「っはぁ…!こんなに走ったの、何年ぶりかなぁ…!」
 
肩で息をしながらも、名前はそう言って笑っている。俺はといえば、何処かのノミ蟲野郎のせいで散々無駄に学校やら街中を走り回されていたせいで持久力が付いていた事もあり、呼吸一つ乱れなかった。というよりも、走った距離も早さも大した程では無く、あのファミレスからここまでは歩いても数分で着ける程度しか離れていない為に、疲れるよりも先に止まる事になっただけなのだが。まあ、どう見ても運動慣れしているようには見えない名前にはこれでも十分だったんだろう。「しずおくん、全然、疲れてないね…!」という言葉に、取り敢えず「男だしな」と答えて置き、近くにあった自販機で水を購入して名前へと差し出す。それを素直に喜び、礼を言いながら受け取り、早速飲み始めた様を見詰めながら、名前が落ち着きを取り戻すのも待てずに問い掛けをぶつける。
 
「なあ、お前は怖くねぇのか?あんな光景見せ付けられて、俺が怖いとは思わねぇのか?」
 
それに驚いて、少しばかり噎せてしまった様子に僅かながら罪悪感を覚えつつも、返答を急かすようにじっと名前を見詰め続ける。名前は指先で濡れた口元をほんの少し拭うと、俺の方へと身体ごと向き直ってはっきりと告げた。
 
「怖くなんかないよ。だってしずおくんは優しい人だって、知ってるもん」
「……そんなの、昔の話だろ。今の俺がそうだって、どうして言い切れる」
 
名前の言葉はいつかの自分が切望して止まなかったものだったが、全てを諦め、疑うということも覚えた今の俺は素直にそれを喜ぶことが出来ず、露骨に表情が歪んでしまう。それでも名前は怯えるような素振りも見せず、何やら頻りに首を傾げている。
 
「それじゃあ今のしずおくんは、好きであんな風に人を殴ったりしたの?」
 
純粋な疑問として吐き出された問い掛けに対して、俺は咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。単純に考えればそんなのは言うまでもなくNOに決まっているというのに、だ。
 
「それは……そうじゃねぇ、けど…」
「けど?」
「嫌だと思っても、抑えられねぇんだよ……イライラすると目の前が真っ白になって、反射的に手が出てて、気付いたら尋常じゃねぇ力で何もかも壊した後なんだ。知り合いだとかそうじゃないとかも一切関係ねぇ、そんなのどう考えても普通じゃ無いだろ。俺といたら、いつか名前にも怪我をさせちまうかも知れないんだよ、だから……」
 
これ以上は言わなくても解るだろうと、口を噤む。久しく忘れていた酷く惨めな思いがじわじわと胸の内に広がって行くのを感じ、無意識の内に名前から目を逸らしていた事に気付く。「うーん」と小さく悩むような声が聞こえ、その後に告げられるだろう別れに内心で覚悟を固めた時、名前から発せられた言葉はまたしても俺の予想の斜め上を行くものだった。
 
「じゃあさじゃあさ!私がしずおくんを止めてあげられるようになったら、しずおくんのお嫁さんにしてくれる?」
「……お前、今の話聞いてたか?」
「勿論ちゃんと聞いてたよ。本当は喧嘩なんかしたくないのに、力が抑えられなくて悩んでるって話でしょ?私を巻き込まないようにって、心配もしてくれたんだよね?ありがとう、しずおくん!やっぱりしずおくんは優しい人だったね」
 
ほら、とばかりにあっさりと笑い飛ばされてしまい、情けなくも俺は開いた口が塞がらなくなった。都合良く解釈し過ぎにも思えたが、強ち間違っちゃいないのだから否定も出来ない。俺は元々頭の良い方でも無い為、こういった場合他にどう説明すれば良いのかも解らなかった。それに、
 
(……安心、してんのか?俺は……)
 
さっきまで胸の内につかえていた惨めな思いがいつの間にか消え去っている事に気付き、思わず自分の胸に手を当てる。その間に名前はペットボトルのキャップを閉め、それを大事そうに鞄の内へとしまいこんでいた。
 
「走ったらお腹空いてきちゃった!まだちょっと早いけど、ご飯にしようよ、しずおくん!しずおくんの悩みを解決するためにも、詳しい話を聞かせてもらいたいし……あ、今度は外から見えない席に座ろうね!」
「あ、ああ…そうだな…」
 
そう言って名前は再び俺の手を取り歩き出す。こんな風に誰かと手を繋ぐのはいつ以来だったか。そんな事を考えながら、小さなその手を躊躇い交じりにそっと握り返した。

 
 
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140807
 
 
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