犬飼「ねぇ、紫苑ちゃんの秘密を教えて?」
『僕の秘密?』
ボーダー本部の一画にに紫苑の私室がある。そこはボーダー隊員がよく訪れる。紫苑は法律上の父である忍田との家があるのだが、忍田が仕事であまり帰らないのでボーダー基地内に紫苑の部屋が作られた。忍田は紫苑に対して度を越した過保護なので、家にひとりにしたくないから作ったのだろう。
犬飼「だって俺たち、会ってから俺の話をするばかりで紫苑ちゃんのこと何も知らない気がするんだよね」
『そうかなぁ…』
不思議そうにする紫苑。顎に手を添え、伏し目になる。長い睫毛が際立っていた。
犬飼がボーダーに入隊して1ヶ月が経っていた。紫苑と出会ったのは入隊式のときだった。仲良くなったのは銃手について教えてもらってからだ。
そう、この1ヶ月…紫苑は自分から自分自身の身の上話をしていない。この年で、アイドルを目指して、世間ではヒーロー扱いのボーダーでS級の地位にいるのにも関わらず、紫苑はそのことを鼻にかけることも自分から言うこともない。アイドルをやっていると言うのも、ボーダー内の噂からだった。
『例えば、どんな?』
犬飼「んー、好きな食べ物は?」
『ははっ、そこからね!卵とろとろのオムライスとかハンバーグとか…
甘いものとかかな?』
犬飼「結構子供っぽいなぁ。ボーダー入って何年経つ?」
『ボーダーか、正確な年月はわからないけど今のボーダーができる前からいるよ。』
犬飼「じゃあ、2年以上前からか。
師匠は忍田本部長だよね?」
『孤月は真史さんだけど、戦闘や戦術を教えてくれたのは違う人なんだ。』
犬飼「それはどんな人?」
『強くて優しい人だったよ。僕はその人に引き取ってもらったんだ。』
犬飼「引き取ってもらった?」
『僕は、両親に捨てられたんだ。言うところのネグレクトかな。』
犬飼は息を呑んだ。
紫苑の小さな口からぽつりと溢れる言葉はとても残酷な物だった。
星野紫苑は本名ではない。母親の旧姓を使っているのだ。
空海寺紫苑、それが本名だ。
空海寺家とは室町から続く世界でも有数の財閥で、漫画みたいな話だが空海寺家には古くからの“掟”がいくつかあった。そこには双子は魂が半分で産まれてきてしまうため、その魂を1つにしなくてはいけない。だから、どちらかを殺さなければならないというものであった。
紫苑は双子だった。
2人は二卵性で常盤は父、紫苑は母に似ていた。
『お父様は僕に興味がなかった。家族より仕事が好きらしい。
お母様は僕が嫌いなんだ。
僕の
頭がおかしいと、紫苑を閉じ込めたのだ。
物心ついたときには、屋敷で1番奥の部屋に一人きりだった。
壁中に置いてあるたくさんの本と、白いグランドピアノ。
それが紫苑の遊び相手だった。
『あるとき、兄の誕生日パーティーをやっていたんだ。』
紫苑はいつものように、ピアノを弾いて歌っていたら男の子が来た。
綺麗な金髪の碧眼の男の子。そこで紫苑は見つかった。
『その後、お母様の弟の星野奏真に引き取られた。』
犬飼「その人が師匠?」
『うん。おじさんは僕に副作用があることに気づいたんだ。』
そこから紫苑はボーダーに入って、奏真に戦術や戦闘を教わった。
トリオンの多さから、罪子でも役に立てることを知ったのだ。
『そこから、スカウトされてモデルをやったんだ。』
犬飼「知ってる。忍田さんがアルバム作って、見せびらかしてたよ。」
『げ……、リビングにも本部司令室にもあったんだよね。何冊あるんだ…。』
犬飼「おじさんはさ、」
『5年前に
奏真は、紫苑の目の前で
しかし、奏真は死ぬ間際に「お前はこれからたくさんの世界を見なければならない」そう紫苑に残した。双子という理由で、心を読まれて気味が悪いという理由で、産まれながらにして持つ人間の権利を剥奪された紫苑の、普通の、人間としての幸せを奏真は願ったのだ。
犬飼「紫苑が生きてて良かったよ。
紫苑が生きてなければ、俺たちは出会ってないし、銃手もなかったし、大規模侵攻での被害者はたくさんいたと思う。」
犬飼「だから、産まれてきてくれてありがとう。」
紫苑は空っぽの人形なんかではない。
心優しい、普通の少年だ。
ボーダーにも犬飼にも必要な人間なのだ。
紫苑は初めて奏真に誕生日を祝われた時のことを思い出した。