ゴロベエさんが上の様子を見てくると言い、梯子を登って行った。機関室ではヘイハチさんがあちこちに油を差し、真剣な表情で計器盤を見ている。私達は不安げな表情でそれを見つめていたが、カンベエさんだけは壁に寄りかかりながら静かに目を閉じていた。
 
暫く経った頃。ふいに静電気のようなピリッという妙な感覚が走り、私は窓の外に目を向けた。すると、坂を駆け下りてくるカムロ衆と鋼筒の姿が見える。同じく気付いた様子のカンベエさんに顔を向けると、カンベエさんは黙って頷いた。そしてカツシロウさんに目を向ける。
 
「カツシロウ、リキチ達と貨車へ」
「えっ、はい!」
 
突然の事にカツシロウさんは一瞬戸惑ったが、すぐに返事をして皆の誘導を始める。
 
「お主も行け」
「は、はい…」
 
カンベエさんは私にそう言うと、梯子も使わず下の機関室へと降りた。そこでヘイハチさんの足元に置かれていたウィンチを手に取る。それはあの時、マサムネさんの工具の中からヘイハチさんが選び出した物だった。
 
「お気に入りを使わせてもらうぞ」
「はぁ」
 
ヘイハチさんは何に使うのだろうと、いうような声で返事をする。
 
「機関車と貨車を切り離す、お主は鉤爪を貨車へ」
「承知しました」
 
カンベエさんの短い説明で納得したように、ヘイハチさんは今度ははっきりと返事を返す。鉤爪をヘイハチさんに渡し、ワイヤーを伸ばしながらカンベエさんは梯子を上へと登って行く。
 
「さ、ナマエ殿もこちらへ」
「あ、はい」
 
カツシロウさんの声に気付き、私もキララさん達と共に貨車への移動を始めた。ヘイハチさんが貨車に鉤爪を取り付け、カンベエさんの指示に「承知しましたぁー」と返事をするのが聞こえる。一体何をするのだろうかと、私達はただ不安げな顔を見合わせていた。ふと、滑車が急激に速度を上げる。走っているというより落ちていく感覚に、胃が浮き上がる様な気持ち悪さを覚える。暫くすると、ガキンという鈍い音と共にその浮遊感はおさまった。しかし次の瞬間、足元からもくもくと黒い煙が貨車の中へと流れ込んでくる。
 
「な…!?」
 
カツシロウさんが小さく驚きの声を上げる。私も貨車に異常が出たのかと思い、不安になった。全員何を言う事も出来ずに顔を見合わせる。しばらくすると扉が開き、カンベエさんが現れた。途端に、開いた扉から大量の煙が流れ込んでくる。カンベエさんはそんな事には構わず、カツシロウさんに指示を出す。
 
「あと僅か速度が緩み次第、軌道へ飛び降りるぞ」
「え…は、はい!」
 
カンベエさんのその言葉に、驚きの声が上がる。しかしカツシロウさんは焦りながらも返事を返す。丁度その時、鈍いブレーキが掛ったかのように貨車が揺れた。そのまま徐々に減速していく。
 
「覚悟は良いな」
 
カンベエさんが扉から身を乗り出し、全員に声を掛ける。列車は速度を落としながら停車場に向かっていく。十分に近づいた所で、カツシロウさんが振り向いた。
 
「飛ぶぞ、皆!」
「はいっ!」
 
傍にいたキララさんがそれに返事をした直後、貨車が大きく揺れる。ぐらりと、一瞬また落ちそうになった貨車は何とか持ち上がった。
 
「今だ!」
 
カンベエさんの声を合図に、カツシロウさんが真っ先に飛び降りる。すぐさま振り向き、早く!と言って差し出された手に助けられ、コマチちゃんとキララさんがそれに続いた。前に居たリキチさんも、よろけながらなんとか停車場に降りる。それに続こうとした私の腰に、ゴロベエさんがさっと手を回す。そのままふわりと持ち上げられるようにして、一緒に停車場へと降り立った。
 
「あ、ありがとうございます…」
「いやなに、気にするな」
 
そう言って、ゴロベエさんは私を支えていた腕を放した。カンベエさんは上に登り、ヘイハチさんと共に屋根の上から列車に居るキクチヨさんを見上げている。
 
「キクチヨ!もうよい、退避しろ!!」
 
その声にキクチヨさんへと襲いかかっていた鋼筒が気付き、こちらに向かおうとする。キクチヨさんがそれを阻止しようとした時に、鋼筒の振り下ろした太刀によってワイヤーが切れた。支えを失った貨車が、再び落下し始める。
 
「先生!」
 
カツシロウさんの焦った声で、カンベエさんとヘイハチさんが停車場へと降りる。ヘイハチさんは危なっかしく前によろけたが、なんとかその場に踏み留まった。私やゴロベエさんはキクチヨさんが心配になり、線路の方へと駆け寄る。列車の上ではキクチヨさんが未だに鋼筒と戦っていた。貨車の重みに引っ張られ、列車は速度を上げて行く。線路の先は先回りしたカムロ衆に爆破されたのか、大きなクレーターが出来ていた。このままでは、そこに突っ込んでしまう。
 
「構うな!退避しろ!!」
「キクチヨーッ!!」
 
カンベエさんとゴロベエさんが叫ぶ。列車はキクチヨさんを乗せたまま、停車場を勢い良く通り過ぎる。キクチヨさんは鋼筒を一体薙ぎ倒すと、しっかりとこちらを見上げ叫んだ。
 
「おめぇら!農民共を絶対助けてやれよーッ!!」
 
そして残りの鋼筒に向き直る。黒い煙がキクチヨさんと鋼筒の姿を覆い隠し、もうどうなっているのか解らない。列車はそのままの勢いでクレーターへと向かっていき、ついに貨車が分断された線路から飛び出した。続いて列車も次々に脱線していく。キクチヨさんの乗った最後尾の列車も、勢い良く壁に叩きつけられ、そのまま下へと落ちて行った。黒い煙が濛々と立ち上ってくる。それを見つめながら、誰一人、言葉を発する事が出来なかった。
 
 
 
暫くの間、沈黙がその場を支配した。横に立っていたカンベエさんがぐっと息を飲むのが聞こえて、私は顔を向ける。やがてカンベエさんは音も無く背を向け歩き出した。そして静かに、
 
「行くぞ」
 
と、それだけを告げる。その言葉を聞き、皆に動揺が走った。
 
「キクチヨ、殿は…」
 
カツシロウさんが思わず問うが、カンベエさんは振り向きもせず、歩みを止める事もしない。その背中を見て、カツシロウさんは声を荒げる。
 
「そんな!先生らしくない!」
 
だがカンベエさんは止まらない。ただ静かに、答える。
 
「儂は今までも、多くの同志の屍を踏みつけてきた。…そういう、男だ」
 
その言葉に立ち尽くすカツシロウさんの横を抜けて、ゴロベエさんとヘイハチさんが、カンベエさんに続いて行く。横の方で、キララさんとコマチちゃんが、涙に震えながらその背を見つめていた。私は、何も言う事が出来ない。そこから動く事も出来ない。すると突然、コマチちゃんが走り出した。必死にカンベエさんの前まで回り込むと、その小さな足で、カンベエさんの足を蹴飛ばす。それには、さすがにカンベエさんも足を止めざるを得なかった。コマチちゃんは小さな体を広げ、カンベエさんを通らせまいとする。目には今にも零れ落ちそうなほど涙が浮かんでいた。
 
「おっちゃまは?」
 
カンベエに向かってそう聞いた途端に、それはぼろぼろと溢れ出す。
 
「おっちゃまは?う、うっ…おっちゃま…うぅ、うええぇ…っ!」
 
泣きだすコマチちゃんに、誰も、何も言う事が出来ず、動く事も出来なくなった。私は、張り裂けそうな胸をぐっと抑える様に、胸に抱いた刀を強く握った。コマチちゃんに掛けてやる言葉が、見つからない。どうする事も出来ない自分が、ただただ情けなくて、悔しかった。
 
 
――― ズキッ
 
 
突如痛んだこめかみを、反射的に抑える。痛みを堪えようと強く閉じた目の裏側が、チカチカと瞬く。爆発、炎上、壊れた列車。目を閉じているはずなのに、まるで壊れたテレビを見ているように、途切れ途切れに映像が見える。壊れた鋼筒、刺さった大太刀。それを引き抜く…キクチヨさんの姿。
 
≪ まだ、生きている ≫
 
「え…っ」
 
不意に聞こえた声に、私は顔をあげた。だが、傍には誰もいない。私の声に気付いたキララさん達が、こちらに顔を向けている。カンベエさんも、肩越しに私を見ている。コマチちゃんだけはそれに気付かず、未だに泣き続けている。その姿をみて、私ははっきりと言った。
 
「…キクチヨさんは、まだ、生きてます」
 
それを聞いて、コマチちゃんが涙で濡れた顔をあげた。全員驚いた顔で私を見ている。カンベエさんがゆっくりと私の方に向き直り、その眼に厳しい光を灯して尋ねた。
 
「何故分かる」
「理由は…上手く、説明出来ません…でも、キクチヨさんは生きてます、絶対に」
「気休めを言った所で、後が辛くなるだけだ」
「そんなんじゃありません…!」
 
私は真剣だった。理由は分からない、けれど今見た光景は本当の事だったという確信がある。カンベエさんから目を逸らさず、私はしっかりと見つめ返した。コマチちゃんがとぼとぼと私に歩み寄り、着物の袖を引く。
 
「おっちゃま、生きてるです…?」
「うん」
「絶対、絶対ですか?」
「うんっ」
 
私はしゃがんで、コマチちゃんに視線を合わせる。刀から片手を外して、その頭を撫でる。
 
「駅でキクチヨさんが敵を足止めしてくれてた時、私、凄く不安だった。乗り遅れちゃうんじゃないかって」
 
コマチちゃんはその時の事を思い出すように、小さく頷く。
 
「でも、コマチちゃんは全然心配なんかないって顔で、キクチヨさんの事を褒めてたよね」
「はいです…おっちゃまは、強いです」
「うん、だから、私も信じる事にしたの。キクチヨさんは強いから、あれくらいの事でやられたりしないって」
「………」
「コマチちゃんはもう、キクチヨさんの事を信じられない…?」
 
静かに、静かにそう問いかけると、コマチちゃんはぐっと涙を堪え、袖で顔を拭った。キッとあげた顔はまだ辛そうだったけれど、それでも強い意志を込めた瞳で私を見つめ返す。
 
「オラ、信じるです!おっちゃまは強いです!絶対絶対生きてるです!」
「…うんっ!じゃあ、早く行ってキクチヨさんを探そう」
「はいです!」
 
立ち上がって差し出した手を、コマチちゃんがぎゅっと繋ぐ。そのまま私を引っ張る様に急かす姿を見て、一同は唖然としていた。
 
「私達は、キクチヨさんが生きているって、信じます」
 
もう一度、カンベエさんを見つめていう。コマチちゃんも一緒に、信じるです!と言ってカンベエさんを睨んだ。そんな私達にカンベエさんは何も言わず、行くぞと言って身を翻し歩き始めた。その態度にコマチちゃんは少し不服そうだったけれど、私は、カンベエさんの目が優しく笑ったような気がして、後に続くように歩き始めた。キララさんが慌てて追いかけて来て、私の横に並ぶ。
 
「…ありがとうございます、ナマエさん」
 
小さく、囁くように言われたそのお礼に、私は首を横に振る。
 
「私は、何もしてません。コマチちゃんが強いんです」
 
そう言って笑うと、キララさんも少しだけはにかんだ。オラもおっちゃまも強いです!と、手をつないで歩いていたコマチちゃんが顔を出して言った。
 
 
 
 
 
「不思議な娘ですねぇ」
 
ナマエ達の背中を見ながら、少し離れて歩いていたヘイハチが呟く。全くだ、と小さく同意しながら、ゴロベエはしっかりとナマエの手を握るコマチを見た。先程まであんなに泣いていたのに、ナマエの言葉ですっかり希望を取り戻したようだ。根拠も何もない言葉だったが、絶対と言い切る彼女の目に、一切の迷いはないようだった。その目を見ていると、自分達まで大丈夫だと思えてくる。戦場に慣れ、仲間の死に慣れ、諦める事に慣れてしまった我々でも。あいつは生きている、そう信じさせるような、力強い目だ。
 
「…全く、面白い」
 
ゴロベエはナマエの背中を見ながら、戦場で感じるのとは違う、不思議な高揚を感じていた。ふっと、楽しそうに笑ったゴロベエを見て、ヘイハチは小首を傾げた。

 
 
第三話、気付く!
 
 
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