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【注意書き】
※オメガバース設定のため、苦手な方は閲覧をご遠慮下さい。
※オメガバースの基本的な設定に加え、独自設定があります。
※オリキャラが出ますが、あまり本筋には絡みません。オリキャラが暴行未遂に遭います。(描写は緩めですが…)
※案の定、序盤が長くなったので前編・後編に分けることにしました。後編はR18です。
※前半部分は、降谷さんと夢キャラは一切絡んでいません。
※公安の仕事は虚実交えて書いてます。
※閲覧は自己責任ですので、閲覧後の苦情は受け付けておりません。
それでも問題ない方はどうぞ。













この世には通常の男性・女性、四種類の血液型の他に、アルファ・ベータ・オメガの三種類の性が存在する。
この性は男女と同じく、遺伝子による先天性のもので中学生になると必ず血液検査を受けることが義務付けられているのだ。

一般的に、アルファ性は三種の遺伝子の中で最も優れているといわれている。
身体機能も知能も高くなりやすいエリート体質。そんなアルファ性に憧れる人間も多いらしい。不思議なことに、数が少ないアルファ性がこの世界の支配階級である。

対してベータ性は特筆するところがないのが特徴だ。
抜きん出て優れている訳でも劣っている訳でもない。謂わば普通の人間で、この世界の大半はベータ性が占めている。

アルファやベータ性よりも、更に希少価値が高いのがオメガ性だ。
彼らは社会的地位が低く、平等を謳うこのご時勢でも偏見の色で見られている。
一般的に三ヶ月周期で訪れるヒートと言う発情期のせいだ。オメガの発情期は十代後半から始まるといわれている。

だから、自分の第二の性――バース性を知る必要がある。バース性は進学・就職に大きな影響を与えるのだ。
注射針が私の身体の中を流れる血液を吸い上げる。たったこれだけで、専用の機械で分析すれば解ってしまうと言うのだから、昨今の科学の進歩は凄まじい。

血液検査の結果が記された書類が届き、中身を確認する。
無機質なフォントで『アルファ性』と記されていたのを確認した私は、人知れずホッとした。
父親がアルファ、母親がオメガの番い夫婦の娘だから、どちらかだろうと思っていたんだけど。

「やっぱりそうだと思ったんだ!名前は勉強もスポーツも得意だから」
私達は各々の結果について談笑していた。羨ましいぞ、と数人の友人から私は小突かれた。
人によってはデリケートな問題になるため、検査結果は書類で自宅に届くシステムになっているのだが。
どうやら、そういった意識はここにはないらしい。

「私は親がベータだから検査しなくても解り切ってたけどねえ」
「私も〜!でもさ、“普通”が一番良くない?」

キャイキャイと楽しげに喋る友人達は、黙ったままの友人――咲世子に話を振った。
「ところで咲世子はどうだったの?」
「えっ?わ、私も皆と同じベータだったよ!アルファが良かったなあ!」




アルファだと判明してから、私に映る世界の色が変わった。
四十人程度のひとクラスの中で半数以上はベータが占めており、残りの割合をアルファとオメガで配分していた。クラスにいるアルファ性の同級生数人は、私よりもずっとずっと――優秀だった。
勉強は勿論、コミュニケーションも上手くて、おまけにリーダーシップと説得力もある。まるで絵に描いたようなアルファだ。アルファである私でさえ、優秀なアルファ同性と話すだけでカリスマ性を感じてしまう。

そう。私は、アルファの中にも優劣があることを知ったのだ。
生まれながらにしてエリート気質だと持て囃され、羨望の眼差しが注がれる存在の中に、目には見えないアルファだけの階級があった。

負けたくない。同じアルファだからこそ。蚊帳の外から見れば、私も優秀な生徒に映っているのだろうけど。
子供染みた幼いエゴを胸に抱きながら、私は人知れず努力するという手段で残りの中学生時代を過ごすことになった。

いや――、私には努力することしか出来なかった。
結局、優秀なアルファ同性達には敵わなかったけど。それでも頑張った甲斐あって、私は第一希望の高校へ入学を果たすことが出来た。

真面目に進路を考えなければならない時期になった頃。私の人生に大きな転機が訪れたのだ。

その日は遅くまで図書室に籠って勉強したため、帰るのが遅くなってしまった。
校門を出て、車通りが多い道を歩きながら最寄駅を目指す。
ふと、車の走行音に混じって路地裏から誰かの呻き声が聞こえたような気がした。ぴたりと足を止め、暗闇に声をかけてみる。気のせいならこのまま帰れば良い。

「……誰かいるの?」
狭い暗闇の空間に、私の声だけが響いた。
暫く様子を伺っても何も反応がない。気のせいか。そう思った私は、元来た道へ引き返そうとした時。

「う……、ま、待って……、助け……て!」

暗闇から姿を現したのは制服を着た女子高生で――。
「さ、咲世子!?」
「……名前!?」

中学時代の友人である沖元咲世子おきもとさよこだった。
彼女は、ぎゅっと力強く私にしがみ付いて来る。友人の身体はジワリと高熱のように熱く、おまけに小刻みに震えていた。

「咲世子!?ねぇ、一体何があった……、の……」
ムワッと香るムスクのような甘い匂いが私の鼻腔を直撃する。心臓が力強くドクンと脈打つ。

アルファなら嫌でも解る。
下半身が妙にゾクゾクする感覚。彼女の柔肌へ、つい唇を寄せてしまいたくなるような甘美な誘惑フェロモン
咲世子はオメガのヒート――発情期を起こしてしまったのだ。

でも、どうして?咲世子はベータの筈じゃ……?

今はそんなこと考えてる場合じゃない。私はオメガのヒート中に醸し出すフェロモンに当てられぬよう、抑制剤を常用しているから大丈夫な筈なのに。それでも頭がクラクラする。相当強いフェロモンなのだろう。
咲世子の制服はところどころはだけていた。

「助け……て!どうしよう、わた、私……!」
「落ち着いて!一体何があったの?」

このままでは私も咲世子のフェロモンに当てられてしまう。咄嗟に、ブレザーをバサリと彼女に被せた。

「ヒートを……起こしちゃって、あッ、アルファに襲われそうになって……!」
「大丈夫だよ、咲世子!今救急車と警察呼ぶから……もう少しの辛抱だから!」

まだこの近くに、咲世子のことを探している輩がいるかもしれない。
でも下手に人混みの中に行けば、ヒート中のオメガにアルファが反応してしまう危険性が高い。私はスマホを取り出し、警察と救急車を呼んだ。下手に動くより、この裏路地の物陰でじっとしていた方が良いだろう。

十分程待っていると救急車とパトカーのサイレンが鳴り響き、咲世子は病院に運ばれて行った。残った私は警官に、この近辺でオメガのフェロモンに当てられて彷徨っているアルファがいないか、捜索してもらうよう依頼した。

オメガは三ヶ月に一度、主にアルファを惑わせるフェロモンを醸し出す。厄介なことに、番いのいないアルファを無条件で引き寄せてしまうのだ。
フェロモンに当てられてしまったアルファは本能のままにオメガを求める。
それ故、時には暴行事件に発展することもあり、テレビや新聞で報道されることもしばしばある。

しかし、アルファ性は社会的地位が高く全てにおいて優遇されているので、彼らが捕まったとしても大した刑罰は与えられないだろう。これが――この世界の常識だ。

「ごめんね、嘘吐いて」
開口一番、咲世子はそう言った。もう誤魔化せないよね、と。
あれから一週間後。
咲世子から連絡があり、私達は米花駅にある喫茶店ポアロに来ていた。彼女は暴行を受ける前に逃げ出したため、大きな怪我もなかったようだ。

「どうしても……、言えなかったの」
咲世子の声は震えていた。
「……家族以外内緒にしてたの。話したら、どうなるか……解るでしょう?」
「まあ、うん。もしかして、友達辞めると私が言うとでも?」
「うっ……」
声を詰まらせたあたり、図星のようだ。
「そんな訳ないでしょ!それよりも、怪我してなくて良かった」
オメガは三つの性の中で社会的に冷遇されているし、ヒート抑制剤を用いてベータとして振る舞うオメガも少なくないと聞く。

「抑制剤を飲むのを忘れちゃったんだ。兎に角早く帰らなきゃって急いでいた時にヒートが来ちゃって……」
咲世子はあの日の出来事について話してくれた。無理しなくて良いと言ったのだけど、彼女は大丈夫だよと言ってきかなかった。

彼女は残る力を振り絞り、フェロモンに当てられて欲情したアルファ達から逃げて来たという。未遂とはいえ、恐怖を味わったことに変わりはない。

発情期の期間は――個人差はあるらしいが――約一週間といわれている。期間中のオメガは発情すること以外何も出来なくなってしまうため、オメガ達はヒートを抑える抑制剤を服用しているのだ。

「私が飲み忘れちゃったから……。名前は、その――、大丈夫だった?」
フェロモンに当てられなかったか――どうか。
「心配しないで。私は抑制剤を飲んでたから……大丈夫だったよ」
咲世子がホッとした顔をした。
「本当にありがとう……!名前のお陰で助かったよ……」
「ううん。咲世子が無事ならそれで良いの」
私は静かに涙を流す友人へ、そっとハンカチを渡す。
涙を流しながら微笑む友人は、私の目に儚く映った。

もう、彼女をこんな怖い目に遭わせたくない。
ちなみに、咲世子を追い掛けたアルファ共はまだ捕まっていない。世の中には、泣き寝入りするオメガが後を絶たないという。

数年前、現政権によって第二バース性雇用均等法が施行されたものの――世の中にはオメガへの差別が残っている。ヒートによる発情期で彼らは社会の中で重要な役割に中々就くことが出来ないのだ。
世の中を変える大きな力は私にはないけれど、何か……私に出来ることはないだろうか。




「名字。例の右翼団体調査日報は出来たか?」
「風見先輩、丁度出来ましたのでメールしました」

警視庁公安部に異動して数ヶ月。
異動する前は、都内の交番で数年間勤務していた。そこでは、様々な経験を積むことが出来た。
オメガを襲うアルファを取り締まることもあり、その度に咲世子の件が頭を過ぎったものだ。

公安部はスパイや思想犯、宗教絡みの組織犯罪など、非常に特殊な犯罪を対象としているため警察組織内でも取り分け秘匿性が高い。警視総監にも内容を知らせずに、任務を遂行する強い権限を有している。
そんな部署に異動するなんて初めは戸惑ったものの、私が公安の職務に慣れるまで仕事は待ってくれることもなく。

異動してから先程の団体調査を警察庁警備局から命じられ、風見先輩と数人のメンバーと共に対象団体の動向監視を行っている。明日までの選挙戦に、対象団体のメンバーが出馬することになっているのだ。
高性能カメラでの静止画と動画撮影から、望遠レンズを使っての事務所監視や尾行。街頭演説に混じって調査したりする。
日報に目を通している風見先輩は私の新しい上司だ。風見先輩の目の下には隈があった。

「うん、良いだろう。ところで、明日は最後の動向監視だが抜かりないか?」
「もう少しで準備が終わりますので、打合せがてら先輩に確認して頂きたいです」

この任務のため連日連夜自宅に帰れず、仮眠室にお世話になっている。欲を言えば自分の家のベッドで寝たいが、そうも言っていられない。
選挙戦が終われば、それぞれのエリアの事務所に仕掛けたカメラ達を回収して映像データを解析チームに回して。映像データの解析が上がって来たら、最終報告書を作らなければならない。
まだまだやることは山積みだ。

「解った。それより……、隈が酷いぞ。夜更かしは美容の大敵、じゃなかったか」
「えぇぇ、先輩の方こそ酷い隈ですよ!ていうか、解ってて聞いて来るあたり意地悪ですね」
「……君もな。明日で選挙戦が終わればひと段落着く。準備が終わり次第、今日は帰って寝た方が良い」
「無理ですよ、風見さん。まだまだやること多いんですから」

先輩達が反論する。
作業部屋にメンバーが集まっていて、明日の最終準備中だ。
「ならば上司命令だ。明日の準備が出来たら今日は帰宅しろ。身体が資本だからな」
そう言った風見先輩は、パソコンからUSBを取り外しておもむろに席を立つ。

「先輩?どちらへ?」
「ちょっと煙草を吸って来るだけだ。すぐ戻る」
「……どうぞごゆっくり」



コンコン――とRX-7の窓が軽く叩かれたので、僕はノートパソコンから目を離す。入れと目配せすれば、風見が助手席に座った。

「すみません、遅れました」
「問題ない。それで、右翼団体の調査はどうだ?」
「部下が纏めた日報がこのUSBに入ってます」

風見から手渡されたそれを受け取った僕は、ノートパソコンのコネクタに挿し込んだ。
「へぇ……君の部下が作成したのか?良く纏められているな」
いつ・どこで・どんな方法で動向調査を行ったのか、事細かく記載されていた。
要点を箇条書きにし、数字や固有名詞を入れることで誰が見ても同じ理解が出来るよう、読む相手のことを考えて作成されている。

「あ、ありがとうございます。それとなく彼女に報告しておきます」
「彼女と言えば、一度だけ見たことあるよ」

あれは確か、風見達が対応中の動向調査の様子を見に行った時だったか。公園の片隅で落ち合い、彼が状況報告をしてくれている時に彼女――名字名前を見かけたのだ。

「とても利発そうな子じゃないか。向こうも僕のことに気が付いたようだったけど」
僕がそう言うと、風見が顔を硬ばらせた。
「え……、ふ、降谷さん!それは本当ですか!?」
「ああ。彼女と一瞬だけ目が合ったから。気付いてなかったのか?」
「……貴方に状況報告をする時は、怪しまれない程度の理由を部下達に伝えて持ち場を離れていましたから」
助手席に座る男は、一生の不覚……!とでも言いたげだった。

「風見を怪しんで後をつけた訳じゃなさそうだったぞ。尾行なら、君だって撒けるだろう」
「そ、そうですが……」
「あれは……そうだな、偶然――か」
「しかし、ゼロである貴方は公に捜査出来ない上、警察内でもその存在を知らない者も多数います。自分の失態で降谷さんの存在が知れてしまったら――」

風見裕也という男は、元来真面目なのだ。だから僕はこの右腕を重宝している。

「僕と目が合った彼女はすぐに立ち去った。それに、今のところ彼女から僕について何も尋かれてないのだろう?」
「は、はい。今日は、煙草を吸い行くと言って抜け出して来ました」
「彼女は僕がゼロだとは思っていないだろう。警察関係者、と踏んではいるだろうがね」

しかし、気になることが一つある。

「なあ、風見」
「何でしょう?」
「つかぬ事を聞くが、君はアルファ性だったか?」
「自分はベータです。降谷さんと名字――自分の部下はアルファ性ですよ」
「ああ……、そうだったな」
「降谷さんがそんなこと気にするなんて珍しいですね」

あの時アルファを誘うオメガの匂いが微かにしたのだ。
甘くて美味しそうなお菓子のような匂い。あの近くには、僕と風見と彼女しかいなかったのに。

警備局こちらも人手が足りなくてな。名字が異動してくれると助かるんだが」
「いくら降谷さんのお願いだとしても、それは聞けません。彼女は警視庁公安部の人間で、自分の部下ですから」
「相変わらず君は手厳しいな」



作業部屋を足早に出て行く先輩の後ろ姿を、私は一瞥した。風見先輩が煙草を嗜んでいるところを一度も見たことがない。
あれは多分、あの人に会う口実なのだ。
真面目を絵に描いたような先輩が、不届きな輩と付き合う訳ないので先輩の煙草・・仲間は、警察関係者に間違いない。恐らく情報交換……をしているのだろう。

先輩があの人に会いに行く口実は煙草以外にも、お手洗いや買い出し、打合せ、尾行などバリエーションが様々だ。
部下として、ある程度把握している。これも公安の務めだ。

実は偶然にも一度だけ、風見先輩が煙草・・で席を外している時に、あの人と何やら話しているところを目撃したことがあるのだ。私はその人の名前を知らないけど、とても目立つ外見だったから覚えている。

日本人離れしたミルクティ色の綺麗な髪と、健康的な小麦肌を持つ男性だ。
遠目でも解る程、その人が醸し出す絶対的なオーラ。身体から溢れ出るカリスマ性。

アルファの中でも上位クラスの男だ。
ゾクゾクした。身体の奥が痺れる初めての感覚。
あの人は十中八九アルファ性だ。私は隠れオメガだと判明されてから、一目で相手の第二の性が判別出来るようになってしまった。特に同性のアルファを高確率で当てることが出来てしまう。
オメガの勘、とでも言おうか。

あの人と番いになれ!番いになりたい!
あの人の子供を孕みたい……!

私の中にあるオメガの一部が叫んだ。
私はとても困惑した。理性を揺さぶられる気持ちになったのは、生まれて初めてだったから。
ここにいては駄目だ。私は何事もなかったかのように振る舞いながら、その場を後にしたものだ。



「名字さん。貴女は、隠れオメガ性――第二バース性変化症ですね」

医者の言葉に、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。警察学校へ入学が決まった矢先のことだった。

え?どういうこと?私はアルファなのにオメガ??

混乱して何から喋れば良いか解らない私をよそに、医者はつらつらと語り――両親は医者の言葉を聞き漏らさないよう、必死に耳を傾けている。

「ご両親がアルファとオメガの組合せの時に、極稀に変化するんです。原因は未だに解っていません。娘さんは、アルファ性ですがオメガ性でもあると言う訳です。もっと簡単に言えば、アルファなのにオメガの特徴が現れるということですね」
「そんな!これから半年間、警察学校で学ぶことになっているのに……。ヒートの苦しさは私が身を以て解っています。この子に同じ思いをさせるなんて……」
「何故今になって?一度アルファだと判明したのに」
「この症状は、思春期に受ける血液検査では解らないのが特徴なんです。体質の変化、としか申し上げられません」
「先生、治るのでしょうか?」
「研究者が原因を究明中ですので、特効薬はまだありません」

当事者の私をよそに繰り広げられている会話が耳に入り、脳に到達しても意味を咀嚼することなく反対側の耳から通り抜ける。
ことの発端は、数日間続く微熱だった。
どうも風邪にしては怠くて、何故か身体が敏感に反応した。不信感を抱いた私は、米花総合病院で精密検査を受けたのだ。

「ヒートの周期はオメガ性と比べて半年に一回、個人差はあるが半日から長くて二日程度の期間です。抑制剤を飲めばオメガより、比較的簡単にヒートを抑えることが出来ます」
「抑制剤を……っ、処方して下さい。お願い、します」

私は浅く息を吐きながら懇願する。
身体が熱い。モヤモヤする。思考も正常に働いていないみたいで、早く楽になれるのなら何だって良かった。

もはや、アルファだとかオメガだとかどうでも良い。何なら自分で慰めたって良い。自分のイイトコロは自分が一番知っている。
だけど、なけなしの理性で本能を押し留めていた。
「処方箋を出しますので、毎月決まった日に服用して下さい。それと……抑制剤は抗体が出来て効かなくなることもありますから、購入する際に必ず検査を受けて下さい」



私はオメガの発情抑制剤を服用しながら、現在に至る。隠れオメガだとしても、本来のアルファの特徴がなくなることはなかった。
抑制剤を飲み始めた頃は、いつヒートが来るのか戦々恐々だった。両親は私が警察学校に入学することに反対を示したが、私はそれを押し切った。

己に課した条件は、隠れオメガであることは周囲に隠し通すこと。警察学校の寮生には大多数のベータの他に数人のアルファもいた。
そもそも、隠れオメガとして厳しい訓練に耐え切れるか正直不安もあったけど、幸いなことに――これといって抑制剤の副作用もヒートを発症することもなく。
周りのアルファ達を抑えて、何とか首席の座をもぎ取ることが出来たのだ。

私がアルファでもありながらオメガでもあることは、家族と咲世子以外誰も知らない。
勿論、直属の上司である風見先輩もだ。先輩はベータ性だから、万が一私がヒートを発症してもフェロモンに当てられる可能性は少ないのだが、隠れオメガだとカミングアウトするのに勇気が持てなかったのだ。
ちなみに、咲世子はアルファと番いになったと、幸せそうに報告してくれた。




明日は投票日。
選挙運動は出来ないが、件の団体からの候補者は挨拶回りをするために、選挙区で行われる祭りに参加することになっている。支援を求めず、襷を掛けなければ挨拶しても違反にはならないのだ。
その後は、事務所で開票時間まで静かに待つらしい。勿論、全ては動向調査で得た情報である。

「えっと……先輩達の配置は、ここか」
ペラリと企画書を捲り、祭り会場である商店街の見取り図を何度も頭に叩き込む。
会場の要所ごとにそれぞれ配置されるよう、緻密に計算されていた。
「配置も抜かりないし、何かあったとしても直ぐに連携が取れそうな距離感。この配置考えた人、相当キレ者な気がする……」
どこに何があるのか把握し、死角を潰すような配置は、まるで地の利を完全に己のものにしているかのような――そんな印象を受けた。

「今戻った。さっさと明日の最終確認をして今日は帰るぞ」
風見先輩の鋭い声が作業部屋に飛んで来た。
「お、お帰りなさい。もう良いんですか?」
「ああ、一服出来たからな。よし、打合せを始めるぞ」
風見先輩のスーツから、匂う筈がない煙草の苦い香りがした。

結果から言うと、私達が動向監視中の特定右翼団体からの立候補者は落選した。テレビのニュースに映し出された達磨は、片目に目を入れられることもなく寂しげだった。

厳かな雰囲気の中、彼らは反省会と今後の活動について話し合われた後、解散した。お陰で私達の残された仕事は、スムーズにことが運びそうである。

彼らの拠点である事務所は都内に数カ所。
最後の仕事は、各事務所に仕掛けたカメラと盗聴器達を回収することだった。
風見先輩から私達は一人数カ所の事務所を割り当てられ、午後十一時を回った今も絶賛仕事中である。悲しいかな、徹夜は慣れっこだ。

それにしても、今日は少し身体が怠かった。昨日は風見先輩に言われた通り、皆早めに帰宅したのに。

事務所のドアの鍵穴にピッキングツールを二本差し込んだ。何だか視界がぼやけて来るので、私は頭を振る。疲れが溜まってるんだろう。
慣れた手つきで作業をしていると、カチャリと心地良い音が耳に響く。私はそっと中に忍び込み、カメラと盗聴器の回収作業に取り掛かった。
頭の中に、どこに何を仕掛けたのかインプットされている。

盗聴器はコンセントカバーの裏、机の裏側。延長コードに額縁の裏。
火災報知器型のカメラと、テレビやエアコンの電化製品の裏側にも小型カメラを仕込んでいる。観葉植物の植え込みに仕掛けたカメラも忘れてはいけない。
ゴソゴソと作業をしていると、心なしか身体が火照っていた。

「……暑いな」
パタパタと手で仰ぐ。窓を閉め切っているせいかもしれない。
私は、袋にそれらを回収して次の事務所に移動した。

次の事務所にも楽々と侵入出来た。
懐中電灯だけの心許ない明かりの中、コンセントカバーを取り外しているとそれは突然やって来た。

身体が熱くて、暑くてたまらない。
喉が渇いて仕方がない。いつの間にか私の口からは、はっはっと浅い息が溢れていた。

「ヤバイ……、何で、」
現在進行形で私の身体を襲う現象を抑える薬は、しっかり飲んでいるのに。その事実をまるで嘲笑うかのように襲う発情期ヒート

まだ作業は終わっていないし、後一軒残っているのに。
こんな敵地の中で、ヒートを起こしてしまうなんて。こういう時のために、予備で持って来て良かった。

私はヨロヨロと立ち上がり、給湯室を拝借することにした。本来なら、忍び込んだ証拠になるような行動は御法度だがそんなこと言っていられない。

給湯室に倒れ込むように駆け込んだ私は、水と共に抑制剤をゴクリと流し込む。ヒートが始まってから服用したところで付け焼き刃だけど、飲まないよりはマシな筈だ。
ズルズルと尻餅を付いて、私は身体を丸めた。

早く……。早く収まれ!

「どうしよう、効かない……!」
風見先輩に電話して事情を説明するしか――。

「……ッ!?」

事務所の玄関の鍵が開いて誰かが入って来る気配。

嘘でしょ、こんな時に!

最悪だ。もしかして忘れ物とか取りに戻って来たのだろうか。
兎に角隠れなきゃ。
ヒートでぼんやりする思考で、暗闇の給湯室内をキョロキョロと見渡すが人一人隠れられる所はなさそうだ。ならば気配を消して、死角で身を潜めるしかない。

私は這うようにゆっくりと部屋の片隅に移動し始める。何者かの気配がこちらに近付いて来る。心臓がバクバク脈打っている。
ヒートのせいなのか、こっちに近付いて来る見知らぬ相手に対してなのか解らないけれど。
チカッと眩しい明かりを向けられて、私は目を瞑る。

「き、君は風見の部下の――」

薄っすらと目を開けると見覚えのある人物が立っていた。
- ナノ -