カンベエは考える。
今も耳に残る、ナマエの絶叫。尋常では無いその声に、あの場に居た全ての者が彼女に気を取られた。そしてその直後、紅蜘蛛の弾道に躊躇無く飛び込み、身を挺してゴロベエを救った。然し何故、ナマエは二発目の弾丸が放たれる事を予期出来たのだろうか。辛うじて、一発目の弾丸をゴロベエが避けずに見切るという行動に出る事は予測する事が出来たかも知れない。けれどまさか、それによって体勢を崩した所をさらに狙われるかも知れないと、そこまでをあの一瞬で判断する事が出来たという事だろうか。目を覚ました時、ナマエがゴロベエの安否を気遣う様子も、どこか普通ではなかった。まるで、ゴロベエが死んでしまったかも知れないという確信に似た思いでも、抱いて居たかの様に。
不思議なのはそれだけではない。カンベエを含め、恐らく今まで誰も、ナマエの右足が義足であるなどとは思いもしなかっただろう。それ程までに自然で、あまりに違和感の無さ過ぎる機械の足。これまで数多の野伏せりやサイボーグを相手にして来たカンベエですら、あれ程までに精巧な技術は見た事が無かった。それを、ナマエ自身は知っていた。自分の事を“知らない”筈の彼女が、自分の足が義足である事を“知っていた”のだ。それは即ち、ナマエには確かにその記憶があるという事を意味する。そして、彼女の足が機械となったのがカンベエ達と出会った後で無いとなれば…ナマエは、過去に起こった事を覚えているという事になる。もしかしたら、あの時の衝撃で何かを思い出したのかも知れない。けれどそれについて何も言おうとしないのは、些か不自然だった。
 
彼女は一体、何者なのか。
 
今まで頭の隅へと追いやる様にして、見て見ぬ振りをして来た疑問が再び鎌首をもたげる。他者に害を与える様な者では無い、それはこれまでの様子からして十二分に理解しているつもりだが、ナマエの素性や刀を扱う事の出来る理由は、未だ何一つ解ってはいない。あまりに多くの謎に包まれた少女。
ふと、その首に覗く一筋の傷跡に気付く。それは以前カンベエ自身が負ったものに酷似しており、必然的にその時の情景を思い起こさせた。虹雅峡にてサムライ探しをしていた折、初めてキュウゾウに会った時の事。主君の命かは定かでないが、キュウゾウはカンベエに対し刃を向けて来た為、止む無く応戦した。その戦いの最中、薄皮一枚を裂きながら互いの首筋へと刀を宛がう形となった事があった。その時の痕は、未だカンベエの首にうっすらと残っている。まさかとは思いながらも、カンベエはキュウゾウの言葉を思い出す。
 
『こんな相手に斬られては困る。お主も、あいつも』
 
あれは、やはりそういう意味だったのかと、カンベエは溜息にも似た短い吐息を吐いた。カンベエは目の前の布団で未だ眠り続けるナマエを複雑な思いで見詰め、やがて静かにその場を後にする。自らがやらねばならぬ仕事を、終わらせに行く為に。
 
 
 
ヘイハチは戸惑う。
水分りの家は、これから行われるであろう稲穂の収穫作業や戦の祝宴で騒がしくなる事が予想されていた為、気を遣ったキララが離れの方へ床の準備をしていた。そこへナマエを運び込み、横たわらせた後、悪いとは思いながらもそっと義足の損傷具合を確認した時の事だった。初めて目にした時から、およそこの時代に作られたとは思えないようなその精密な造りに驚いてはいたが、今の衝撃はそれ以上のものだった。義足は、独りでに修復を始めていた。それはさながら何も無い空間に少しずつ、少しずつ部品が姿を現して行く様かのような、とても不思議な光景だった。ヘイハチは捲っていた布団を元に戻し、ここへ来る途中で眠ってしまったらしいナマエの顔を伺う。怪我の修復にはナマエ自身の身体に負担がかかるのだろうか、辛そうな表情を浮かべている。然し、今の光景を目にして居なければ、とても彼女が得体の知れない機械の身体を持つような人間には見えなかった。何処にでもいる、普通の少女。けれどヘイハチは、出会う前のナマエがどの様な人物だったかを知らない。虹雅峡にてサムライ狩りが行われた折、キクチヨが番屋から脱走させたハズレクジの中に混じっていた、アタリクジ。カンベエと刃を交えて、一歩の引けも取らない剣技を見せた少女。けれどそれより前の事は、何も知らない。ナマエ自身、それ以前の記憶が無いと言っているのだから無理も無いが、ゴロベエを助けた時の事と言い、ヘイハチですら予想だにしなかった森からの刺客に何よりも早く気が付いていた事と言い、共に時間を過ごして来た筈なのに、彼女についてより深く知るどころか、益々謎は増えて行くばかりだった。
 
「ナマエさん…貴女は一体…」
 
その先に続く言葉を飲み込み、ヘイハチはその頬に触れようと手を伸ばし掛けて、止める。自分の手が厚い手袋に覆われている事に気付いたからだった。そのかわり、ナマエの首筋に残る刀傷へとそっと指を這わせる。いつの間に負ったのか解らないそれは、確かに痕となってそこに存在している。先程の光景を目にした今では、それが何だかとても貴重な事の様に思えた。この痕をつけたのが自分だったら良かったのに…頭の片隅でそんな事を考えている自分が居るのに気が付き、ヘイハチは自嘲的な笑みを零す。そして、ヘイハチはそっと家の外へと出た。閉めた戸口を一度だけ振り返りながら、村の方へと歩いて行く。野伏せりとの戦は終わったとは言え、まだまだやる事は沢山残っている。私情を押し殺して、ヘイハチはサムライとしての務めに戻って行った。
 
 
 
ゴロベエは言う。
 
「某はサムライ病を患っておる為、常人に比べ恐怖という感情に疎くてな。それ故かは知らんが、気付けば自ら進んでその感情…恐怖を味わいたいと思う様になってしまっていた。死と隣り合わせの芸によって身を立てていたのも、そうした事が理由の一つでもある。だが、よもやそれが原因でお主をこのような目に合わせてしまうとは、思ってもみなんだ。すまぬ事をしたとしたと思っている。恐らくお主の制止が無ければ、某の命、あの場にて潰えていた事だろう。…ナマエ、そなたは命の恩人だ。一時の快楽の為に自ら命を危険に晒す様な者を、身を挺してまで庇うような者が居るなど…いや、某に対し、そこまでの事をしてくれる者が現れるとはな。生きて居れば、いつか必ず良い事があるという事か?…これではもう、命を粗末にするような真似は出来んな」
 
ナマエは何処か苦悶に満ちた表情を浮かべ、うっすらと汗をかきながらも眠り続けている。それ故、ゴロベエの声に返ってくる言葉は何も無い。それでもゴロベエは語り続ける。
 
「お主に誓おう…この命、疎かにはせぬと。もう二度と、某のせいでお主に辛い思いはさせまい」
 
額に貼り付いてしまっているナマエの髪を、そっと払い除けてやる。寝顔が苦しげに見えるのは、傷が痛むせいか、悪い夢でも見ているのか、それとも何か別の理由があるのか…ゴロベエにそれが解ろうはずも無かったが、もしそれが自分のせいであったならと思うと、益々心が痛む。ならばせめて、二度と同じ思いはさせまいと、深く心に刻み込む。やがて、ゴロベエは静かに立ち上がった。
 
「…さて、某も仕事に戻るとするかな。お主もそこでいつまでも寝て居らんで、早く起きて来るのだぞ。やる事はまだまだ沢山ある。此度の勝利を祝い、腹一杯に獲れたての美味い米を食う事も出来る。…皆が、お主の事を待って居るのだからな」
 
未だ目を覚まさないナマエを見下ろし穏やかに語りかけた後、ゴロベエもまた、村へと戻って行くのだった。

 
 
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