やがて日が暮れ、辺りは暗くなる。なかなか戻って来ないキララさんを案じてか、カツシロウさんは落ち着かない様子だった。するとそこに、足早に駆けてくる音が聞こえる。振り返ると、キララさんが息を切らせて戻ってくる所だった。
 
「皆、爺様の所に…!」
 
それを聞き、カンベエさんが漸く腰を上げる。キララさんは頭を下げ、村人の非礼を謝った。
 
「すみません、気を悪くしないで下さい」
「うむ…」
 
怒ってはいない様だが、カンベエさんは複雑な表情を浮かべていた。そして、私達はキララさんの案内で、村の長であるギサクさんの家へと向かう。戸口までやって来た所で、前を歩いていたキュウゾウさんが中に入らず横へとずれた。
 
「?、入らないんですか…?」
「ここで良い」
 
思わずそう尋ねてしまった私に対し短い返答を返すと、キュウゾウさんは早く入るようにと目で私を急かした。その横を通り抜け、躊躇いながらも中へと足を踏み入れる。家には村の男達が集まっており、皆一様に怯えたような目で私達を見つめていた。そして、その目が私の姿を捉えると、一瞬にして家の中に囁き声が走る。
 
「娘っ子じゃねぇか」
「あの娘も、おサムライ様か?」
「刀さ持ってんだ、そうに違ぇねぇ」
 
そのざわめきに飲まれてしまったかの様に、足が竦み、私はそれ以上踏み出す事が出来なくなってしまった。一番奥、囲炉裏の前に座っているのが村長のギサクさんだろう。その顔には深く皺が刻まれていて、年齢と、それに伴う威厳を感じさせる。ギサクさんの傍に腰を降ろしたカンベエさんが、私に気付く。
 
「…どうした」
「あ、あの、私…」
 
何と言えば良いのか解らず、口籠ってしまう。だが、カンベエさんは私の心情を察してくれたようだった。
 
「入り辛いのであれば、外で待っておれ」
「あ…は、はいっ」
 
慌てて戸口へと向き直り、外へ出る。少しでも早く、この視線から逃げ出したい気分だった。戸を閉めようとした時、ギサクさんがこちらをじっと見つめているのに気付く。私は一瞬迷ってから、小さく礼をして、戸を閉めた。そんな私の様子を、キュウゾウさんが横目で見ていた。とりあえず、私も戸の傍で待つ事にしようと、キュウゾウさんとは反対側に立つ。暫くすると家の中から、カンベエさん達の話す声が聞こえて来た。壁越しなのであまりはっきりとは聞きとる事が出来なかったが、やがてひときわ大きな声が響く。
 
「帰ってくれ!おサムライ様が来たのが野伏せりに知れたら、オラ達皆殺しだ!!」
 
恐らく村人の誰かだろうその声は、怯え、引きつった様な叫び声に近かった。何を恐れているのかと、ヘイハチさんが聞いている。
 
≪大方、ホノカって奴の話しを聞いた野伏せりが、釘刺しにでも来たんだろ≫
「そんな…」
 
唐紅の言葉に思わず呟きを返してしまった所で、はっと口元を押さえる。キュウゾウさんが、いぶかしむ様にこちらを見ていた。私は慌てて顔を逸らす。
 
≪ただでさえこいつには怪しまれてるってぇのに、何やってんだお前…≫
(だ、だって、つい…)
 
頭の中で会話をするというのは、何とも奇妙な感じだった。そんな時、広場から大きな声が聞こえて来る。
 
「オラオラァ!米もある、女も居るってな!」
「き、キクチヨさん?」
 
それはまぎれもなく、キクチヨさんの声だった。中まで聞こえていたのだろう、戸が勢い良く開かれ、中から村人やカツシロウさん達が現れる。
 
「ナマエ殿!何があった!?」
「わ、解りませんっ、広場の方からキクチヨさんの声が…!」
 
それを聞くと、カツシロウさんは広場に向かって駆け出した。シチロージさんや村人達も後に続く。やがてカンベエさんやギサクさん達も家から出て来た。
 
「また余計な騒ぎを」
「本当、凝りませんねぇ」
 
おろおろとしている私とは対照的に、ゴロベエさんとヘイハチさんはどこか楽しそうに言う。カンベエさんの後に続き、私も広場へと向かった。
広場では、米俵と女性を両肩に抱えたキクチヨさんが大太刀を手に立っていた。それを今まで家に隠れていた村人達が取り囲んでいる。中にはクワなどの農具を持った者も居た。
 
「シノッ!!」
 
カンベエさんの前に居た農民が、女性を見て叫んだ。抱えられているあの女性は、シノという名前らしい。
 
「なして隠し蔵が解っただ!?」
「拙者は歴とした武士だが、其の方等の考えは全てお見通しなんだよぉ!」
 
驚きの声を上げる農民に、キクチヨさんが得意げに言う。すると、キクチヨさんの前にギサクさんがゆっくりと歩み出た。爺様…!と村人達からは不安の声が上がるが、ギサクさんは真っ直ぐにキクチヨさんを見つめる。そのまま何も言わないギサクさんに、キクチヨさんが大きな声で問うた。
 
「爺ぃ!なんか文句あっか!?」
「うんにゃ、これでええ」
 
ギサクさんの答えに、キクチヨさんは満足そうに笑った。そして村人達を見回しながら言う。
 
「今さら後戻りが出来ると思ったら大間違いだぜぇ?野伏せりは一度背いた村を許しはしねぇ!」
 
その言葉に、村人達が恐ろしさから身を竦め、不安の声を上げる。キクチヨさんはそれらを払拭するように力強く続けた。
 
「だが!拙者が来たからには大丈夫でござ…」
「んもう!放せってば!」
 
シノさんの言葉で中断してしまったが、キクチヨさんの言う事は村人達に十分伝わったようだった。そう、ここまで来たら、もう後戻りは出来ないのだ。それは、私自身にも言える事だった。
 
「あいつも初めて役に立ちましたな」
 
ゴロベエさんがそう言うと、カンベエさんは小さく笑った。私も、ほっと胸を撫で下ろす。キクチヨさんだって、自分なりに頑張っているんだ、と。
その夜から、カンベエさん達はリキチさんの家に泊まる事となった。流石に私も一緒という訳には行かなかったので、私はキララさんとコマチちゃんの家にお邪魔する事になる。そこではキララさん達のお婆さんである、セツさんも一緒に暮らしていた。キララさん達の両親は、早くに病で亡くなってしまったらしい。私はキララさん達と共に、コマチちゃんの隣に正座してセツさんに挨拶した。
 
「ただいま戻りました」
 
キララさんの言葉に、セツさんは嬉しそうに頷く。
 
「して、サムライは」
「七人連れて来たです!」
「良いおサムライかい?」
「はい、私はそう思います」
 
コマチちゃんとキララさんは、はっきりと答えた。
 
「そうか、それは良かった。良いサムライも少なくなったからのう。この婆様が若かった頃は、大勢居ったもんじゃが」
 
その時の事を思い出すかの様に言うセツさんの頬が、僅かに赤くなる。キララさんとコマチちゃんはその理由が解らないのか、横で互いに顔を見合わせていた。セツさんはすぐ我に返り、居住まいを正すと私の方へ顔を向ける。
 
「して、こちらの方は」
「ナマエです。暫くの間、こちらでお世話になります。…宜しくお願いします」
 
そう言って、もう一度深く頭を下げる。セツさんは固くならなくても良いと、微笑みながら言ってくれた。
 
「礼儀正しい子じゃのう。そなたもサムライか?」
「私は、その…」
「ナマエちゃんは自分の記憶を無くしちゃってるです」
 
口籠った私を見て、コマチちゃんがそう言った。その後を継ぐようにキララさんも口を開く。
 
「ですが、刀を扱う事は出来ます。記憶が戻るまで、カンベエ様が行動を共に、と」
「そうかそうか。色々と苦労も多かろうが、頑張りなさい」
「はい…ありがとうございます」
 
そしてセツさんは、疲れただろうから今日は早く休む様にと言ってくれた。確かに、街から村までの旅では、ろくに眠る事も出来なかった。私はともかく、二人は相当疲れがたまっているだろう。だが、布団で眠るとなると、どうしても服などの汚れの方が気になってしまう。するとキララさんも同じ思いだったのか、
 
「村の外れに浴場がありますから、そこで汗を流してから眠る事にしましょう」
 
と言ってくれた。蛍屋の時は唐紅のせいで入りそびれてしまったので、私はすぐそれに同意した。後で聞いたのだが、あれは私に気付かせるため、わざと機械化の進行を見せたらしい。普段は外側からそんな物が見える事はないそうだ。とはいえ、やはり気になってしまう。同じに見えても、私の体の一部はもう、人間のそれではないのだと。そんな暗い考えを振り払うように、小さく首を振る。今はただ、久しぶりに湯に浸かれる事を、素直に喜ぶ事にしよう。
 
 
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