ユキノに連れられキララとナマエは湯殿へ行き、後の者は久々の布団で早くも眠りについた。庭に面した障子戸を開け、そこに座る。シチロージはここに来てから覚えたのだという三味線を、静かに弾いた。
 
「不思議な娘ですね、あのお嬢さんは」
「…お主も、そう思うか」
 
先程の事が余程印象的だったのか、シチロージは開口一番にそう言った。
 
「怖い程に純粋だ、真っ直ぐ過ぎる」
「貫かれてしまいそうか」
「えぇ、そんな気すらします」
 
シチロージは静かに言った。見た目は普通の娘と変わらない。大人しく、目立つような事もない。けれど一際強い存在感を放つ少女。
 
「刀を持っていましたが、あの娘も、サムライで?」
「否定しているが、解らん。腕はある…が、それもどこか違和感が拭えん」
「どういう事でしょう」
「あやつには、己の記憶がない」
「!、記憶喪失ですか」
 
カンベエは静かに頷く。どこから来たのか、なぜ刀を持っているのか、それを扱えるのか。彼女は一体、何者なのか。ナマエの事を、自分達はまだ何も知らない。彼女自身も、己の事を何も知らない。覚えて、居ない。
 
「ではなぜ、共に」
「拾ってしまった手前、捨て置く訳にもいくまい」
「仕方がなく連れていると?」
「…始めはな」
 
カンベエは苦笑気味に呟く。そう、始めはただ、記憶も行く当てもない少女を追い出す事など出来ず。ましてサムライ狩りの中、刀を持っていてはあらぬ誤解を受けてしまい、マサムネの所に預ける訳にも行かず。だからといって、その刀はナマエにとって唯一の手掛かり、手放す事は出来ず。仕方がなく、連れて来た…その通りだった。出来る事なら、道中どこか落ち着ける場所に残して行くつもりだった。ナマエはカツシロウのように自らサムライを志している訳ではない。しかし、刀を持ち、戦う力を持っている以上、農民は彼女に戦うようにと願うだろう。ナマエに、人を殺せと願うだろう。カンベエは、何も知らないあの無垢な少女に、そのような事をさせたくはなかった。しかし、ナマエはこの場所で、この仲間の中で、自分の居場所を見出そうとしている。希望を見出そうとしている。そしてまた、仲間達もそれを受け止めようとしている。すでにナマエの存在は、一行の中で大きな意味を持とうとしていた。カンベエにとって、それはもうどうしようもない事だった。いずれあの娘は、生きる為、希望に縋る為、仲間の為に…人を殺すだろう。後はもう、堕ちて行くだけ。
 
カンベエは静かに、とてもとても、自嘲的な笑みを浮かべた。シチロージは何も言わない。その笑みの意味も、カンベエがどれほど深い闇を背負っているのかも、古女房は知っている。そしてシチロージは静かに、話題を変えた。
 
「…それにしても。良く解りましたね、私が生きていると」
 
カンベエはシチロージの気遣いを察した。そのまま、二人の男は遠い空に思いを馳せながら、再会を喜び。そして、再び共に戦場に立つ事を、誓うのだった。

 
 
 
 
 
ユキノさんの好意により、久しぶりにゆっくりと風呂に浸かれる事を、私は素直に嬉しく思った。汚れた服や、砂の混じった髪が気にならなかったと言えば嘘になる。けれどそれどころではなかったのだから、仕方がないと我慢していた。それはキララさんも同じ思いだったのだろう、どこか嬉しそうに見えた。そんな細かい事にも気付いて気を利かせてくれるユキノさんの事を、改めて素敵だと思う。やって来た脱衣所で、私はそんな事を考えながら、着物を脱ごうと手を掛けた。そこでふと、左足に感じた奇妙な疼きを思い出す。あの時はさほど気にしなかったが、何だったのだろう。そう思い、私は太股の辺りにある着物の裾をそっとはだけ―…そして勢い良く閉じた。
 
「どうかしたの?」
 
ユキノさんの声がするが、私はそちらを向く事が出来ない。裾を掴む手の力が強過ぎて、僅かに震えている。
 
「わ、私…やっぱり、良いです…」
 
途切れ途切れに発した言葉もまた震えており、酷く小さい。
 
「別に恥ずかしがる事なんか無いのよ」
 
ユキノさんがくすくすと笑う気配がする。そしてゆっくりと私に近付き、肩に触れようとした。私は咄嗟に、それを拒むよう振り向く。
 
「本当に、良いんです!っ、ごめんなさい…っ!!」
 
傍に立てかけていた刀を掴み、私は走り出す。
 
「ナマエさんっ!?」
 
キララさんが驚いて私を呼ぶ声が聞こえたが、それはもう、私の耳に入ってはいなかった。
 
どこをどう走ったのか、解らない。気付けば私は、店の裏手らしき場所に居た。堀の傍に立つ柳の木に手をついて、荒い息を吐く。なんで、どうして、こんな事に…そんな思いだけがぐるぐる廻り、頭がまともに働かない。裾をはだけ、左足の付け根に私が見た物。
 
それは、機械。
 
足と胴体とを繋ぐ、無機質な機械だった。恐る恐る、着物の上からその場所に触れる。先程は足がぶっつりと途切れ、それをまた繋ぎ直したように切れ目があった。そこから中の機械が見えたはずだが…触れた感触に違和感はない。いや、違和感は、あった。胴体の部分に変わりはない、しかし、付け根から下の足の部分は、触れているはずなのに感覚の伝わりが鈍い。それはまるで、足を何か別の物で覆ってしまったかのように。そっと、裾をはだけてみる。見た目に変わりは、ない。それどころか、先程見た切れ目もすっかり消え失せ、中の機械も見えなくなっている。
 
「な、んで…」
 
見間違い、だったのだろうか。しかし、さっきまでは確かに自分の足だったはずのそれが、私にはもう別の何かにしか見えなかった。動かしてみても特に不自然な所はないが、けれど自分の足ではないような感覚。そう、まるで左足が機械になってしまったかのような…、
 
≪ やっと気付いたか ≫
 
その声に、私は勢い良く顔を上げた。あの時と、同じ声。しかし周りには誰も居ない。堀を流れる水の音と、風に揺れる柳の葉の音、そして街からかすかに聞こえてくる音しか聞こえない。けれど確かに、聞こえた。私は思わず、刀を持つ手に力を込める。
 
「だ、誰…どこに居るの…」
≪ったく、とんだ間抜けだな。それにひ弱と来たもんだ。こりゃ、いつまで持つか見ものだな≫
 
小馬鹿にするように、その声は笑う。次第に、それが声ではなく、直接頭の中に響いている事に気付いた。
 
「なに、これ…誰、誰なの…」
≪自分が縋りついてる物が何かも解ってねぇのか?≫
「え…」
 
私は、恐る恐る、刀を見る。
 
≪そう、それだ≫
 
反射的に、私は刀を手放していた。
 
「いや…っ!」
≪…随分な扱いだなぁおい≫
 
その…刀、は、不満げな声を上げる。いや、私の頭に、声を響かせる。耳で聞くのではなく、直接頭に入ってくるその不快感から、私は頭を抱えた。
 
≪散々頼っておいて、いざ正体が知れたら化け物扱いか?随分と都合がいいな≫
「あ…あぁ…っ」
≪まぁ、立て続けに訳の解んねぇ事が起こってるんじゃなぁ、無理もねぇかもしんねぇけど。不用意に手を出したお前も悪いんだぜ?≫
「…え…」
 
手を、出した?私が、いつ、何に…?
 
≪覚えてねぇだろうが、お前が俺を起こしたせいでこうなった。自業自得だ≫
「起こ、した…?」
 
何を言っているのか、全く解らない。ただ一つ、今の私でも解る事、それは。
 
「知ってるの…?私の事、知ってるの…っ!?」
≪あぁ≫
 
刀は、短く答えた。頭を抱えていた手を放し、私は膝をついて刀を拾い上げる。
 
「教えて!私は誰なの!?どうしてここに居るの!?ここはどこなの?どこから、なんで…っ!」
≪…うるせぇなぁ≫
 
イライラするような声色に、私はぐっと口を噤む。ふとしたら溢れ出しそうなどろどろした感情を必死に抑え込んで、刀の言葉を待つ。
 
≪俺は便利な相談役じゃねぇし、それについては答えられねぇ≫
「なに…それ…」
≪まぁ、黙って聞いとけ≫
 
刀は、淡々とした口調で語った。
 
≪俺の名は唐紅。ある刀匠の最後の作品として作られ、数多の人を斬り、その血と怨念を吸って生を宿した者。お前達は妖刀なんて呼んでる類のモンだ。永年にわたり戦の道具として扱われたが、刃こぼれ一つしない様に恐れ慄いた奴らによって蔵の奥底へ閉じ込められた。それから何十年、何百年と経った後、俺を見つけたのは時代遅れも良いとこの改造屋だ。戦なんざとうに終わって、野伏せりどころか体をサイボーグにするような奴も居なかった。そんな時代にも関わらず、人間を機械に変える事だけを考えてたイカレ野郎さ。そいつは人里離れた場所で、ひっそりと研究を続けていた。命懸けの改造を行わなくても、徐々に人間を機械に変えていく研究だ。何十年もかけて、それは完成した。だがそいつはそれを試す前に死んじまった。俺に研究の成果をすべて詰め込んでな。…それから俺はまた何十年、何百年と待った。誰かが俺を使うのを待っていた。そいつの研究を、そいつの代わりに試すために。だが、見つかった俺はすぐに箱に押し込められてまた蔵の奥に入れられた。そいつらは貴重だのなんだの言っていたが、そんな事はもう覚えちゃいない。諦めて、俺は眠りについた。このまま朽ちていきゃ良いと思ってな。
 
だが、そこへお前が現れた。蔵の奥から俺を見つけ出し、どういう訳かは知らねぇが、その時まとめてここへぶっ飛ばされた。懐かしいどころじゃねぇ、余りにも昔の記憶と同じ。戦が終わり、アキンドが世を支配し出した時代に、戻って来た。理由は解らねぇが、とにかく俺はこれをチャンスだと思った。あいつの研究を試すチャンスだ、とな≫
 
そこまで黙って聞いていた私は、次第に落ち着きを取り戻していた。いや、あまりに突拍子のない話しの展開に呆然として、何も考えられなくなってしまったという方が正しいだろう。妖刀、人間を機械に変える研究、それを試すために、何十年、何百年待つ…そして、戻って来たという言葉。
 
「ちょっと待って…じゃあ、ここは、私が居た時代じゃないって事…?」
≪あぁ、そうなるな≫
「そんな、そんな事って…」
 
私は体から力が抜けるのを感じ、持っていた刀を落としそうになった。とすっと両手が足の上に落ちると、その右と左で感覚の伝わりが違う事に気付き、ある事を思い出した。
 
「じゃあ、この足はあなたが…!」
≪そうだ、俺に組み込まれていたナノマシンが体内に入って体の構造を組み替えている。見た目は皮膚と同じように見えるが、それも薄い装甲だ。中ももう機械化が終了している≫
 
中、と言われ、私は見えない足の中を想像して寒気を感じた。流れているのは血液じゃなく、無数の電気信号。支えているのは骨じゃなく、太い金属とケーブル。それらを覆っているのは肉じゃなく、皮膚に近い感触の装甲。人間の足じゃない、機械の、足。
 
≪他にもここへ来てすぐ、神経系や体の一部は俺の力が及びやすいよう組み換えさせてもらった≫
「ち、から…」
≪カンベエって奴を相手に戦った事を、忘れた訳じゃねぇだろ≫
 
そう言われ、私はあの時の事を思い出す。初めてカンベエさんに会った時、怒った侍達に巻き込まれ一緒に襲いかかってしまったこと。それを打ち伏せようとしたカンベエさんに、体が無意識に反応して抵抗したこと。そしてその後も、集中が途切れるまで戦ったこと。あれは全部…。
 
「あなたの、力…?」
≪そうだ≫
 
唐紅は答える。
 
≪俺自身にも、使い手に剣の腕を与える力がある≫
「剣の腕を、与える…」
≪使い手が死んじまったら、俺はまた動く事も出来なくなっちまうからな。あいつがナノマシンを組み込む媒体に俺を選んだのもそういう理由だ≫
 
機械化が終了するまで、持ち手がずっと手放さないような物。そして、その持ち手が死んでしまう事がないように守る物。それには唐紅がうってつけだったという訳だ。
 
≪現にお前は、これを知っても俺を捨てる事は出来ねぇはずだ≫
「…っ!」
 
私の心を見透かす事が出来るのか、唐紅は皮肉気な声で言う。そう、私はこの刀を捨てる事は出来ない。私がここに居られるのは、僅かなりとも戦う力があってこそ。刀を持っていてこそだ。そしてこの刀は、失った記憶への唯一の手がかりでもある。それを捨てるのは、今の居場所を捨てること。自分の記憶を取り戻すための、たった一つの手がかりを捨てること。私には、そんな事を出来る勇気はなかった。
 
≪俺を、受け入れろ。こうなった以上もうどうする事も出来ねぇ。そのかわりお前が戦う為の力は貸してやる≫
 
その言葉に、私は―…
 
 
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