その内、鉄を叩く音や村の人々の掛け声が聞こえて来て、私は思考を中断する。鎮守(ちんしゅ)の森と呼ばれる大きな森の一部を切り拓いた場所が、巨大ボウガンの建設現場であり、ヘイハチさんの作業場所だった。夜になっても篝火の明かりで煌々と照らされているその中から、ヘイハチさんの姿を探す。ヘイハチさんは設計図を基に作業の進み具合等を確認しているところだった。
 
「ヘイハチさん、遅くまでご苦労様です」
「ナマエさんですか。おや、その握り飯はもしや差し入れですか?」
「はい、キララさん達と一緒に作ったんです。カンベエさんが、皆で分けて食べるようにと」
「これは有り難い、皆も力仕事で腹を空かせていた所ですから。早速頂きます」
 
机の上からヘイハチさんが設計図をどかしてくれたので、私はそこに持って来た盆を置く。すぐに手を伸ばしたヘイハチさんだったが、握り飯に触れる直前でその手がぴたりと止まる。そのまま少しばかり顔を近づけて「うーん」と呟くヘイハチさんに、どうかしたのかと問い掛けてみると、一拍置いて、ヘイハチさんは最初に手を伸ばしかけた握り飯の隣にあったものを取った。
 
「ナマエさんの握ったのは、ずばりこれですね?」
「え?」
 
言われて、私はヘイハチさんの持つ握り飯に目を向ける。一見、特に変わった様子の無いそれは、私自身にも誰が作ったものか解らなかった。困惑しながらヘイハチさんの方へ視線を戻すと、ヘイハチさんは何処か楽しげに笑みを深める。
 
「普通の人には解らないかも知れませんが、やはり作り慣れている人とそうでない人では力の加減が違うので、米の纏まり具合が変わって来るのですよ」
「凄い、そんな事まで解っちゃうんですね…あ、も、もしかして、私の握り方が下手で…」
「あぁいえ、そんな事はありません。恐らく他の人には解らないでしょう」
「でも、それならキララさん達が作ったものの方が、美味しいんじゃ…」
 
ヘイハチさんのいう米の纏まり具合が味にどれ程の影響を与えるのか私には解らなかったけれど、作り慣れている人の方が美味しく出来るのは当然だろう。なのに私の作った物を取ってしまったヘイハチさんに戸惑いを隠せずに居ると、ヘイハチさんは私の目の前でぱくりとそれを口にしてしまった。変な緊張感を覚えながらその様子を見詰めていると、暫くもぐもぐと口を動かしていたヘイハチさんが満面の笑みを浮かべて言う。
 
「美味いっ」
「ほ、本当ですか?良かった…」
「ふんわりと適度に空気を含んでいて、口の中でほぐれていく様な感じが絶妙ですね。塩加減も丁度良い」
 
そう言いながらヘイハチさんはあっという間に握り飯を平らげてしまい、すっかり食べ終わった所で「ご馳走様です」と顔の前で両手を合わせた。私も釣られて「お粗末さまです」なんて返すと、ヘイハチさんは満足気に立ち上がる。
 
「さて、腹ごしらえも済んだところでもう一頑張りするとしますか」
「あ、そう言えばヘイハチさん、お休みはちゃんと取られましたか?」
「休んでなど居られませんよ、作業が遅れたのは私のせいですからね」
「ヘイハチさんのせい…?」
「あぁ、ナマエさんはあの場に居ませんでしたね。キクチヨがカンベエ殿に認められる前、あの場ではマンゾウ殿の裏切りを裁く為の審議が行われていたんですよ。そこへキクチヨの奴が乗り込んで来て、マンゾウ殿のやった事を責める事は出来ないと、熱弁を振るいましてね。最後はカンベエ殿によって無罪放免という事で片がつきましたが、その騒ぎを引き起こしたのは、あの場にマンゾウ殿を引き摺り出した私みたいなものですから」
 
苦笑気味に語るヘイハチさんの声はいつもと変わらぬ様に聞こえて、何処か冷やかだった。私はヘイハチさんがマンゾウさんを連れて行った時の事を思い出す。怒りを露わにしたヘイハチさんはまるで人が変わってしまったかのようだった。あの時は自分を保つ事に精一杯で深く考える余裕も無かったが、思えば私は、同じような光景を目にした事があった。ホノカさんが野伏せりに私達の事を伝えてしまった時だ。あの時もヘイハチさんは、普段からは想像もつかない程に冷やかな目をしていた。その二つに共通する点は、密告。つまり、裏切り。もしかしたらヘイハチさんは―…。
黙り込んでしまった私を見て、ヘイハチさんが一瞬、悲しげな表情を浮かべた様な気がした。それに気付き、私は自分が思い浮かべてしまった一つの想像を慌てて振り払う様に言う。
 
「だ、だとしても、ヘイハチさんが無理をして倒れでもしたら、それこそ大変な事になってしまいます」
「そうですねぇ…では、私の心配をして下さるなら、また明日も美味しい握り飯を作って下さるという事で如何でしょう」
 
私は至って真面目に言ったつもりだったのだが、返って来たヘイハチさんの言葉があまりにもあっさりとした調子だった為、暫しぽかんと言葉を失ってしまった。先程までの影は何処へやら、ヘイハチさんの表情はにこにこという言葉が似合う程である。
 
「いやぁ、ナマエさんの作る握り飯は魔法でもかかっているのか、見る間に疲れが吹き飛んで元気を与えてくれるんですよ」
「そ、そんな訳ないじゃありませんか。私は本当に…っ」
 
ヘイハチさんの事が心配で、と言う筈の言葉は、ヘイハチさんの手が突然私の頭の上へと乗った事で途絶えてしまう。そのまま、その手が私の頭を優しく撫でる。黙ったまま笑みを浮かべるヘイハチさんと、何も言えなくなってしまった私。結局、折れたのは私の方だった。仕方なく、本当に仕方なく、小さな声で「解りました…」と呟く。そんな私の様子を見て、ヘイハチさん満足気な声で言う。
 
「ナマエさんは素直ですねぇ、それに優しくて飯も美味いときたもんだ。将来、良いお嫁さんになりますよ」
「え、えぇっ?」
「どうです?明日のみと言わず、これからも私の為に飯を焚いて下さるというのは」
 
驚きのあまり私が言葉を失っていると、ヘイハチさんの肩が僅かに震えている事に気付く。やがては隠そうともせず、可笑しそうに笑い声を零し始めた。
 
「か、からかったんですか…っ!?」
「あはは、ナマエさんの反応が可愛らしくて、つい。おやおや?お顔が真っ赤ですよ?」
「も、もうヘイハチさんの事なんて知りません…っ。わ、私、キュウゾウさんの所にこれを届けに行ってきます!」
 
一瞬でも本気にしてしまった自分が恥かしいやらなんやらで、私は踵を返すと小走りでその場から逃げる様に立ち去る。その様子を眺めながら、ヘイハチさんが小さな呟きを洩らしていた事を、私は知らない。
 
「満更冗談でも無いんですけどねぇ」
 
 
第九話、戦う!
 
 
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