ビシリと嫌な音を立て、握り締めたグラスに亀裂が走る。視界の隅で名前が目を見開いた気がしたが、俺の意識は既にそちらには向いていなかった。窓の向こう側、歩道の片隅に数人の集まりが見える。それだけならどうと言う事も無かった。通行の邪魔だろうが、と多少イラつくだけで済んだ。だがその内の一人がこちらに気付くと、仲間に何かを囁きながら、俺の方を指差したのだ。
 
「し、しずおくん、グラスが割れそうだよ…!」
「……悪ィ、ちょっと出てくる」
「え?えっ?」
 
戸惑う名前の声を無視して席を立ち、外へと向かう。テーブルに置いたグラスは辛うじて形を保っていた。先程の奴等は相変わらず俺の方を見ながら、揃いも揃ってその顔に胸糞の悪くなるような笑みを浮かべていやがった。うぜぇ、うぜぇうぜぇうぜぇッ!
 
「手前ら…人を指差すなって、親から習わなかったのか…?」
「なあ、お前平和島静雄だろ?」
「池袋でサイキョーとか言われてるチョー有名人らしいじゃないッスかー!」
「今日はデートですかぁ?昼間っから女連れてるとか羨ましいっすわ」
「俺達今ちょっとピンチなんでー、カンパしてもらえません?」
 
こっちの質問を無視して勝手に話し出す相手に、蟀谷がビキリと奇妙な音を立てたのを聞いた気がした。
 
「人の話はちゃんと聞けって、親から教わらなかったのかと聞いてんだろうがあぁぁッ!!」
 
片手を差し出しながら一歩前に出て来た相手の顔面ど真ん中を殴り飛ばす。後方へと吹っ飛ぶそいつに別の奴が巻き込まれる。その光景に驚愕し、立ち竦んでいた他の仲間連中も殴る。殴って殴って殴って、気が付いた時にはいつも通り、遠巻きにそれを眺めていた奴らで出来た歪な円の中心に、俺だけが一人立っていた。
 
「しずお、くん……?」
 
後方から名前の声がする。外の様子に気付いて出て来たんだろう、まあ無理も無い。その声が微かに震えているようだったので、俺は振り返る事が出来なかった。もしも名前の顔が、さっきまで笑顔を向けてくれていたその顔が、恐怖に染まっていたらと思うと、耐えられそうに無かったからだ。いっその事この場から逃げ出してしまうか、さもなければ自分自身を殴り飛ばしてしまいたいと思いながら、けれど動く事も出来ずに拳を震わせていると、突然後ろから誰かが俺の右手を力強く取る。
 
「すごいすごい!人が飛んでっちゃった!しずおくん、すっごく強いんだねっ!」
 
驚いて振り返ると、他でも無い名前が、興奮した様子で顔を輝かせながら、両手で俺の右手を上下に揺さぶっていた。思わず目を見張る。
 
「しずおくんの手、すごく硬い!こんな手で殴られたら痛そうだね。あ、でも喧嘩はあんまり良くないよ!あの人達にどんな酷い事言われたのかはわかんないけど、殴っちゃったら、えっと、傷害罪だっけ?とにかく罪になっちゃうかも知れないんだから!」
「いや、まあ、そりゃあ」
「そうだ!警察に見つかっちゃったら大変!とりあえず逃げちゃおっか、ねっ?」
「あ、ああ」
 
言うが早いか、名前は俺の手を引いて走り出す。これまでに無いパターンの反応に全く以て理解が追い付かず、ただされるがままに然程早くも無い速度で走る名前の後に続いて行く。繋がれた手の暖かさに、何故か無性に泣きたくなるのを堪えながら。

 
 

 

140412
 
 
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