんて考えながら登校する。
それが日課と成り始めた私を待ち受けていたのは、校内に漂うなんとも不穏な空気だった。
学校に近付いていく程に強まっていく生徒達の異様な雰囲気に私は気付かずには居られなかった。
「…ねえ、あの子でしょ…………なのって」
どうにも他の生徒達の視線が痛い程に突き刺さってくるのだ。
「………全然…………………に見えないけどな」
そして私を遠目から眺めては繰り返されるコソコソ話。
「………でもああいう普通の子の方が…………ってことも…………」
最初は自意識過剰かな、と思っていたものの、皆私の周りを避けて歩いているのを見て確信した。
これは何か良からぬ噂が流れているな、と…。
好奇の目に晒されて不愉快な気持ちを隠せず、自然と顰めっ面になってしまう。
「……うわっ!今の顔見た!?…………と………んだもん。やっぱり普通の子とは違うって」
こちらの気持ちなんて関係ない。一挙一動で勝手に憶測を広げて人を蔑んで楽しむ。そこまでの悪意はないのかもしれないけれど、言われている当人はたまったものじゃない。
人は弱いのだ。
心ない一言で簡単に傷付く。
『あいつ…………っだってよ』
『なんだよそれ、冗談だろ』
『でも……………した子もいるって…。危ないから近付かない方がいいよ!』
過去のことを思い出して少し頭が痛くなった。
……もう乗り越えたつもりだったんだけどな。
他の人よりは慣れていることのはずなのに、原因がよく分からないせいで余計に辛いのかもしれない。
教室に入るとその嫌悪感がピークに達した。
扉を開けて教室内へ足を踏み入れた瞬間に一斉に集まる視線。けれど私が見回せばなかったことのように逸らされる目。あからさま過ぎる反応に溜め息をつきながら自分の席へと向かう。まだ夏南は来ていないようで、遠巻きにこちらを見つめるクラスメイトの視線に独りでは少し耐え難かった。
………もしかしてあの話が広まった?
でも、あんな話簡単に皆が鵜呑みにするはずがない。
それにもしそうだとしても大丈夫だ。
今の私には味方になってくれる人がいるから。
「由良!!!」
自分の席に着いて、鞄に入っていた教科書を机の中に移していた所だった。
大きな音を立てて、教室の扉が乱暴に開かれる。そして驚き集まった視線も教室内にただよう異様な空気も気にすることなく、扉を開け放った夏南が真っ先に私の下に駆け寄ってきた。
「あ、夏南おは…」
「だから私は忠告したのに!由良のお馬鹿!!」
「へ?」
挨拶を交わそうとした私の声が夏南はまるで聞こえていないかのように、あっさりと遮って私を叱りつける。予想外の発言にただ戸惑うことしか出来ない私に呆れたように夏南は話し始めた。
「あんた、またあの平和島静雄に関わったでしょ」
「関わった、……というか顔合わせたら話したり、たまに一緒に帰ったりするだけだよ」
「それよ!それが噂になってるの!!」
「……噂?」
「由良が平和島静雄と付き合ってるって噂!!」
「………………はぁ!?」
夏南の言葉にただ驚くだけだった。
私と、平和島さんが、付き合ってる?
どうしてそんな噂が流れてるの?
最近知り合い、友人と呼べる関係に成り始めた所だというのに一体どうして?
ただ会話したり、一緒に駅まで向かったりするだけで付き合ってると判断されてしまうの?
頭の中で様々な疑問が浮かび上がる。
「一緒に帰る姿を見た人間が多数いたんでしょうね。今まで平和島静雄が女子生徒と下校するなんて姿、目撃されたことはなかったらしいし……。何処で尾鰭がついたんだか、手作りのお菓子をプレゼントだとか、折原臨也が割り込んで三角関係に発展、なんて噂まであるわよ」
「……ああ、この前調理実習で作ったマフィンをあげたから嘘とは言えないかもね。折原さんにもあれから1度会ったけど私が絡まれた時の事で平和島さんとちょっと揉めただけで、三角関係とかでは……」
「………一応噂の原因と呼べるものはあるみたいね。もう、そんな校内の有名人達と一緒に騒いだりしてるからそうなるのよ!!」
あの日のことがこんな形で噂になってしまうなんて夢にも思わなかった。
でも確かにあの時人気はまばらだったけど、他の生徒達と下校が重なる時間ではあったはずだ。あの時、昇降口で他の生徒を見掛けなかったのは下校しようとする生徒が居なかったのではなく、彼らを避けて出ずに出れずにいただけだとしたら、納得がいく。
特に彼らは学内での有名人だ。目立つ所で揉めようものなら恰好の餌食になるに決まっている。
加えて私と平和島さんがここ最近一緒に居るところ見て勘違いをする人間が出て来てしまったのだろう。
「だから関わるのは止めておきなって言ったのに…。由良は何も悪いことしてなくても一緒にいるだけで嫌な思いすることになるんだよ?由良も嫌なはずだよね、そんな思いするの」
「でも私、平和島さんと仲良くしたいよ。平和島さん、噂で言われてたり、夏南が思ってるような悪い人じゃないんだから。優しくていい人だよ!」
夏南には勘違いをしてほしくなくて、本当の平和島さんを知って欲しくて、真剣に訴えれば夏南ははあっ、と大きな溜め息を吐いた。
「…分かったわよ、じゃあもう何も言わない」
「夏南…?」
「他でもない由良が言うんだもん。私が選んだ親友の言うことなら信じるしかないでしょ」
「…ありがとう」
突き放すような物言いに私が不安になっていると、夏南は肩を竦めながら微笑む。夏南が理解してくれたことが嬉しくて私も笑顔を返した。
「でもなんか納得しちゃった」
「何が?」
「最近楽しそうにしてると思ったらそういうことになってたのね。もう黙ってないで教えてよ」
「ごめんね。夏南、あんまり平和島さんに良いイメージ持ってないみたいだったから…」
「もう、今度からはちゃんと言いなさいよ。他人から聞かされて驚くのはもう嫌だからね!」
「うん」
漸く興奮が収まった様子の夏南と会話を続けながら、私は思う。
私のことをちゃんと理解し大切にしてくれる存在が、彼女が、居てくれて良かったと。
そして、今度は私が平和島さんにそう思ってもらえるような存在になれたらいいなと。
教室で堂々とそんなやり取りをしていたせいか、放課後には朝のような周囲からの視線や噂話をする様子はすっかり感じられなくなった。
安心すると同時に、私は夏南に言われた言葉が僅かに心に引っかかっていた。
無意識下の恋慕
(私、そんなに楽しそうにしてたかな)