喫茶 Spirit A


『よく笑う方だ』とか『社交性があると思う』とか言うステレオタイプの心理テストを想像していた私は、
予想外の質問に私は全く違う、それも答えではなく問いを返してしまう。

突如で無かったとしてもこんな質問に答えられる自信はまず存在しない訳だが…。


『それ、全部質問に答えると
『神様に会いたくありませんか?』
とか言い出して洗礼もどきの儀式とか始まる訳か?』


『神か。
居るなら会ってみたいが人間を創った後無関心になってしまったんだろうね。
会えそうもない。』

悲観的な答えであるにも関わらず、彼女は少し微笑む。

長年曲がりなりにも人の心を研究してきた私には分かる…


彼女は本物だ。


少し飛躍して踏み込むとすれば、彼女も少年も残らず人の枠の外にいるのかもしれない、

だが、やはりまたしても私の中のこの不可思議な感情がそれを私の脳に理解させようとしない。

『結構、理解したわ。』

彼女は私はまだ答えても無いのに1人で結論を出してしまった、

『答えが全て、言葉とは限らないでしょう?

私の古い友人にも、態度で示す人とか、言葉は言葉でも皮肉ばかりで理解させる気の無いような答えを残す人もいた位なんだから。』

成る程、無意識が顔に出てしまった訳か…、

他の他愛無い感情も読まれてるのかと思ったものの何の感慨も湧かなかった。

『では、次に進みましょう?
あの子も退屈し始めてる、前置きが長過ぎたみたい。

私が戻るのが遅いのが悪いのかもしれないけど…。

でも欲を言うと言葉で答えて欲しいかな。』

微笑むというかニヤつくに昇華した笑みを浮かべて、
ガラステーブルに刻まれたエングレービングをなぞっている彼女。

『体感した事無いので余り偉そうに語るつもりも無いのだが、

私が信じてる愛や恋の定義と言えば、
断片的にいうなら、個人個人の人生に取り憑く語弊のある言い方をすれば病巣のようなイメージだな、
私の言葉では無く、ウチの学院創始者の一人の言葉だが…。』

幼少より命に関わる病を何度も経験している私にとって、
人生を縛り付けられ、正負は真逆とは言え激情を巻き起こす点では恋愛と病は限りなく近いと言う認識だった。

『謙遜する割には、引用なのね。

しかし、引用する言葉の選択にはなかなかセンスを感じる。

答えの裏側に少しだけ潜んでいる名誉欲が気にはなるけど…。』

確かに、質問の内容は兎も角、
答えに関して馬鹿にされる事は曲がりなりにも教職の私にはまずい訳で、
多少プライドを賭けていた所もあるのは確かだった。


しかし、ここで選んだカードは受け売りで様子見…。


自分でも嫌になる臆病さだ。



壁に幾つも吊るされた懐中時計を見ながら『完敗だな…。』
と、私は嘆息する。

全て針がずれており、各国の時刻を思い出して見てもどれも当てはまらないので何かの法則性があるのだろうか。

その懐中時計を筆頭に、
先程まで美しい趣味だと思っていた調度品にも何だか意味があるのではないかと感じてしまう私。

特に意味も無くそう考えたその時、私を観察していた彼女が唐突に口を開く。

『不器用そうなのに感性は鋭いんですね、
もしかして貴方、学者より詩人とかが向いてるんじゃないです?』

感情を読むだけでは無く、人格考察まで的確に叩き込んで来る。

盗作で捕まるとか心配はしないんだろうか。

ここまで来ると敵意が無いのが唯一の救いだ、
それこそ、討論会などで出会っていれば名誉どころか見透かされたショックで命を失うも所だっただろう…。

『では二つ目、
殺人の定義とは貴方にとって如何なるモノか?』

突如、ある視点から見れば対極の問いを投げる店主、

私が検分した所、その表情には人並み以上の憂いが湛えられており、特に彼女は異常者と言う訳でも無い様子だ。

『下手な答えの出来ない質問ばかりで気が休まらないな…。

私流に答えるとすれば、
私が研究する文学作品にこんな言葉があってね、
《殺人とは正負何方にしろ人の許容量を超えた感情が心の中に生まれた時、
受け入れられない物を消してしまう為の手段の一つ》
って内容なんだが、これは恋愛感情も例外では無いってのが
貴女好みかと私は思うのだがどうだろうか?』

こうなったら開き直るのが正解というモノだろう、

引用でも何でも良いから彼女の予想の裏を行って楽しませる事に方針転換する事にしたのだ。

店の中央に据えられた長大な水時計が16:00を告げる。

『また、随分と剣呑な作品を研究してるんだ…。

意外と現代文学だったりするんです?』

『一昔前の物だが、古典とは到底言い難い鮮烈な作風だな。』

私の試行錯誤も少しは成功しているらしいが、
奥の少年の含み笑いがもしかすると私の今の心境を読んだ結果のような気がして手放しで喜べない。

『確かに、私は恋愛感情が高まりすぎて殺したい程愛した事もあるし、
殺されそうな程愛された事もある。

『憂い』の起源に好かれるのも頷ける…。』


『憂いの起源?
私の知り合いにか?』

突拍子も無い会話にも見事に慣れてしまった私は
サラッとこんな事まで口にしてしまった…。

人の適応力の真髄を見た気がする。


『そう、この紹介状を書いた変わった髪の色した御令嬢、

紹介状を書いてるって事はそう遠い間柄じゃないでしょう?』

今思うと店の雰囲気に近い物を感じさせる瀟洒な装飾のカードを再び、彼女は何処からともなく出して来て何故か自分の顔と並べて翳している、

新手の小顔アピールにも見えるそれは少し可愛らしくも見えた、

まぁ、何にせよ実際小顔だからこそ湧いて来る感情だろう。

『関係性…か。

確かに出来もなかなか悪くない門下生ってとこだな。

しかし、彼奴が憂いとは…。

私も人を見る意識を少しばかり変えるべきかもな。』

彼女の言葉だけを耳に入れて他の事は上の空で溜息など吐きながら窓の外の家路に着く子を見ながら言葉を紡ぐ…。

彼女の答えがあまりに遅いので
外の風景から視線を戻すと私の傍で何時の間にか少年がさも当たり前のように抽出した珈琲を給仕していた。

【無礼な少年だなどと思っていたが、
いざ、こうして接客されると身構えてしまうな。】

今にして思うと、彼女が黙った理由も良く分かる。

彼の飾らない流麗な動きに身内ながら敬意を表しているのだ、

客席やカウンターには見当たらなかった年代物の大規模なサイフォンから推測するにカウンター裏で遊んでいた訳ではなく抽出の間、これを管理していたのだろう。

カップの載ったソーサーを差し出しながら、始めて彼は口を開く…。

『初めはどうしようかと思ったよ。

私は司教と学者には色々とトラウマがあってね、
ヴァンが帰って来なかったら『一生』睨み合ってる所だった。

君が白衣さえ着て無ければどうにかなったんだろうけどね…

だが、珈琲をこよなく愛していると言うのなら話は別だ。

仲良くしようか、先生?』

『…あぁ。』

正直、少年を怖がっていたのが馬鹿らしかった。

少し型にはまったわざとらしい所があるが、礼儀正しく気だてのいい性格をしている、至極まともな少年だ。

握手した手に体温が無いのと、
なぜ無類の珈琲好きと言う事を知っていたかを瑣末な事と斬り捨てるなら…だが。

『適当な事を言うんじゃない…、

お前がこの世恐れるモノといえば、
ジェリーか私位だろうさ。


済まない、興味が湧くとすぐにこうやって他人にすらこうやって絡んで来る、
私も出会った頃に散々やられたよ。

それに珈琲の件なら簡単な話だ、サイフォンを見た時の貴方の期待顔をみれば誰でも分かる…。』

『圧倒的だな、見事な読みには言葉も出んな。

しかし私もやられっ放しと言う訳にも行かん、
私は人の領分と言うモノを若輩ながら理解しているつもりだ。

人には当然限界がある…。

だからこそ、人は万能者【ジェネラリスト】たる者であろうとする。

一部の特化型の専門家や天才と言う存在が世に産み落とされるのは人の枠から解き放たれようとする異端が生まれる故だ。

世間では類稀なる求道心が天才を生むと定義しているが、

私は、天才と言う類の者は人の領分では手の届かない何かを求める求道の過程で生まれた副産物に過ぎないと定義している。

詰まるところ天才とは、人を越えようとして限界を越えようとしたものの、
明確な手段も存在しない故、
高々、人の最高峰程度で終わってしまった者達だ、

しかし…。


私は昔から【成功例】がいる事を信じ続けて来た、

そして、やっと出会えた、

どのような類かは知らないが貴方達は【越えた者】【本物のスペシャリスト】だと私は信じる、いや確証している!』

最初は『もしかして人ではないのでは』程度の冗談と少しの秘策でひと泡吹かせてやろうと始めた反撃だったが、

脳内で整理してみると、瞬く間にピースは繋がり。
求めていた【求道の果て】たるモノだと悟ってしまった…。


それを聞いた途端、静かに目を瞑り、カウンターへと歩みを進め、おもむろに調理を開始する。

数分の沈黙の末、可憐なデザインのスプーンを間接照明に照らして見比べながら、
彼女がおもむろに口を開いた。

『次の質問が無駄になったぞ、どうしてくれる?』

『!?』

流石に慣れたとはいえ理解できよう筈もない。

『君の言う【問診】の終了は私達の正体に気付いた時、


起源の判定基準は気付いた時の論証、
それまでの会話から知る事のできる来歴、
そして勿論、問いの答えも無駄にはしない。

そして、おめでとう。
君はちゃんと【出会えた】よ。


店を始めて50年近くになるが歴代三本の指に入る回答速度だったぞ?

それに、ここまで堂々とこの口下手な私を相手に持論を披露したのはここ200年来ではフランソワーズ・フォン・ジェルミナール卿以来だ、
よく見ると面影も少し似ているな、
これも起源の成せる業か…。』

そう言いつつ、彼女はトレイにティーポットとカップ、
洋菓子を載せて何時の間にかテーブルの側に現れる。

美麗な顔に耽美さとも憂いとも付かない色を浮かべながら紅茶を注ぐ姿はこの世の物とは思えない少し物騒な美しさ、

銘柄は香りから察するにFORTNUM&MASONだろう。

傍に添えられた林檎のパルフェグラッセが鮮やかだ…。

『その探究心、気に入ったよ。

カウンター裏の書庫に相方が
真理を求めて流転していた時期の日記が保管してある、
数百年分の記録だ、見て驚くなよ?』

振り返り際の笑顔は柳の下の幽霊にも似た朧げな儚さだったが、
彼女達に比べれば瞬く間に過ぎる様な私の一生の中で忘れられない笑顔だった…。


【Destin et interprétation c'est votre origine

Joël Bernadette Ventôse.】

ソーサーに添えられたカードにフランス語で書かれた【問診】の結果を解読し、微笑みながら私は紅茶を啜る。

少年の口ずさむラ・マルセイエーズが耳に心地よい雰囲気だった…。


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