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※2023年リヴァイ兵長誕生日

 十二月二五日。一昨日から降り続けた雪は止み、今朝は一段と冷え込んでいる。ほぅ、と息を吐くと白い湯気が立ち昇った。年の瀬も差し迫り、朝から兵団本部内は大掃除や新年の準備で浮き足立っている。
 朝食というには中途半端な時間の食堂には、食事係が昼食の仕込みを行なっていた。俺は朝食の残りをもらい、黙々と咀嚼していく。いつもと変わらないメニューだが、温かいスープは冷えた身体に沁みる。騒がしい足音と共に静かな朝食の時間は終わりを告げた。
「いたいた! 探したよ!」
「ハンジ。朝から騒々しい」
「騒々しいなんて酷い言い草だなあ」
 ハンジは向かい側に座った。とっくに業務は始まっている時間だ。
「堂々と仕事をサボるな。お前は今日休みじゃないだろ」
「サボってないよ。すぐ戻るって。ほら、今日はリヴァイの誕生日だろ?」
 問答無用で小包を渡され、意表を突かれてしまった。
「何だこれ」
「だからプレゼントだって! 巨人研究の論文締切で忙しい中、綺麗好きな君のために石鹸セットを見繕ったわけ」
 ハンジに論文を依頼するとは物好きな輩もいるものだ。訓練兵の巨人科授業の教材にハンジの論文が一部載ったこともある。
 それはさておき、包みを開けると二つの石鹸が顔を覗かせる。いつも贔屓している石鹸屋のもので、そろそろ買い足そうと思っていたのだ。
「……ハンジ。ありがとうな」
「どういたしまして。今日のリヴァイは機嫌が良さそうだね」
「馬鹿言え。俺はいつも機嫌が良い」
「そろそろ戻らないと締切がまずい。リヴァイ、良いお誕生日を!」
 ハンジは得意げな顔のまま、自室へ戻って行った。相変わらず嵐みたいな奴だ。

 食事を終えた俺は、すれ違う部下や同僚達からお祝いの言葉や茶菓子をもらってしまった。
「兵長! お誕生日おめでとうございます」
「プレゼントです! 良ければもらって下さい」
「お前ら、ありがとう」
 調査兵団に入団して数年経っても、面と向かって祝福を受けるのは照れ臭くて仕方ないが悪い気持ちは一片もない。そう思えるようになった俺は昔に比べて考え方がだいぶ丸くなったのかもしれない。両手に抱えた誕生日プレゼントやお祝いの言葉の数々は全て大事なものだ。
 俺は手早く身支度を済ませ、外出する準備を整えた。仕事と無関係の外出は久しぶりだし、あの店に行くと思うだけで気持ちも軽やかになってしまう。
「リヴァイ。少し良いか?」
「エルヴィンか。構わない」
 食堂から自室に至るまでの間、誕生日を祝ってもらえたおかげでエルヴィンが何をしにやって来たのか分からないほど鈍感じゃない。
「今日は俺の誕生日だ」
「せっかく驚かせようと思っていたのだが」
 エルヴィンは少し残念そうに言った。そんなに俺を喜ばせたかったのだろうか。もう誕生日を喜ぶ年齢でもないのだが。
「食堂でハンジからプレゼントをもらった。ミケやナナバ、他の奴らからもな」
「良かったじゃないか。俺からも渡しておく。毎度同じで申し訳ないが紅茶だ。内地で評判のものだ」
「別に構わない。エルヴィン、ありがとう」
「ところで、今日はどこに行くんだ?」
「……紅茶を買いに行く」
「ああ、あの店か。ナマエによろしくと伝えてくれ」
 数ヶ月働き詰めだった俺を見かねたエルヴィンの采配で、今日は強制的に休みされてしまった。そもそも目の前にいる男はいつ休んでいるのだろうか。俺が知る限り、調査兵団トップが調整日を取っているようには見えない。
「今日はゆっくり休んで、また明日から山ほど働いてもらう。ははは、冗談だよ」
「お前のは冗談に聞こえないんだよ」
 休むのも仕事の内だ。それがエルヴィンの持論だからせっかくの休日は無駄に出来ない。コートを羽織り、さっそくローゼの街へ繰り出した。

 軒を連ねる建物の屋根には雪の名残がある。肺いっぱいに空気を吸い込むと身体中に冴え冴えした冬の匂いが充満した。肌を突き刺す冷たさは背筋が伸びる気持ちになるから嫌いじゃない。十二月二五日を迎えたローゼの街中は、いつもと何ら変わらない。大人は仕事に精を出し、子供は元気に駆け回っている。
 誕生日を迎えても大した感慨は湧いてこない。昨日からの延長線というだけで、何かが変わったと言うなら一つ年をとったという事実だ。今日が終われば明日がやって来て――それを死ぬまで繰り返すだけ。
 そもそも幼い頃に産まれた日を祝ってもらった記憶がないので疎いのかもしれない。母は俺が物心つく頃に死んでしまったし、ケニーは地下街で生きる術を教えてくれただけだった。
 誕生日はお祝いするものだと初めて知ったのは、地下街でファーランと出会って連むようになってからだ。イザベルが仲間に加わってから美味い食事を摂るようになった。特別な日には美味しい飯をたらふく食べたいという彼女の要望でもあった。もちろん二人の誕生日を祝ったこともある。二人の喜ぶ顔が見れれば、理由は何だって良かったのだが。
 地下も地上も弱者は強者に食われる理は変わらない。もちろん俺だって何も変わっていない。ただ、誕生日を祝う気持ちは分かってきたと思う。
 生と死が隣り合う特殊な環境下に身を置く俺達は巨人の臭い口の中で生涯を終えることも多い。再び一年後に祝福を受けられる仲間はほんの一握りで、誕生日は彼らにとってかけがえのない日だと分かった。だから俺も仲間の誕生日には祝いの言葉を贈るようになった。
 石畳にうっすら積もる雪を踏み締め、ローゼの商店街を縫うように歩く。昨年の誕生日にエルヴィンからもらったプレゼントも紅茶だった。どこの店の物かと聞いたら、ローゼの商店街にある専門店だと教えてくれたのだ。
 その紅茶は官営品と比べ、芳醇な香りとすっきりした味わいで美味かった。それ以降、自分へのご褒美にその店の紅茶を購入するようになったわけだ。
 生まれて初めて紅茶を口にしたのは、まだ地下街の破落戸だった頃だ。そもそも地下街には違法ルートを介してあらゆる高級品が流れ着き、その中に紅茶もあった。確か憲兵団の官営品だったと思う。地下街の飲料水は泥水みたいで飲める代物じゃなかったが、官営品の紅茶を口にした時はこんなに美味い飲み物があるのかと感動したものだ。未だに初めて飲んだあの味を思い出すことは出来る。
 俺がその紅茶専門店に通う理由はもう一つある。
 柄にもなく、店主のナマエへ密かに片想いを拗らせている。ナマエと世間話をする時は泣く子も黙る人類最強でもなく、どこにでもいるただのリヴァイになれるのだ。兵団関係者やどこぞの偉い貴族を相手にするのは骨が折れるし気疲れもするが、利害のない相手と会話する時間は心地良い。
 緊迫する生活の中に芽吹く僅かな安らぎの時間を大事にしたい。最初は美味い紅茶が手に入るからと思っていたが、ナマエと言葉を交わす内にこの感情が恋だと気づいてしまった。
 はなから彼女へ気持ちを伝える気もないし所帯を持ちたいとも思っていない。人類最強と謳われても兵士長でいる限りいつ死ぬか分からない身だ。遺される人間の気持ちは一番分かっているつもりだから、俺は大事な人を遺して死ぬくらいなら誰とも添い遂げない方を選ぶ。だからこの恋は叶わなくて当然なのだ。我儘を言って良いなら――俺の誕生日を彼女が覚えてくれていたら嬉しい。年甲斐もなくそんなことを思ってしまう。

 店の扉を開けると、清らかな鈴の音が来客を知らせた。
「いらっしゃいませ。あら、リヴァイさん! 今日はお休みなの?」
「ああ。久しぶりの調整日だ」
「ふふ、元気そうで安心したわ」
 ナマエは、にこりと笑顔で出迎えてくれた。冷えた身体に暖炉の暖かさが心地良い。
 店内は三六〇度見渡しても紅茶で溢れている。温かみある木製の棚には大小様々のブリキ缶に茶葉が収められているのだ。以前来店した時より数が増えているような気がする。味わい深いデザインの什器じゅうきはアンティークを基調とした店内の雰囲気に馴染んでいる。
「エルヴィンがよろしくと言っていた」
「エルヴィン団長もしばらく来てないけど忙しいの?」
「エルヴィンはいつも忙しそうにしている。まあ、元気だから心配するな」
「それなら良かったわ。あ、今日は何にする? いつものブレンドティ?」
「いや、今日は違うのが良い。おすすめはあるか」
「そうねぇ……リヴァイさんなら、これはどう? 春摘みのダージリンをベースにベルガモットの香り付けしたフレーバーティ。味はとても繊細よ」
 ナマエはブリキ缶の蓋を開けてくれた。鼻腔に芳しい茶葉の香りが広がり、心癒される。この店は等級ごとに茶葉を振り分けているため雑味のない均一な一杯に仕上がる。だから官営品より美味かったのだ。
「香り高い。悪くないが、他には何かあるか? たまにはミルクを入れて飲むのも良い」
「あら珍しい。ミルクに負けない茶葉は……」
 ナマエはしばし棚を眺めてから、二つの缶を取った。
「定番ならこれ。初夏に摘まれた茶葉はミルクやスパイスの香りに負けない、豊熟な甘みが特徴なの。少し変わったものが良いなら、アッサムのブレンドティもおすすめね。爽やかな香りと麦芽の味わいが特徴で、ミルクティで飲んでも美味しいわ」
 ナマエは茶葉を見せてくれた。どちらも一般的なリーフティではなくころころしている。摘み取った茶葉を細かく砕きボール状に丸めて加工した代物は、しっかりした渋みが特徴なのでストレートで飲むには不向きなのだ。
 せっかくだからナマエがおすすめしてくれた二つを購入することに決めた。
「アッサムのブレンドティと春摘みダージリンのフレーバーティを五〇グラムずつ頼む」
「かしこまりました。あとは何かある?」
「いや、それで良い」
「じゃあ包むから待ってて」
 俺は天秤で茶葉の量を測るナマエを眺めた。計量スプーンで茶葉を掬い、天秤でグラム数を手際良く測っていく。
「壁外調査はしばらくお休み?」
「ああ。雪が解け切らないと馬も走りにくいからな」
「じゃあ、春先まではゆっくり出来るのね」
 ナマエは安堵の表情を浮かべた。春先まで壁外調査がないとは、春先までは誰一人欠けないと同義。ナマエが言葉にせずとも些細な機微で何となく分かってしまうのは俺が惚れているからだろう。
「ゆっくり過ごせるかはエルヴィン次第だ。仕事は山ほどある。今日は強制的に休みをもらったが、明日以降は働かされるらしい」
 ナマエは口元に愛嬌のあるえくぼを寄せ、俺と似たようなことを言う。
「リヴァイさんが言うと冗談に聞こえないわ」
「ところで、ナマエの仕事はどうなんだ。忙しいか?」
「ぼちぼちね。契約農園の数も増えたし、最近は内地から来るお客様もいるわ」
「だから紅茶の種類が増えたのか」
「リヴァイさんって、意外と周りを観察してるよね」
「よく言われる。わざわざウォールシーナから来る客もいるなら、繁盛してそうで良かった」
 客として自分の好きな店が繁盛しているなら嬉しいし応援したくもなる。実際、ここの紅茶は美味いから内地で評判になるのも頷ける。紅茶好きの俺が言うのだから間違いない。
「あ、今日はリヴァイさんに渡したいものがあるの。ちょっと待ってて」
 ナマエは猫のように翻り、店の奥に引っ込んでしまった。

 渡したい物とはもしかして――。
 三十路の男が期待に胸を膨らませるなんて子供じゃないか。泣く子も黙る人類最強だって皆と同じ人間なんだから仕方ないだろうと、相反する気持ちが胸いっぱいに入り混じりせわしない。我ながら重症かもしれない。
 店の裏からナマエは戻って来た。
「お待たせ」
「別に……待ってない」
 たった数分だったのに体感時間が長く感じたのは錯覚ではないはずだ。
「リヴァイさん。お誕生日おめでとう」
 ナマエと視線が絡んだ。嬉しそうに顔を綻ばせる彼女は大輪の花みたいに美しくて俺は視線を外せなかった。
「あまり市場に出回らないオータムナムの紅茶よ。秋摘みの茶葉は収穫量が少なくて貴重なの。他のダージリンと比べて芳醇な香りと旨みが凝縮されてるから、ミルクとの相性も良いわ」
「……あ、ありがとうな」
 嬉しさで緩んでしまいそうな口元に力を入れる。平静を装いつつお礼を言うのに精一杯で茶葉の説明は半分も耳に入ってこない。ナマエは俺の様子に気づいておらず、別の小包を差し出した。
「あと、これもどうぞ」
「これは……ドライフラワーか?」
「お茶の花を焙煎したの。秋が深まる頃に咲く花なんだけど、茶葉を育てるために摘み取っちゃうから珍しいのよね」
 だから青々した茶畑と白い花が想像出来なかったのだ。控えめな白い花弁は可愛らしかった。
「紅茶に茶花ちゃかを浮かべると、気持ちも華やぐわ。良かったらやってみて」
「さっそく試してみる」
 もう一度お礼を伝えて店を出ると、頬にひんやりした外気が纏わりついた。
「ナマエ」
「何?」
 無意識に呼んでしまった。燻った想いが溢れる前に理性的にならなければ。
 隣にいて欲しいとか振り向いて欲しいとか、そんな我儘は言うつもりない。ただ、この店に彼女がいてくれるだけで良い。
「……また今度来る。寒いから風邪引くなよ」
「ええ、待ってるわ。リヴァイさんも体調に気をつけて」
 ナマエはにこりと笑って、俺を見送ってくれた。
 兵営の自室へ戻り、さっそく紅茶の支度に取りかかる。部下にもらったクッキーをお供に、せっかくだから茶花を浮かべてみようか。
 沸騰したお湯をポットとカップに注いで、あらかじめ温めておく。温めたポットにオータムナムの茶葉を入れ、お湯を注いで数分蒸らせば美味しい紅茶の出来上がりだ。カップに注げば、ふわっと奥行きある甘い香りが広がる。深い赤色に浮かぶ二つの小さな白い茶花。温かいカップの中身が華やかになった気がした。
 葡萄を思わせる香りは気品さも感じる。鼻腔に広がる香りに癒されながら、紅茶を一口飲む。春摘みと夏摘みに比べて、まろやかで柔らかな甘みを舌の上で味わう。
「……美味い」
 次回、店を訪れたら美味かったと伝えよう。きっと喜んでくれるはずだ。紅茶に浮かぶ小さな花を見つめながら、ナマエへ想いを馳せてしまう。淹れたての紅茶と共に恋慕の情を飲み込んだ。


*茶花の花言葉…追憶・純愛

ダージリンの花言葉
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