「ナマエさん!」
 
突然の声に、私はハッとしてそちらを見る。店の戸口に立ち、キララさんとユキノさんが焦った様子で私を呼んでいる。その尋常でない様子に、私は震える足を無理矢理立たせ、そちらに向かう。
 
「追手が来てる!すぐにここを出ないと!」
 
ユキノさんが、まだぼんやりとしている私の腕を掴んで走り出す。転ばないように慌ててそれに合わせて走る。追手―…私は、ぐっと刀を持つ手に力を込めた。
 
「外に追手が!」
 
ユキノさんの声に、ゴロベエさんが飛び起きた。縁側に座っていたカンベエさんとシチロージさんも、静かに立ち上がる。
 
「どこで気付かれましたかな」
「見られておらぬはずだが」
「それもまた戦だ」
 
ゴロベエさんとヘイハチさんの言葉に、カンベエさんはそう答えた。起き上ったヘイハチさんに、ゴロベエさんが皆を起こすよう言う。
 
「床下に外に抜ける水路があります、こっそり船を出しましょう」
 
シチロージさんがそう言った時、向かいの座敷から聞き覚えのある声がした。誰かと言い争うその声を聞き、コマチちゃんが飛び起きる。
 
「んぁ!おっちゃま…!?」
 
向かいの座敷を見やると、丁度キクチヨさんが飛び出してきた。続いて何人ものカムロ衆が現れる。その様子を見た一同は、早くも追手が来た訳を理解する。
 
「あの馬鹿者」
「まったくもって、あいつは疫病神だ」
 
ヘイハチさんとゴロベエさんが思わずそう言ったが、その声はどこか嬉しそうだった。皆、キクチヨさんの無事を喜んでいる。だがそれに浸っている場合ではなかった。
 
「うわっ!来る!」
「わっ」
 
ヘイハチさんはそう言って、私の腕を引いて障子から離れる。キクチヨさんが庭を横切って、こちらの座敷へと突っ込んできたのだ。派手な音を立てて障子戸を突き破り、キクチヨさんが飛び込んでくる。それを見てカンベエさんが声を掛けた。
 
「遅かったな!」
「やぁ、こんな所に居たでござるか!なんだなんだ!暗いぞ暗いぞっ。だが安心しな!この俺が来たからには大丈夫でござる!」
「大丈夫でごさるー!!」
 
コマチちゃんがキクチヨさんの言い方を真似て、拳を振り上げる。キクチヨさんの登場で、張り詰めていた空気が少しだけほぐれたような気がした。しかしすぐにばたばたと足音が聞こえ、追手がこの座敷までやって来る。
 
「キララクン見ぃ〜っけ!」
 
開口一番にそう言った追手はカムロではなく、金持ちのお坊ちゃまと思うような青年だった。私はその後ろから現れた他の追手を見る。その時、紅いコートを着た金髪の男と目が合った。その目が、僅かだが驚いたように見開かれるのを見た気がした。え、と疑問の声を上げる前に、先程の青年がキララさん以外は全く眼中にないような感じで言う。
 
「駄目だなぁ、こんな所に居ては。僕とここを出よう!」
 
キララさんは怯える様に、ユキノさんの陰に隠れる。その時、後ろに居た私は青年と目が合った。
 
「うわぁっ!キミも良いねぇ!刀なんか抱きしめちゃって、可愛いねぇ!テッサイ、あの子も連れて帰るよ!」
 
青年の右隣りに控えていたテッサイと呼ばれた男は、僅かに顔をしかめる。だがすぐさま、私の視界は前に割り込んだキクチヨさんによって塞がれてしまった。あの紅い目も見えなくなる。
 
「よぉし!全員ぶった斬ってやる!」
 
そう吠えるキクチヨさんの前に、シチロージさんが割り込む。
 
「ここは刀はご法度の癒しの里。斬った張ったはご遠慮願いたいもんで」
「お主なかなかの腕と見た」
 
シチロージさんの言葉をまったく聞かず、青年の左横にいた色眼鏡をかけた男がじりっと近付く。部屋の隅にあった燭台を手に取りながらゴロベエさんが言う。
 
「だから刀はご法度なんだって!」
「問答無用!」
 
そう言って斬りかかって来た色眼鏡の男に向かい、ゴロベエさんは手にした燭台に灯っていた蝋燭の火を吹いた。さながら火吹き芸のように、男へと向かって勢い良く火が噴く。驚いた男はその攻撃に怯んで飛びのいた。そこへゴロベエさんを狙い、テッサイと呼ばれた男が斬りかかってくる。ゴロベエさんはそれを避けて、さらに後ろから襲いかかっていた色眼鏡の男の攻撃も避ける。そして後ろへと下がると、サムライ達全員は後ろにキララさん達やユキノさんを守り、円形になって構えた。私もシチロージさんとカンベエさんの隣で円の中に加わっている。
 
「秘儀、畳返し!」
 
そう言ってシチロージさんは、義手の中指から出した鋭い爪を使い、畳をひっかけて持ち上げる。たちまち全員の周りに畳の壁が出来上がった。敵はそれを包囲するように広がりながらも手を出せなかった。
 
「皆を床下へ」
 
シチロージさんの小さな指示に、ユキノさんが床にあった隠し扉を開く。その気配を敵に悟られないように、シチロージさんは大きな声でカンベエさんに呼びかける。
 
「カンベエ様、久しぶりの戦ですな」
「うむ」
 
カンベエさんはその声に、力強く頷いた。
 
 
 
一行は床下から水路へと脱出した。そこにはすでに船が用意されており、皆がそれに乗り込む。最後に、シチロージさんが船へ乗り込もうとする。それを見たユキノさんが言う。
 
「行ってしまうんだね」
「…すまない」
「ほらやっぱり、サムライをやめられない」
 
ユキノさんは、解っていたのだろう。いつかはこうなる事を。シチロージさんは、それについては答えない。
 
「蛍屋に累が及ばなきゃ良いが…」
「それぐらい、何とでもします」
 
気丈に答えるユキノさんの声に、シチロージさんは振り返る。黙ったまま見つめ合う二人の間には、共に過ごして来た五年という時間と、その終わりを告げる哀愁が漂っていた。二人の間を、蛍がゆっくりと舞う。しかしその雰囲気に気付かないのか、キクチヨさんが口をはさむ。
 
「お取り込み中悪ぃが、敵が来る。乗るなら早く乗るでござる」
「キクの字、めっです!」
 
慌ててコマチがたしなめるが、シチロージさんはその声を皮切りにしてユキノさんに背を向けた。その背に向かい、ユキノさんが手にしていた朱塗りの棒を放る。
 
「忘れもんだよ!」
 
振り向きざまにそれをしっかりと受け止めたシチロージさんは、すまねぇと言って、船に乗り込んだ。そして僅かにユキノさんを見つめたが、すぐに目を逸らしその棒を竿代りに船を漕ぎ出す。ユキノさんは、それをじっと見つめる。その目には抑え切れなくなった涙が溢れていた。ずっと気丈に振舞っていたユキノさんが、我慢出来ないほどの辛さ。それほどまでの、想い。
 
「野伏せりに、やられちまえば良いんだ!」
 
堪らずそう言ったユキノさんの言葉に、私は胸が締め付けられる思いだった。シチロージさんは、ユキノさんを見つめたまま、何も言わない。その横でカンベエさんが小さく、黙礼するように頭を下げた。キララさんが、叫ぶ。
 
「ユキノさん!桃太郎は山ほどお宝を持って帰ってきます!絶対です!」
 
その言葉に、ユキノさんが必死に笑顔を浮かべようとするのが見えた。しかし、耐えきれずにその場に崩れ落ちてしまう。そこで船は水路に入り、ユキノさんの姿は、見えなくなってしまった。
 
「こいつ、桃太郎って言うのか」
 
そんなキクチヨさんの的外れな言葉に、今は誰も、何も言わない。シチロージさんはゆっくりと前を向き、棒で船を操る。向き直り、カンベエさんが言う。
 
「すまぬ事をした」
「私達のせいで…」
 
キララさんも、小さな声で言う。シチロージさんは真っ直ぐに前を見据えたまま、ゆっくりと呟く。
 
「なァに、ちょいとばかり夢を見てただけでさァ」
 
その声がとても自嘲的で、私は悲しくなった。
 
 
第四話、背負う!
 
 
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