Obscure










それから僕は、次の日もそのまた次の日も毎日のように森へと通った。
山の中を駆けめぐって遊び回る夏の日々。たわいないことでも、とても楽しくて仕方がなかった。
ああ、このまま夏がずっと続けばいいのに。

「アスラン! あれ……寝てるの?」

広いひろい草原。ここもアスランに教えてもらった場所だった。
用を足してから戻ると、彼は無防備に寝転がっていた。仮面で素顔が見えないアスランだから、眠っているのかどうなのかわからない。反応がないところを見ると、眠っているようだけれど……。

そのとき、僕の心の中には、ひどく身勝手な欲望がわき上がっていた。彼の素顔を、今なら見られるんじゃないだろうか。
この仮面は彼の一部ではなく物だから触っても大丈夫だと聞いたことがある。
彼を見下ろすように近づいて、そっと仮面に触れた。心臓がどくん、どくんと音を立てる。緊張から、指先が冷たくなった。それを叱咤して、指に力を込めると、おそるおそる持ち上げる。

そして表れたのは、人間と変わらない風貌だった。

見とれたのもつかの間、彼の瞼がすっと持ち上がり、この辺の木々とも違う、きれいな緑色の瞳がこちらを見た。

「ごめんなさい!」

勢いよく仮面を戻すと、抗議の声が上がる。

「そんな風にすると痛いだろ。それにしても寝込みを襲うとはな……」
「う。ごめん……でもわざと狸寝入りしてたでしょ」
「普通だっただろ」
「……なんでお面なんかしてるの?」
「こんなものをつけてでもいなけりゃ、妖怪には見えないだろう?」
「……変なの」
「お前にはまだわからないか」

そう言ってくすくすと笑う彼の顔は、仮面で隠されてしまって見えなかったけれど、以前よりも身近に彼の存在を感じた。





「あのね、アスラン。前にも話したと思うけど、明日からはしばらくここに来られなくなるんだ」

小学生になったからという理由で、僕は夏休みの間だけ祖母の家に来ているのだ。明後日で夏休みが終わる今日、僕が本来住んでいる場所に帰る日だった。
夏休みが始まった頃は、ジョルディたちと遊べなくなるなんてと思ったけれど、今となっては帰るほうが寂しくなっている。

石畳の階段を下りながらアスランに告げると「そうなのか」と淡泊な答えが返ってきた。

「……」

そうだよね、彼にとっては僕がいようといまいと、関係ないよね。アスランの回答にしょんぼりとしていると、突然立ち止まった彼が、振り返る。

「……来年も、来られるか?」

僕は目を瞠った。それは、その言葉の意味は――。

「うん! 絶対絶対、ぜーったい行く!」

こうして僕は、夏を心待ちにするようになった。



――約束の夏。アスランは僕を待っていてくれた。そんな夏が二度、三度と続いた。
その間、何度も目にした光景。
妖怪たちがこぞって僕に触れるなと注意するのだ。
目の前に大きな手のようなものが伸びてきて、彼の肩を一掴みにしてさらおうとしたこともある。

『アスラン、危ない。それは人の子だ。触れられたらお前は消滅してしまう』
「ありがとう。だが大丈夫だ」
『人の子、触れてくれるなよ』
「――はい」

そういう時は大人しく頷いた。というよりそれしか手段がなかった。
彼はとても優しいひとで。それは僕にだけではなく妖怪に対しても同じで、だからだろう。彼は、ほかの妖怪たちにも慕われているようだった。

――ああ、彼らは、妖怪たちはアスランに触れることができるんだね。
羨ましいと思った。それと同時になぜか胸がちくちくと痛んだ。



ある日、僕は彼を驚かせてみたくて、背の高い木に登って、アスランを待った。

「キラー? ったく、どこ行ったんだアイツは…」
「わっ!」

彼が近づいてきたところへ、木の枝に足をかけてぶら下がり、彼の顔の前に姿を現す。びくりと肩が跳ねたのを見て、僕はニヤリと笑った。

「ね、ね、驚いた?」
「お前は……一体何をやっているんだ」
「何となく驚かせてみようかなーと思って。でもその仮面つけてたらわかんなかったから、僕といる時はその仮面、外してくれる?」
「……いいけど。何か意味あるのか?」
「別に意味は……あっ」

意味はないけれど、と言おうとしたらうっかり足の力を抜いてしまって体がふわりと宙に浮いた。落ちる! と思ったと同時に彼が叫ぶ。

「危ない、キラッ…!」

一瞬、見えた。彼が僕を受け止めようと両手を広げてくれたのを。僕は目を見開く。
ああ、本当に優しいひと。僕は木に登ったことをひどく後悔した。

「避けて!」

その言葉は、僕の心からの願いだった。
果たしてその願いが通じたのか、アスランは俊敏に僕を避け、僕は僕で受け身をとりつつも、少しでも彼から離れるように落ちた。

「いたた……」

下が草だったから、受け身をとったこともあって口で言うほどの痛みはなかった。
むくりと起き上がると、彼がいつも持ち歩いている木の棒が目の前に差し出される。

「すまない、キラ。大丈夫だったか?」

悪いのは僕なのに、こんなことをさせてしまった。
僕はなんて取り返しのつかないことをしてしまったのだろう。
でも、よかった。
彼が僕を助けなくて、本当によかった。

「うん、大丈夫。大丈夫だから約束して」
「何を?」

「何があっても、絶対に、僕に触らないでね」

そのとき、彼が何を思っていたのか僕にはわからない。相変わらず仮面をつけたままだったから、表情を伺い知ることもできなかった。
だけど、その約束はきっと守られるだろう。そう思った。


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