「平和島さん」
 
冷たい夜の空気に、女の声は良く響いた。男は驚いた様子で振り返る。
 
「名前…?」
「お久し振りです、平和島さん」
「お前、どうしてここに…」
 
女がそこに居る事実を認める事が出来ずに居るのか、男は何度もその存在を確かめる。対する女はここに居る事がまるで当たり前かのように、淡々と言葉を続けた。
 
「平和島さんにお会いしたくて来た、と言った所で貴方が信じて下さるかは解りませんが、予め申し上げて置きますとこの件に関してあの人は何の関係もありません」
「…まだ、臨也の所で働いてるのか」
「はい。…本日のお仕事はもうお済みですか?出来れば場所を移したいのですが」
「あぁ、ここからなら家のが近ぇんだけど…」
「平和島さんさえ宜しければ、お邪魔させて下さい」
「ん、解った」
 
男はまだ納得しかねている様子だが、それでも女を自宅へと招いた。台所を借り、女が持参した珈琲を淹れる。
 
「平和島さんは、砂糖二つとミルクでしたね」
「よく覚えてるな」
「貴方に関する事で、忘れた事なんて一つもありませんよ」
 
意味あり気な女の言葉に、男は顔を上げる。然し女の表情に何ら変化は無く、ただ静かに、香り立つマグカップの一つを差し出した。隣り合わせにソファーへと腰掛けたまま、暫しの沈黙が流れる。先に口を開いたのは、男の方だった。
 
「話し、って」
 
視線は手元へと落とされたまま呟かれる様に発せられた声には、どこか躊躇いの色が漂っているようだった。女は口元へと運びかけていた手を止め、下へと降ろす。真っ黒な液体がカップの中で揺らいだ。
 
「これと言ってお話ししたい事があった訳ではありません。強いて言えば、平和島さんが最近どうしていらっしゃるのかと、気になりまして」
「んな事、アイツのとこに居れば自然と耳に入って来るんだろ」
「いいえ、あの人は意図的に貴方に関する情報を私から遮断しているようなので」
「は?何でそんな事」
「あの人の意図までは量りかねます」
 
無表情のまま、抑揚の無い声音で受け答えをする女に対し、男の感情はとても解りやすい形で現れていた。会話の途中、男は一度反射的に女の方を向いていたが、やがてゆっくりと元の位置へと戻された。女が口にする液体よりも明るく薄い色をしたその茶色の液体を、静かに眺める。
 
「お前、変わったな」
「変わった、と言いますと」
「前はもっと…なんつーか、楽しそうだった。元々あんま明るい方じゃなかった気がすっけど、それでも今みたく機械みてぇな話し方とかはしなかったし、ちゃんと、笑ったりもしてた」
 
女は不思議そうに小さく首を傾げながら、言葉を紡ぐ男の横顔を見詰めていた。その目がそっと、細められる。テーブルの上に、コトリとカップの一つが置かれる。女は緩やかに身体を捻り、男の足へと空いた手を添えた。ぴくりと、驚いた様に男の肩が小さく跳ね、二人の視線が交わる。
 
「諸行無常という言葉があるように、この世に不変のものなどありえません」
 
コトリ、と。女の手に誘われるようにして、男の手からもカップが離れていった。女のしなやかな指が男のサングラスを取り去り、その瞳を露わにする。驚きと困惑が浮かぶその瞳の中に、女の姿が映り込む。同じように、女の瞳にも。それ程までに近い距離。
 
「けれど私はあの頃からずっと、今でも、静雄の事が  」
 
言葉の続きは、互いの唇に溶けて行った。今や女の瞳は閉じられ、男を映しては居ない。逡巡の後、男はそれを受け入れた。やがて二つの身体は重なり合う様にソファーへと倒れて行く。
 
 

110128
臨也のコレに続いてる。
 
 
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