「星の王子様」


 大きな体育館、流れる汗、溢れ出る声援、


 相手からのサーブ
 綺麗にセッターの頭上にあがるレシーブ、
 ジャンプしたところにあがる少し高めの託したトス、
 3枚壁が立ちはだかる、
 ネットの向こう側が見える
 パァーっと前があくみたいに視界がクリアになる、
 身体全体を使い渾身の力をボールにのせる


 ラインギリギリに決まるスパイク


 仲間の抱擁、湧き上がる歓声


 全部、



 全部、好きだったもの


 ずっとそこにあると思っていたもの



***

 牛島若利には1つ下に幼馴染がいる。
 若利が産まれる前から牛島家と星野家は仲が良かった。なんでもお互いの祖先が同じ武家に仕えていた家臣だったとか何とか…言ってしまうと母親同士が小学校来の親友だというのが一番大きい。そのおかげで物心つく前から一緒にいたのは星野紫苑だった。
 家はそこまで近くはないが、週末は必ずお互いの家で過ごしていた。紫苑は生まれつき身体が弱く、紫苑と遊ぶときは室内だった。若利が父とバレーボールで遊んでいるときは縁側で見ているだけだった。いつも苦しそうに咳をしていて、何種類も薬を持っていた。流行病には必ずといっていいほどかかっていたし、風邪もよくひいていた。

 そういうとき、若利は紫苑の部屋に入れなかった。大好きだからこそ、苦しいときに傍にいたかった。この好きが、友達であるのか、兄弟であるのか、家族であるのか、それとも恋人に向けるものであるのか、若利にはその違いがわからない。でも確かなのは、紫苑は自分にとってかけがえのない存在だということだった。

 部屋に入れるのは紫苑が起き上がれるようになってからだ。紫苑の母の趣味で少しメルヘンチックなベッドで本を読む紫苑は、若利が顔を見せた途端に花が咲くように笑った。垂れ目気味の瞳がさらに垂れ下がり、端正な顔がふにゃり崩れる。

 若利はいつもこの瞬間に決意する。
 紫苑を守ると、身体が成長し病気をしなくなった今でも、なお。


***

牛島「バレーを辞めるのか、紫苑。」


 紫苑の中学校最後の大会が終わった。全国中学校体育大会といい、日本中学校体育連盟が主催する体育大会で、全中と略称される。この大会に出場するための地区予選、県予選、地方ブロック予選はそれぞれ地区・県・地方…紫苑の住む宮城県では宮城県中学校総合体育大会という。
 その3年生最後の中総体が終わった。エース紫苑を軸に作った北川第一は白鳥沢には勝てなかった。3分の1以上の得点源は紫苑だったし、先輩直伝のサーブも決まっていた。でも勝てなかった。その帰り道、白鳥沢で寮で暮らしているはずの若利が待ち伏せていた。


『若くんはいつでも直球だよね…』


 唇を尖らせて、じとりと睨む。そんな紫苑の態度をものともせず、首を傾げる若利に紫苑はため息を吐いた。この幼馴染は如何せん全てにおいてド直球真っ向勝負である。こちらが悩んでいることお構いなしにズカズカと踏み込んでくるのだ。


牛島「紫苑の父から、病院の検査を受けていると聞いた。あと、良く見ていてやってほしいとも…」


 紫苑は眉を顰めた。じーっと見つめてくる若利の無言の訴えに諦めたように口を開いた。


『俺、昔から身体弱かったでしょ?最近、咳が止まらなくて病院に行ったんだけど…』



 バレーしないほうがいいって。



 若利が息を飲む音が聞こえる。すると、強烈なスパイクを打つ大きな手で抱きしめられた。ぎゅーっと力強く、でも壊れないように抱きしめてくれる。
 学校での運動も制限された。体育はもちろん見学だし、普段の生活も身体に気を遣った生活を心がけなきゃいけない。


『もっとバレーしたかった。今度は白鳥沢行って、若くんの隣で、』


 涙で次の言葉が出なかったが、若利にはわかったようだ。中学では果たすことができなかった、一緒に同じチームでプレイするという約束。


牛島「俺が紫苑の分までバレーをしよう。スパイクもサーブもトスもレシーブも…だから笑っていてくれ。」


 腰に回る手に力が入るのに、優しく紫苑を傷つけないものなのは大切に思ってくれているからだとわかる。若利が額同士を擦り付けるのは、紫苑に言い聞かせるときに使うものだ。良く呼吸がし辛くなったとき、薬が効くまでの時間に若利はやってくれた。「大丈夫だ」と何度も言い聞かせてくれた。

 どこまでも優しくて、自分の分までバレーをするという1つ上の幼馴染に笑みが溢れた。


***


瀬見「げっ!!若利なんだそのでかい弁当は!?」


 白鳥沢男子バレー部に推薦で入部した若利は寮生活になった。今まで以上にバレーに打ち込める環境になって、入学そして入部したときは顔には出ないもののとてもワクワクした。しかし、入学して1ヶ月ぐらい経ったある日若利に死活問題が現れた。


−−−紫苑の作ったご飯が食べれないことである


 寮のご飯、購買は美味しいことには美味しいが若利は物足りなかった。何がとはわからないが、ほぼ毎日食べていた紫苑の料理にいつの間にか胃袋を掴まれていたのだ。
 少し不満そうに、しかし周りには気づかれない程度に不満げにしていた若利は監督に許可を貰い、紫苑にお弁当を作ってもらうことにしたのだ。紫苑は『え?お弁当作れって?寮生活ってご飯出るんじゃないの?』と終始不思議そうにしていたが、紫苑の作ったご飯がどうしても食べたいから監督に許可貰ったとボソっと呟くと、『ははっなんだそれ』と笑うと何食べたいの?と聞いてくれた。
 若利の好きな食べ物はハヤシライスだが、お弁当には向かない。だが、紫苑の作った料理はどれも美味しい。「だし巻きたまご…でもしらすとほうれん草の入った卵焼きもいいな、あとからあげ…おにぎりはわかめ…あ、いなり寿司もうまかった…あと」いつもより饒舌に紫苑の料理を思い出しては口にし、涎が垂れそうになる。紫苑はぽんぽん出てくるリクエストに『そんな食べれるのか!?』と驚いている。

 そして、今日。紫苑は白鳥沢までお弁当を届けに来てくれたのだ。若利がたくさんリクエストしたおかげで、重箱になって現れた紫苑のお弁当。紫色の風呂敷に包まれた重箱はきらきら輝いて見えた。そのぐらい楽しみにしていたのだ。


『ひとりでは食べれないと思うから皆んなで食べなね?あとデザートにプリン作ったから、これ』


 さらにクーラーボックスを渡された。『じゃあ後で返してくれればいいから、練習頑張ってね』と言うと紫苑は帰ってしまった。どうやら父親に連れてきてもらったようだ。ちなみに全て独り占めするつもりである。

 ほくほくと、重箱を広げる若利に瀬見は冒頭の言葉を叫んだ。4段のどデカい重箱は一段目はご飯もの、二段目は揚げ物、三段目四段目は色とりどりのおかずが詰まっていた。


天童「まさかそれカノジョの手作り〜??」


 隣に座り、ハンバーグ定食をつつく天童はニヤニヤしながら若利に弁当の出所を聞いた。若利は「いや、紫苑はカノジョじゃない。幼馴染だ。」と言った。


大平「前言ってたな、一個下に幼馴染がいるって」
天童「でも"まだ"ってことでしょ〜。将来的にはカノジョになるんでないの〜ワカトシくんも隅に置けないね〜!イイナぁ、俺もかわいい年下の幼馴染の女の子に手作り弁当渡されたいよぉ」v 牛島「ん、紫苑は男だが?」

天童「えっ!?!?男???そんな美味そうなお弁当作れて、しかも一個下ってことは中三じゃん!!」
瀬見「まじかよ…」


 若利の重箱に視線が集まる。いなり寿司にわかめおにぎり、中身がわからないものにはわかりやすいように名前のついた旗が刺さっており、鮭・おかか・明太子と書いてある。からあげも醤油味と塩味と2種類あり、コロッケはカニクリームとかぼちゃ、メンチカツ。卵焼きは甘いのと、だし巻き、しらすとほうれん草の卵焼き、ハムチーズ。きんぴらごぼう、ちくわの海苔チーズ巻き、ほうれん草の胡麻和え、タコさんウインナーしまいにはミニグラタンまで入っている。

 若利はまずは卵焼きを箸で取る。だし巻きだ。ふわふわで出汁が効いている。これだ。これが足りなかったんだ。もきゅもきゅと口いっぱいに詰めて食べる若利に、天童たちはゴクリと涎を飲み込んだ。


天童「ねえ、ワカトシくん!ハンバーグ一口あげるから何か交換して!」
瀬見「俺も親子丼と交換してくれ!」

牛島「嫌だ。」

天童「そんないっぱい入ってるのに!?」


 若利はメンチカツに箸を伸ばす。サクサクしていて、じゅわりと肉の油が出てくる。これ夕飯に出てくると嬉しかったなと思い出す。ふと先ほどの紫苑の言葉を思い出した。『みんなで食べなね?』という言葉だ。そして、いつか言っていた『美味しいものは皆んなで共有したほうがもっと美味しいよね』という言葉だ。
 項垂れる天童たちに重箱を差し出した。


天童「え?独り占めするんでないの??」
牛島「そのつもりだったんだが、紫苑にみんなで食べろって言われてたのを思い出した。それに美味しいものは皆んなで共有したほうが美味しさが増すと言っていた。」
瀬見「その子の言うことは聞くんだな…」
大平「はははっ」



天童「え!?このからあげ美味すぎじゃん!!中は柔らかいけど、外はカリカリ…にんにくも効いてて…てかこれ本当に手作り!?」
瀬見「このグラタン、めちゃくちゃ美味いぞ…」
大平「卵焼きってこんなレパートリーあるのか…甘いのとしょっぱいのだけかと思った…」


 目を輝かして、美味しい美味しいと褒めてくれる天童たちに若利の口が緩む。若利も負けじといなり寿司にかぶりつく。


鷲匠「ほう、それがお前が言っていた弁当か…」

瀬見「カントク!?!?」



 突然若利の背後に現れた鷲匠監督は、興味深そうに重箱の中身を覗いた。「食べますか?」と問うと「お前のために作ってくれたんじゃないのか?」と遠慮してくれた。「紫苑がみんなで食べろと、デザートもあります。」とクーラーボックスのプリンも見せた。


天童「デザートもあるとか、その紫苑って中坊何者なの!?」


 鷲匠は若利から割り箸を貰い、しらすとほうれん草の卵焼きをぱくりと口に入れた。


鷲匠「っ!!!これをあの小僧が作ったのか!!??」
瀬見「え?監督、若利の幼馴染知ってるんですか?」

鷲匠「若利から弁当作ってもらってきていいかと聞かれた時にな。まさか北一のエースと幼馴染だとは思わなかった。」
天童「ワカトシくん、北一の星の王子さまと幼馴染なの!?」
大平「てかその王子に弁当作ってもらってんのかよ…」


 "北一の星の王子さま"という俗称は紫苑の苗字である星野とその容姿の美しさから肖ってつけられた。美しいフォームから繰り出されるスパイク、ぐっと溜め込んで、放つ。体幹が強いから身体が細くても強いスパイクが打てるのだ。技術もさながら頭の切れる紫苑だからこそできる戦術。そして及川徹から教わった強烈なジャンプサーブ…。


鷲匠「こりゃお前が直談判しにくるほど食べたくなる気持ちがわかるな。」


 みんなでプリンをつつきながら、紫苑の話題で盛り上がっていると鷲匠監督が呟いた。なめらか且つ濃厚で、それでいてシツコくないプリン。美味い。その一言で、直談判しに行ったのかと笑うも「これは食べたくなるネ」と天童は納得していた。


 4段の重箱をぺろりと平らげ昼休憩は終わった。洗い場を借りてささっと洗うかと席を立とうとすると、「今度星野紫苑連れて来い。7月に若鮎を料理させてみたい。」と言うと鷲匠監督はご馳走様と去っていった。
 ご馳走させてもらったお礼と言って天童たちが重箱を洗ってくれた。食堂のおばさんたちにお礼を言いつつ、天童はスポンジを泡立てながら、「鷲匠監督、星の王子さまに胃袋つかまれっちたねー。まあ俺もだけどさァ」と言った。


瀬見「その王子さまはやっぱり進学先は青城か?」
大平「北一の生徒はだいたい青城行くもんな。」
牛島「いや、白鳥沢だ。」
天童「へぇ、やっぱりワカトシくんを追っかけて?」
牛島「いや…中学は学区が違くて同じチームになれなかったから、高校は一緒のところで一緒にプレイしようって約束してるんだ。」
瀬見「ほんと仲良いんだな。俺、幼馴染いねぇから羨ましいよ。」
天童「いいねぇ、料理上手で容姿端麗な年下幼馴染


 若利は口角を上げ、「ああ」と肯定した。
 きっと1年後白鳥沢で紫苑と一緒にバレーができる、そう信じて疑わなかったのだ。
 ひょろひょろした体格からは想像できないほどの強く鋭いスパイク。時が止まったようにすら見える美しい空中姿勢、ぐっと溜め込み、放つ。体幹が良く、どこに力を入れれば強いスパイクが打てるか熟知しているからできる芸当だ。
 きっと楽しいはずだ。去年まで相手コートにいた、あのレシーブもブロックもサーブもスパイクも、あの観察眼も味方になるのだ。

 若利はこのとき1mmも考えていなかった。それが夢のまた夢になってしまうことを。



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