一体何が起こったのだろうか。しっかりと鍵で固定されていた筈の台座が突如開き、カンベエさんが跳ね起きる。斧はカンベエさんの眼前を通り抜け、かわりに手錠を繋いでいた太いワイヤーを断ち切って地面へと突き刺さった。観衆から驚きの声が上がる。間髪入れず、カンベエさんは処刑人の顔面を手の甲でしたたかに打ち据える。梟に似た姿をした兵が、手にした機関銃でカンベエさんを狙うも、カンベエさんは傍らの斧を抜き取りその場から跳躍すると、着地点で身を翻して兵に向かって斧を投げつけた。斧は真っ直ぐ敵の胴部に突き刺さり、やがてその兵は爆死する。どうやらあれは野伏せりと同じく、機械の人間だったようだ。カンベエさんは素早く斧を取り直すと、カムロ達に向かってその切っ先を向ける。ほんの一瞬の間に起きた一連の出来事を目の当たりにしたカムロ達は、怖気付き、その場に踏み止まった。
 
「凄い…」
 
見事としか言いようの無い脱出劇に、私は強張っていた肩の力を抜き、安堵の溜息と共に呟く。然し、まだ終わってはいない。カンベエさんは処刑場から続く唯一の道である階段の上を見上げている。そこには椅子に座ってそれまでの一部始終を見守っていたウキョウさんと、傍らに控えるテッサイさんや大差配さんの姿。やがて階段を淀み無く登り始めたカンベエさんからウキョウさんを守るかのように、テッサイさんが立ち塞がる。けれどウキョウさんは徐に椅子から立ち上がると、自ら進んで前へと出た。拍手さえしながら、カンベエさんに笑顔を向けている。これには流石のカンベエさんも戸惑ったのか、階段の途中で歩みを止めた。ウキョウさんは手にして居た拡声器を使って、観衆にも聞こえる様に言う。
 
「おサムライってのはおっかないねぇ。戦するのは、基本的に頭悪い奴のやる事だと僕は思うんだ。もう戦は終わったんだよ?何でそんなに戦したいかなぁ?」
 
小馬鹿にしたような口調。何も言わないカンベエさんに、ウキョウさんは大きな溜息を洩らす。
 
「良いよ。僕は今天主だ、沢山の人の命を預かる身だ。無益な争いは、避けなくちゃいけないからねぇ」
 
そして、突如拡声器を持つ手とは反対の手を振り上げると、「皆ー、聞いてよー!」と、これまで以上に大きな声で言う。回りから戸惑いの声が漏れ出したが、それが届いているのか居ないのか、ウキョウさんは言葉を続ける。
 
「この男が、先代天主への刃傷に及んだのは、先代が攫って来た女達を助けようとした為なんだよ。だからねぇ、良いよ。解ったよ!今までの一切合切不問にして、カンベエ君は特赦として放免にする!それからねぇ、女達はぁ…皆解き放しだー!」
 
その言葉に、戸惑いの声は一瞬にして感心の色へと変わる。だが、ウキョウさんの前評判を良く知る者達は、まだ何処か煮え切らない様に怪訝な表情を浮かべていた。私もまた、あまりに予想外の出来事をどう受け止めれば良いか解らずに居る。カンベエさんがさらに数段階段を登り、テッサイさんが長ドスを抜いて構える中、ウキョウさんの言葉は尚も続いて行く。
 
「先代はねぇ、後継ぎを造る為に女を攫って居たんだ。酷い話しだよねぇ…カンベエ君が怒るのも無理ないよぉ。…テッサイ!女達を解き放しといて、宜しく。それで手打ちだよ、カンベエ君」
 
そこまでを言い終えると、ウキョウさんは踵を返して都へと戻って行こうとする。その背に向かい、カンベエさんが何かを叫んだ様だった。ウキョウさんが歩みを止め、僅かに振り返る。
 
「女達は返す、それでおしまーい。カンナ村にももう行かないよぉ。…残念だけど、あの娘にも宜しく伝えといてー」
 
その言葉から、カンベエさんが何を言ったのかを悟る。カンナ村と、恐らくはキララさんや私の事は如何するのかと問うたのだろう。諦めると言う事は、もう昨夜の様に襲われる心配も無いのだろうか…安心しかけた所で、私はキュウゾウさんの言葉を思い出す。
 
『ウキョウは、底知れぬ男だ。…油断するな』
 
これらが全て計算通りだとは思えないものの、何か釈然としないものを感じるのは確かだ。まだ暫くは注意すべきなのかも知れないと、階段を上がって行くウキョウさんの後姿を見詰めていた、その時。都の中から一人の人影が飛び出して来る。誰かと思い目を凝らせば、それはカツシロウさんだった。如何してあんな所に一人で居るのだろうかと、私は目を丸くする。ただ、カンベエさんを助けに来たのだとしたら、少しばかり遅過ぎた。続いて、カツシロウさんを追って来たのだろう黒ずくめの男がその場に姿を現すと、カツシロウさんが刀に手を掛け身構えたのが解ったが、ウキョウさんはその横を平然と通り過ぎて行く。後からやって来た男も、ウキョウさんと大差配さんに続いて、何もせぬままその場を去って行った。一人その場に取り残されたカツシロウさんは、踊り場に立つカンベエさんを見下ろす。カンベエさんもまた、カツシロウさんをじっと見上げているようだった。
 
やがて、カンベエさん達は都の中へと消えて行き、集まっていた見物人達の姿も少しずつ減り始める。
 
「結局、何もしなくても自力で脱出しちゃいましたね、カンベエさん」
 
色々と聞き込みをして回ったのも全て無駄になってしまったと、私は僅かに肩を竦めて苦笑する。尤も、カンベエさんの無事が確認出来ればそれに勝るものは無い為、実際はそれほど如何という風に思った訳でも無かったが。外套に収めていた弓矢を取り出し、私はほっと息をつく。暫くすると、処刑場や踊り場の役目を果たしていた台座は何処かへと運ばれて行き、それらを繋いでいた長い階段は折りたたまれる様にして都の中へと収容されて行った。そして凄まじい風と轟音を轟かせながら、都は再び空へと飛び立って行く。私は巻き上がる砂埃を外套で防ぎながら、改めてその大きな戦艦をじっと見上げていた。
 
 
 
不意に、遠くの方から聞きなれた声が響いて来る。姉様と呼んでいるその声の持ち主は、紛れも無くコマチちゃんだった。駆けて行く先にはキララさん、そしてさらに向こうにはキクチヨさんやカツシロウさんの他にも、カンベエさんや解放された女の人達の姿が見える。橋の途中で嬉しそうに抱き合うキララさんとコマチちゃんを見て、ほんの少しだけ、寂しさを覚えた。そんな私の様子に気付いたのか、キュウゾウさんが不意に言う。
 
「行け」
 
驚いてキュウゾウさんの方へと振り返ると、私を真っ直ぐに見詰める紅色の双眸があった。驚きや戸惑いで、どきりと一つ、心臓が跳ねる。もう一度、カンベエさん達の方を見やる。今すぐにでも会いたい。会って、黙って居なくなってしまった事を謝りたい。カンベエさんの無事を、捕らわれていたリキチさんの奥さんを助け出せた事を、共に喜びたい。如何してキララさんやコマチちゃんまでもがそこに居るのか、他の皆は、カンナ村はどうなっているのかを聞きたい。カンベエさん達が共に居てくれれば、万が一何かあった時も対処する事が出来るだろう。そんな思いが胸の中を駆け巡る、けれど。
 
「…キュウゾウさんは、来ないんですか?」
 
私は、キュウゾウさんを見詰めて問い掛ける。その瞳が僅かに揺れ、やがて静かに逸らされたのを見て、それを無言の肯定と受け取った私は緩やかに首を横に振った。
 
「キュウゾウさんが行かないのなら、私も行きません。まだ、ウキョウさんがどういう行動に出るのかも解りませんし…私は、キュウゾウさんについて、ここまで来たんですから」
 
戻る時は一緒です、と言って笑うと、キュウゾウさんは暫く私をじっと見詰めた後、くるりと向きを変え皆の居る方向とは反対へと向かい歩き出す。その際小さな声で「好きにしろ」と言ったのを、私は確かに聞いていた。それに返事を返して、私は振り向かぬままキュウゾウさんの後へと続く。始まりが二人なら、終わりも二人で。ただそれだけの事と自分に言い聞かせる時点で、理由がそれだけではない事を心の何処かで理解しながらも、私はそれに気付かない振りをしていた。
 
 
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