はじまりの予感 8

「倉持海斗、か…」

一日の仕事が終わった帰り道。
俺は海斗から貰った名刺を見遣り、海斗のことを思った。
ゲイ向けのAV業界からスカウトされた。
しかも何度もイカされて、失神までさせられた後に。

無意識に名刺を裏返し、何も印刷されていない裏側まで無意味に確認したりして。
すぐにはこの道から抜け出せないのもわかっているし、海斗からの誘いを受けたら、間違いなく、この世界にどっぷりと足を踏み入れることになるだろうこともわかっていた。

時間はまだ日付が変わる前で、俺は今夜の寝床になる常連客の佐々木さんのところへ向かっている。
佐々木さんはドMで受けの50前のおじさんで、店には内緒で個人的にメールを交わし、時々寝床を提供して貰っているのだ。
佐々木さんはうちの店から程近いマンションで一人暮らしをしていて、独身で恋人もいない人だから、佐々木さんには悪いけど何かと都合がいい。

基本的に仕事は日中だけにして、夜には上がって寝床を探した。
別に店が用意してくれた寮に入ってもよかったが、そこまで縛られたくはない。

表通りの雑居ビルの隣にある佐々木さんのマンションはオートロックで、ナンバーキーを解除して中に入り、エントランスで佐々木さんちのインターホンを押し、着いたことを告げてエレベーターに乗り込む。

佐々木さんはIT企業に勤めるエリート社員で、最上階の部屋に住んでいる。
今んとこ最上階に住んでいるのは佐々木さんだけで、エレベーターに乗ってしまえば最後、必要以上に住人と顔を合わせずに済むから有り難かった。

今日も誰とも顔を合わせることもなく、数分で佐々木さんの部屋に着いた。

「お帰りなさいませ」

ドアを開けると玄関先に、三つ指をついて頭を下げる裸エプロンの佐々木さんに迎えられて、

「ただいま」

さも自分の家だというように振る舞い、家の中へと向かう。

「先にお食事になさいますか?お風呂も沸いておりますが。それとも……」

その後に続く変態的な台詞を遮るように、

「食事がいいな」

そう言うと佐々木さんは残念そうな顔をした。
先にダイニングに向かう佐々木さんの尻には、極太サイズのバイブが埋まっている。

玄関先で手荷物を佐々木さんに預ける代わりに、俺は佐々木さんから三つのリモコンを手渡された。


Bkm
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