ひとまず近い階層の街に辿り着いた私達は、早亀の厩舎に身を潜めた。この階層でもすでにサムライ狩りが行われており、何人ものカムロ衆が辺りを探し回っていた。狭い小屋の中で一所にまとまり、一行は腰を降ろしている。隙間から様子を窺っていたキララさんが戻ってきて、すぐそばまで来ていたカムロが立ち去った事を告げた。
 
「さて、これからどうする」
「斬り込んで活路を見出しますか?」
 
ゴロベエさんの言葉に、カツシロウさんがすぐさま提案する。それはあまりにも危険ではないだろうか、そう言うよりも早く。ぐうぅ〜…と鈍い音を立てて、ヘイハチさんのお腹が鳴った。
 
「腹が減ってはなんとやらですなぁ」
「米持たずに逃げて来ただで、一粒もねぇです。すんません…!」
 
申し訳なさそうに顔を背けるリキチさんに、ヘイハチさんが慌ててそういうつもりではないと否定する。しかし実際、お腹が空いているのはヘイハチさんだけではなく、追手を気にしながら崖をつたうなどして、皆の顔に疲労が浮かんでいた。じっと考え込むように黙っていたカンベエさんが、静かに口を開く。
 
「伝手を頼って落ち延びるか…」
「心当たりでも?」
 
ゴロベエさんの問いに、カンベエさんは顎鬚に手を当てながら答える。
 
「儂の古女房がな」
「奥方が、いらしたんですか」
 
カツシロウさんが驚く。カンベエさんの歳なら、奥さんくらい居るのだろうと思っていた私は、さほど気にならなかった。
 
「まだ、あそこに居ればの話しだが」
 
そう言って、カンベエさんは遠くを見るような目をする。古女房というその人を思い出しているのか、それとも今後の動きについて思案しているのかは解らない。一拍置いてから、カンベエさんは視線を戻す。
 
「日が暮れたらここを出る。それまで、しっかり休んでおけ」
 
その言葉に、全員小さく同意を示した。私は少し楽な体勢になろうと、もぞもぞ体を動かす。その時、左足の付け根に妙な違和感を感じた。骨が軋む様なその鈍い感覚に、私は首を傾げる。しかし深く考えるよりも前に、横に座っているゴロベエさんが私の様子に気付く。
 
「どうした、疲れたか?」
「え?あ、いえ…」
「少し眠っても良いんだぞ。某ので良ければ、肩なり膝なり貸してしんぜよう」
「大丈夫です、お気遣いありがとうございます」
「そうか?遠慮はいらんぞ」
 
その様子を見て、ヘイハチさんがおやおやと声を上げる。
 
「ゴロベエ殿、下心が見抜かれているのでは?」
「え?え…?」
「これは参った!役得を期待したのがばれてしまうとは、某もまだまだだな」
 
はっはっは、と笑うゴロベエさんの横で、私は何が役得なのか分からず二人の顔を交互に見た。他の皆も釣られて小さく笑ったが、カツシロウさんだけは少し渋い顔をしていた。
 
 
 
「とても綺麗…」
 
日が暮れた後、再び崖沿いを歩いて行った私達はようやく最下層まで辿り着いた。眼下に広がる煌びやかな街を見て、キララさんが思わずそう言葉を漏らす。コマチちゃんも「凄いです!」と感嘆の声をあげた。あまり縁まで行かないようにと、コマチちゃんの手をつないだまま、私もその光景に見惚れる。
 
「何をするところなんですか?」
 
と、キララさんが横に居たヘイハチさんに問う。するとヘイハチさんは言葉に困ったように口ごもった。そこへゴロベエさんが助け船を出す。
 
「羽目を外して歌い踊り、浮世の憂さを晴らす所、だな」
 
二人の様子に、私は何となくこの場所の意味を察し、思わず顔が赤くなってしまった。カツシロウさんとリキチさんは、心の洗濯場なのかと納得している。
 
「あの塀を渡れば、身分は関係ない決まり。アヤマロの力もここには及ばぬそうです」
「建前ではそうだな」
 
ヘイハチさんが説明すると、ゴロベエさんは含みのある言い方でそう付け加えた。不意にコマチちゃんが顔を上げ、私が俯いてるのに気付く。
 
「ナマエちゃん、どうして赤くなってるです?」
「えっ!あ、あの、その…!」
「なるほど…ナマエ殿も隅に置けませんねぇ」
「そ、そんなんじゃないです…っ!」
 
ヘイハチさんが意地悪っぽく笑うので、私は恥ずかしさでいっぱいだった。わたわたと焦る私を、カツシロウさんやキララさんは不思議そうに見る。
 
「まぁまぁ、別に悪い事じゃないんですから。そんなに焦らずとも」
「そう、ですけど…っ」
 
いつもの笑顔なのに、その声は明らかに私をからかって楽しんでいる。必死に否定する事でどんどん泥沼にはまって行く私を見かねたのか、カンベエさんが行くぞと言って歩き出す。私は急いでその後を追う事で、なんとかその場を逃れたのだった。
 
「あまり虐めてやるな」
「いやはや、つい」
 
そう言って、後ろでヘイハチさんが笑うのが聞こえた。空に警笛の音が響く。それを聞いた一行は、街に向う足を少しだけ早めた。
 
 
 
色とりどりの街灯と、煌びやかな人々が行き交う。どこからともなく漂う甘い香りに、コマチちゃんは良い匂いがするです、といって忙しなく辺りを見回した。私はさっきの事もあり、俯き気味にカンベエさんの後を付いて行く。キララさんやカツシロウさん達は、ここがどういう所なのか分かっていないのだろう、やはり物珍しげに辺りをきょろきょろ眺めていた。賑やかな通りを過ぎ、カンベエさんは街の奥へと進んでいく。暫く行くと橋のかかった堀が見え、それを渡った先に壁を背にした一軒の大きな店が建っていた。街中の派手な装飾を飾った店と違い、そこは蛍と書かれた大きな看板があるだけで、後は落ち着いた雰囲気の明かりが灯っていた。橋を渡った所で、カンベエさんは少しここで待つように言う。店の中へと続く階段を見上げると、細身で長身の男性の傍に、綺麗な着物を着た女性が寄り添うようにして座っているのが見えた。その様子から、私はあの二人が特別な関係なのだという事を悟る。カンベエさんが声を掛けると、男性の方が驚いたように立ち上がった。二人が短く言葉を交わしている間に、女性はそっと後ろへと下がって行く。邪魔を、してしまったのだろう。僅かだが、そんな罪悪感を感じる。だがすぐにカンベエさんが私達を呼んだので、そちらへと向かった。
 
「お世話になります」
 
と、キララさんが階段の上に居る男性に向かって頭を下げた。私とリキチさんも一緒に礼をする。その時、また遠くで警笛の音がした。コマチちゃんが私の手を放し、怯える様に足へ抱きついてくる。
 
「あの音怖いです…」
 
そう言って、少しだけ震えるコマチちゃんの頭を、私はゆっくりと撫でた。私も不安を感じていたが、それをこの子に感じさせまいと強く心を保つ。警笛は、何度も暗い夜の空へと響いていた。
 
戻って来た女性の案内で、私達は店の敷居を跨いだ。途中の座敷からは他の客の声も聞こえたが、女性はそれらを通り過ぎ奥の座敷へと向かっていく。着いたそこは周りの襖が金色に輝き、天井は高く、とても広いお座敷だった。他の座敷とも離れている為に静かで、話しをするには丁度良い。しかしこの人数にしては広過ぎたので、私達は入口近くの、この座敷で言う四分の一程度の場所に纏まって座った。私はヘイハチさんの隣に腰を降ろし、その横にカツシロウさんが座る。全員が落ち着いたのを見ると、女性の方が廊下に面した障子を閉め、先程の男性の傍に座る。それを見届けたカンベエさんは、早速紹介を始めた。
 
「これが儂の古女房、シチロージだ」
 
シチロージさん…女性の名前にしては珍しいなと思い、まず男性を見る。ただ、カンベエさんはどちらを指して言った訳ではなかったので、先程カツシロウさんが言っていた言葉を思い出した後は女性の方を見た。カツシロウさんはすぐ、女性の方に一礼したようだった。
 
「シチロージ…」
 
反芻するように呟くその声は、どこかぼんやりしている。少しだけ、カツシロウさんの頬が赤くなった気がした。しかしそんな私達の様子を見て、カンベエさんが気を引くように咳払いをする。
 
「カツシロウ、こっちだ」
 
そう言って、カンベエさんは手で男性を差す。その男性、シチロージさんが小さく会釈した。
 
「馬鹿、古女房を文字通りにとる奴があるか」
 
ヘイハチさんがカツシロウさんの様子を見て言う。カンベエさんも笑いながら、長年戦で苦楽を共にした男だと説明した。あっと気付いたように小さく声を上げ、カツシロウさんは「なるほど…」と呟く。
 
「では、こちらは」
「ユキノに御座います」
 
ゴロベエさんの問いに、女性の方、ユキノさんが小さく礼をして名乗った。
 
「シチロージ殿の奥方か。いやぁお美しい」
「いやですよ、奥方だなんて」
 
そう言って笑うユキノさんは、ゴロベエさんの言う通りとても綺麗だった。違うと言いつつも、どこか嬉しそうな笑顔。それを見てヘイハチさんもユキノさんの気持ちを察したのか、馴れ初めを聞きたいと切り出す。
 
「いやなに、川で拾ったんです」
「拾ったですか?」
 
その言葉に、コマチちゃんも私達も驚く。ユキノさんはその時の事を思い出すように、少しだけ遠くの方を見て語る。
 
「もう、五年になりますか…」
 
店の裏手の川で、流れて行く脱出用の冷眠ポッドを見つけ、慌てて拾い上げた。すると中には重傷を負った侍が入っていて、急いで介抱をしたのだという。その時、シチロージさんの左腕はもう使えないような状態になっていて、神経まで死んでしまう前にと、義手に付け替えてしまったらしい。それからなんとかシチロージさんは回復し、以来ここ蛍屋で太鼓持ちとしてお世話になっているそうだ。
 
「川で拾ったとは、まるで桃太郎だ」
「そうですね。桃に入ってどんぶらこどんぶらこ、ってさ」
 
ヘイハチさんの言葉を聞き、ユキノさんはくすくすと笑う。そんな言動の一つ一つがとても艶やかで美しく、女の私でも思わずドキリとしてしまうような、素敵な人だと思った。きっと、シチロージさんの事をとても大切に思っているからこそ、こんな綺麗に笑えるんだろう。そう思うと、なんだかちょっとだけ、二人が羨ましくみえた。
 
私がそんな事をぼんやりと考えている内に、スッとシチロージさんが身を正す。話しを切り出すタイミングを待っていたのだろう、ずばり本題に入る。
 
「アヤマロに追われておいでで」
「何故か目の敵にされましてなぁ」
 
その問いにはゴロベエさんが答えた。
 
「都の勅使が斬られたとか」
「サムライ狩りはそれ故だ」
「とんだとばっちりで」
 
カンベエさんはそこで一旦言葉を置き、顔を僅かにシチロージさんへと向ける。
 
「アヤマロに攻められたら、この城どれ程の間食い止められる」
「ひとたまりもないでしょう」
 
シチロージさんはにべもなく答えた。しかしすぐに言葉を続ける。
 
「そのかわり抜け道があります」
「…虹雅峡の外に通じているのか?」
 
カンベエさんの問いかけに、シチロージさんは静かに頷いた。
 
「式杜人(しきもりびと)の住処を抜けるのが難点ですが」
 
式杜人?聞きなれない単語に、疑問符を浮かべる。しかしその事について質問するよりも早く、ゴロベエさんが口を開く。
 
「我等を通してくれますかなぁ」
 
その言葉に、シチロージさんはふっと眼を細め、静かに答えた。
 
「さぁ、皆行ったきりですから」
 
私は僅かに身を竦めた。皆も同じように、その言葉の意味を想像して黙っている。座敷に暗い沈黙が流れた。
 
 
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