自由か、はたまた絶望か

「本日を以って訓練兵を卒業する諸君らには三つの選択肢がある。
壁の強化に努め、各街を守る駐屯兵団。犠牲を覚悟して壁外の巨人領域に挑む調査兵団。
王の元で民を統制し秩序を守る憲兵団。
無論新兵から憲兵団に入団出来るのは先程読み上げた上位十名だけだ。後日配属兵科を問う。本日はこれにて第百四期訓練兵団解散式を終える……以上!」
三年間にわたる血反吐を吐くような厳しい訓練を経て、百四期訓練兵達は解散した。

今、この広場にいる人数は入団当初と比べてかなり減っている。過酷な訓練に耐えられず、途中で根を上げて開拓地送りにされた者達。
朝起きれば隣の布団から忽然と姿を消した者達もいた。消灯時間後を見計らって夜逃げ同然で脱走したのだろう。
立体起動の訓練時に誤って落下して大怪我を負った者や、実際に死亡者も出た。そんなきつい三年間を、ひとまずミーナは耐え抜いたのだ。

何度も逃げ出そうと思ったこともあったが、ナマエの存在に助けられてここまで踏ん張って来れた。今夜は百四期として最後の夕飯をミーナはいつものようにナマエと摂っていた。

「まさかサシャが十番以内に入ってるとは思わなかった!」
ミーナはパンを頬張りながら、隣にいるサシャに声を掛けた。首席は言わずもがなミカサだった。サシャは九番目の成績を修めたのだ。
「サシャは勘が鋭いところがあるからね」
「ナマエ。そのパン、食べないのなら、私が食べても良いですか?」
やはりサシャは成績順位のことより食い気らしい。
「……あげるよ」
ナマエが手付かずのパンと物欲しそうなサシャの顔を交互に見てから――少し迷った後、結局パンをサシャへ渡した。

「良いよな、お前らは十番以内に入れてよ。どうせ憲兵団に入るんだろ?」
ふと、近くから憲兵団入りを羨ましがる声が聞こえた。どこのテーブルでも、所属兵科はどこにするのかという話で持ちきりである。
「はぁ?当たり前だろ。何のために十番以内を目指したと思ってんだ」
「オレも憲兵団にするよ。王の近くで仕事が出来るなんて……光栄だ!」

近くのテーブルからジャン達の声が聞こえた。ミーナはそちらの方へ目を向けた。ナマエも、ジャン達の様子をじっと眺めている。
「まだお利口さんをやってんのか、マルコ。やっとこのクッソ息苦しい最前線の街から脱出出来るからだ!内地での安全で快適な暮らしがオレ達を待ってっからだろうが!」
ジャンが興奮気味にテーブルを乱暴に叩く。相変わらずの露悪的な態度に、ミーナは顔を顰めた。彼が訓練兵に入団した理由は、今更聞かずとも周知の事実である。ジャンの親友であるマルコが心外だと反論する。
「は、恥をしれよ。少なくともオレは――」
「あぁ、オレが悪かった。お前は優等生だったな。しかしお前らなら……どうする?」
マルコも、エレンとナマエと同じように特異だとミーナは思う。

殆どの同期達にとって憲兵は、内地での安寧を手に入れるための切符のような存在である。壁を世界を統べる王や、壁の民に身も心も捧げるつもりなんかないのだ。だから、ジャンの意見は一般論であり、マルコのように王の近くで働くことが光栄だと思う方が珍しい。
「オレ達が内地に住める機会なんてそうそうないぜ!?それでも“人類の砦”とかいう美名のためにここに残るのか?」
先程までの楽しい夕飯の雰囲気は一変、水を打ったように静まり返ってしまう。誰かが、ジャンの問いにボソボソと答えた。
「そりゃあ、好きでこんな端っこに生まれたわけじゃないし……」
「巨人の足音に怯えなくて済むんなら……」
「だよなあ……、皆内地に行きたいよな?」

ジャンが“どうだ、これが本音だ”と言いたげな満足したような口振りだ。
「僕は憲兵団を志願するよ」
「私も……だけどあんたと一緒だとは思われたくないわ」
ベルトルトとアニの言葉に、ジャンはあまり気にしていない様子だった。

「内地が快適とか言ったな。この街も五年前まで内地だったんだぞ」
お決まりのように、エレンが噛み付いた。

エレンはジャンと正反対で、調査兵団に入るために訓練兵に志願した。彼らはお互いの考え方の相違で、入団当初からどうも反りが合わなかった。何かと突っ掛かり、殴り合いの喧嘩まで発展する。加えて、ジャンはミカサのことが好きなのだ。
だが、当のミカサは彼の気持ちに全くもって気付いていない。これも同期全員の共通認識である。
ミカサがエレンばかり気に掛けるものだから、ジャンは面白くないらしく、一方的な嫉妬が原因で喧嘩になることもしばしばあった。とにかく、様々な理由で二人はぶつかって来た。
「ジャン……内地に行かなくてもお前の脳内は“快適”だと思うぞ?」
「エレン、やめなさい」
いつものようにミカサがエレンを窘めた。
「オレが頭のめでたいヤツだとそう言いたいのかエレン?」

ジャンは少しだけ間を置いて、現実を突き付ける言葉を食堂にいる全員へ投げた。
「四年前――巨人に奪われた領土を奪還すべく……人類の人口の二割を投入して総攻撃を仕掛けた。そして、その殆どがそっくりそのまま巨人の胃袋に直行した。あと何割か足せば領土は奪還出来たのか?巨人を一体倒すまでに平均で三十人は死んだ。しかしこの地上を支配する巨人の数は人類の三十分の一では済まないぞ。もう十分解った。人類は……巨人に勝てない」

王政のあからさまな口減しのといわれている悪名高い施策のことである。あの施策を思い出し、食堂の空気はお通夜状態となった。巨人がどうやって人間を喰べるのか、ミーナは見たことはないけれど、想像して身震いする。
「それで?」
しかし、エレンはそんなことお構いなしに続けた静まり返った食堂に、彼の声は良く通った。
「なあ……、諦めて良いことあるのか?あえて希望を捨ててまで現実逃避する方が良いのか?そもそも、巨人に物量戦を挑んで負けるのは当たり前だ。四年前の敗因の一つは巨人に対しての無知だ。
負けはしたが、得た情報は確実に次の希望に繋がる。お前は何十万の犠牲で得た戦術の発達を放棄して大人しく巨人の餌になりたいのか?冗談だろ?」
一同はエレンの言葉に静かに耳を傾けている。
「オレには夢がある。巨人を駆逐してこの狭い壁内の世界を出たら――外の世界を探検するんだ」
「ハッ、何言ってんだお前?めでたい頭してんのはお前の方じゃねえか!見ろよ、誰もお前に賛成なんかしねえよ!」

エレンの夢にジャンは鼻で嗤ってから、周囲を見渡す。ミーナは隣に座っているナマエをそっと伺ってみた。彼女は何も言わずに、エレンとジャンの遣り取りに目を向けていた。
「ああ……そうだな。解ったから、さっさと行けよ内地に。お前みてぇな敗北主義者が最前線ここにいると士気に関わんだよ!」
「勿論そのつもりだがお前こそ壁の外に行きてぇんだろ?さっさと行けよ。大好きな巨人がお前を待ってるぜ?」
周囲がこの場を見守るような視線を投げていると、二人はどちらともなく掴み掛かった。
「また始まったぜ!」
食堂を支配していたお通夜のような暗い空気は瞬時に払拭され、周囲は殴り合いを始めた二人を煽るように湧き上がる。

周囲も面白がっている者もいれば、またかと呆れている者もいる。今夜で百四期は解散だというのに――二人にはあまり関係なさそうだ。
「オラ!エレン!どうした!人間オレに手間取ってるようじゃ巨人ヤツらの相手なんか務まんねえぞ!!」
ジャンの右拳はエレンの防御で阻まれる。
「あたりめぇだ!!」
エレンの膝蹴りが勢い良くジャンの鳩尾に入った。ジャンは踏ん張ってから一撃をエレンに繰り出すも、簡単にエレンに躱されてしまう。互いに一進一退の攻防戦であるが、若干ジャンがエレンに押されていた。
「その辺にしとけ!忘れたのかジャン!?エレンは対人格闘成績は今季のトップだぞ!」
ライナーが大きな声で忠告した。
「お、降ろせよ!」
後一撃で決着が付くというところで、エレンを軽々しく持ち上げたのはミカサであった。ミカサによって取っ組み合いは強制終了となった。
「いや……ミカサに次いでだったっけ?」
ミカサの肩にいとも簡単に担がれて、じたばた暴れているエレンを周囲は面白おかしく笑っていた。

壁の中の世界から巨人が蔓延る外に行きたいなんて、普通なら思わない。外の世界は「死」しかない。壁の中で暮らす人類の殆どがそう思っている。
だからミーナは自分と比べて、目的意識があるエレンとナマエを羨ましいと思っている。

何故エレンの言葉が胸に刺さるのだろう。
ジャンがエレンに対して何か吠えている声が聞こえた。ミカサに抱えられたエレンも喚いている。どうやら、二人の喧嘩はお開きになったようだ。
「ミーナ、そろそろ行こう。もう夜も遅いし、明日の襲撃想定訓練に起きられなかったら大変だよ」
隣のナマエが静かに腰を上げた。そして、そのまま出口へと向かってしまう。エレンとジャンの取っ組み合いが終わったものの、食堂にはまだ大半の同期達が残っていた。
「あ……うん!待ってよ、ナマエ!」
ミーナは親友の背中を慌てて追い掛けた。

小走りで追い付き、一息吐いたミーナは思い切ってナマエに聞いてみた。
「――ねえ、ナマエ。やっぱり調査兵団に入るの?」
「うん。そのつもりだけど、どうしてそんなこと聞くの?」
質問を質問で返されてしまった。ナマエがきょとんとした顔でこちらを見返して来る。彼女の表情は、ジャンの言葉に気分を害された様子はなさそうだった。
「いや、ナマエにこんな聞き方するのは酷だと思うけど、巨人が怖くないの……?」
ミーナは一度として、彼女に巨人がどうやって人間を喰べる様子を聞いたことはなかった。寧ろ聞けなかったというのが正しいだろう。きっとナマエは、目の前で人が巨人に喰べられる瞬間を目にしているから。

五年前ウォールマリア陥落の報がカラネス区に伝わりミーナは全身が震えた。
そして数日前に両親の仕事の関係でシガンシナ区へ向かった親友の安否が気になって、生きた心地がしなかったことを覚えている。数日後一人だけ帰宅したナマエの姿を見てミーナはホッとした。

あの時は、泣き出したくなるのを抑えながら駆け寄り、思い切り抱き締めてあげた。抱き締めた彼女の身体は幾分窶れていた。やっぱり涙を我慢することが出来なくて、ミーナは泣いた。
『父さんと母さんが――死んだ』
自分の腕の中に大人しく収まっている親友がぽつりと呟いて。――巨人に喰べられたのだと、察した。
「怖いよ、とても。出来ればもう二度と見たくない」
ナマエの言葉が夜の空気に溶けて行く。
「じゃあ、どうして?」
「“おめでたい頭”しているから」
ナマエが困ったように笑っている。
「……ジャンは内地に行くことしか頭にない。エレンとジャンが喧嘩して面白がっている他の皆も――私も……ただ臆病なだけで、死にたくないから………!」

シガンシナ区を襲った巨人は壁よりも大きくて、シガンシナの町並みを覗いていたいう。
「巨人と対峙するのが怖い……。訓練兵団ここで巨人殺しの術を学んでも……所詮は作り物のハリボテ相手だもの」
ミーナは自分の言葉の語尾が徐々に弱々しくなって行くのを感じた。あんな悲劇が起きるとは思わなかった。ずっと、永遠に平和な世界が続くと思っていたのに。三重の壁に司る女神達の安全神話は、呆気なく瓦解してしまった。

今思えば、ただ百年間何も起きなかったというだけで、何の根拠もない話である。“人類は巨人に勝てない”という事実と、巨人に対する恐怖心がミーナの語尾を弱める。
「エレンもジャンも間違ったことは言ってないと思うよ」
「じゃあ、ナマエは……どっちが正しいと思う?」
「どっちが正しいかなんて、人の数だけあるんじゃないかな。立場や境遇によって違うと思う。臆病なことが悪いなんて思ったことないよ。それって当たり前のことだと思うし私だって怖いもの。でも、エレンの言う通り巨人に対抗する術を持たないと、次攻められたら人類は滅亡するかもしれない」
あの日から、絶対的な安全などこの世に存在しないと記憶に刻み込まれた。

女子寮のバルコニーに腰を下ろしたナマエが夜空を見上げてそう言った。雲の隙間から月明かりが静かに周囲を照らす。食堂から寮へと向かう人影がちらほら見える。
「この星空も、街に流れる運河もどこまで続いているんだろう。鳥は壁の向こうの光景を目にしているのかな?ミーナは、どう思う?」
「……え?」

ふいに話を問いかけられたミーナは、一瞬だけ反応が遅れてしまった。
「どうって……、私には想像出来ないよ。見たことないもの」
「……そうだよね」
「ねぇ、どうして外の世界に行きたいの?ナマエの夢って何?」

ただ純粋に知りたかった。ナマエは幼い頃から外の世界に心酔しているようだったから。
命の危険を冒してまで、調査兵団に入る価値があるのだろうか。
「塩水で出来た巨大な湖が見たいの」
ナマエの言葉を聞いて拍子抜けしてしまった。

彼女の家系は、カラネス区一帯を牛耳るイリス商会の構成員である。三年前、彼女から商会を除籍されたと聞いた。理由は調査兵団に入りたいが故に、会長と揉めたという。訓練兵団に入団すると同時に、名字を剥奪される予定だと説明されてミーナは困惑した。“家族”を捨てる程、調査兵団に入ることが重要なのか、と。
その理由が今、やっと本人の口から語られた。
「……“海”っていうんだよ」
「ウ、ミ……」
初めて聞く単語。イントネーションだった。そして、神秘的な語感である。
「もしかして、それだけの理由で商会を除籍されたの?」
その問いに、ナマエが首を縦に振る。
「自分の目で見ることが大事なの」
きっぱりとした口調。意志の強い黒色の瞳は前を見据えている。消去法で駐屯兵団へ進もうと考えているミーナにとって、言葉の意味が重くて仕方がない。

もう一度夜空を仰いだ。
「……そんな光景が本当にあるのかな」
壁に切り取られたそれに散らばる星が、宝石のように輝きを放ち、綺麗だった。

もし、壁を取っ払うことが出来たなら。三六〇度障害物のない空を見ることが出来る。ミーナが一度も見たこともない――素晴らしい光景が広がっているのかもしれない。
「ミーナ」
名前を呼ばれて、思考を現実に戻す。
「……私の名字のことで迷惑掛けて本当にごめんね」
ここでは孤児院育ちという設定・・になっている。名字がない理由を聞かれれば、ミーナも何度か一芝居打ったことがあった。

そもそも、この世界では孤児は珍しいものではない。名字が解らない子供達も多いから、特別なことではないのだ。同じカラネス区出身者でも、ナマエのことを知らない者達も結構いたから割と都合が良かった。
「本当に、あんたは……“馬鹿”だよ」
「……ありがとう」
彼女は眉根を下げて笑った。
「別に、褒めてないよ」
それでもナマエのことを捨てて置けなかった自分も“馬鹿”なのだ。

「あんた達、こんな夜遅くまでどこ行ってたの」
ミーナとナマエが女子寮に戻ると、同室のアニが不機嫌そうな顔で出迎えた。ベッドを見ると、既に布団が敷いてあって就寝の支度が出来ている。アニが寝支度を整えてくれたのだ。
「ごめんね、アニ」
ミーナは謝った。明日は早いから、待っていなくても先に寝てて良かったのに。アニは素っ気ない態度だけど、何だかんだ優しい。
「明日の訓練に備えてさっさと寝るよ」
問答無用で部屋の灯りを消されたので、ミーナとナマエは情けない声を上げた。

消灯されてから手早く寝支度をしたミーナは、布団に包まって静かにじっとしていた。考え事が頭の中をぐるぐると回り、返って頭が冴えてしまう。食堂でのエレンとジャンの言葉は、今も頭の中に留まっている。
どの選択が自分の人生で納得が行くのか考えたかった。

でも、ミーナは上位十位内に入っていないので駐屯兵団か調査兵団の二択である。所属兵科によって残りの自分の人生が全く変わってしまうのは、火を見るよりも明らかだ。考えるまでもなく、迷わず駐屯兵団一択なのに。それが消去法だと随分前から薄々気付いている。
これが胸につっかえて釈然としない気持ちの正体だ。内容がどうであれ――目的意識があるエレンとナマエのことを羨ましく思うのはその裏返しである。
『諦めて良いことあるのか?あえて希望を捨ててまで現実逃避する方が良いのか?』
『自分の目で見ることが大事なの』

巨人を全て駆逐したら人類は本当の自由を手に入れられるかもしれない。窮屈な壁の中の世界が終わるのかもしれない。現状は真っ暗闇の中にいるのに希望は転がっている。
無力な自分は何が出来るのか。外の世界は人類に一体どんな景色を見せてくれるのだろう。
自由か、はたまた絶望か。



翌日。百四期訓練兵達は、トロスト区にて駐屯兵団と合同で超大型巨人が現れたことを想定した訓練を行う予定だ。昨夜百四期生は解散したが、所属兵科が決まるまではここで生活することになっている。
「ほら、早くして。置いてくよ」
「待ってよ、アニ。まだ着替えてるのに」
「寝坊したあんた達が悪いでしょ」
言葉とは裏腹に、アニは二人が着替え終わるのを扉の近くで待ってくれた。昨晩遅くまで起きていたのか、寝惚け眼のまま食事をしている者もちらほらいる。朝食を済ませると、キースを先頭に訓練兵達はトロスト区へ出発した。

ウォールマリア領陥落後、ウォールローゼ領・トロスト区が最前線の街になってから早五年。
南方領の中で巨人の危険に曝される可能性が一番高い街にも関わらず、人々の活気に溢れていて賑わっていた。あの日から五年経とうが何十年経とうが、ナマエの胸の奥の痛みは変わらない。今日はあの日――シガンシナ区陥落の日の前触れのように平和だった。
ナマエ達訓練兵は、街中を歩き駐屯兵がいる壁際まで向かう。
「ねえ、ナマエ」
「なあに、ミーナ」

隣のミーナに名前を呼ばれたナマエは、ミーナへ視線を向ける。彼女の顔は何か決意めいた表情で前を見据えていた。
「私、ナマエと一緒に調査兵団に入ろうと思う」
「え?」
ナマエはミーナの言葉に思わず足を止めた。真剣な表情の親友がナマエを見つめている。
「ミーナは駐屯兵団を希望しているんじゃなかったっけ?やっぱり昨日のエレンの言葉で……?」
心当たりがあるとすれば昨夜のエレンの演説だろう。巨人の巣窟である壁外へと向かう調査兵団を希望するなんて自分でも思ってもみなかったと、ミーナ自身も信じられないと言った。
「昨晩考えてみたんだ。エレンとナマエの言葉に動かされたっていうのかな」

ナマエの顔を見るのが気恥ずかしくなったらしいミーナは、再び歩き出した。ナマエも慌ててミーナを追い掛けるように歩き出す。ミーナは自分の気持ちを上手く言葉へと噛み砕くのに苦心しているようだった。

「私が訓練兵に入団したのは、別に巨人が憎いとか、外の世界に興味がある訳じゃないの。ナマエが訓練兵に志願するって聞いたからでもない。ほら、十二歳になったら入団するのが当たり前っていう空気があったでしょ?」
「兵士になれば食い扶持には困らないからね」
「今まで、この壁の中で生きることが私の人生だって思っていたの。私は何かに優れている訳もない。平凡だし、上位に入って憲兵団へ入ることは出来ないって最初から解ってたから。駐屯兵になって壁の強固に勤めるのが私らしいって。真面目に勤めていつか憲兵団に異動しようってそう思っていたの」
ミーナは寂しそうな笑みを顔に浮かべた。
「でも、エレンが四年前の敗因から学べば巨人に対抗出来るかもしれないって言った。ナマエが商会を除籍されても見たいって言った“ウミ”を、私も見てみたい。たった一度切りの人生を……消去法で選んだ人生にしたくない。巨人がいなくなったら……、私達は本当の自由を手に入れられるかもしれないんでしょう?」
ミーナの黒い瞳が熱を帯びる。
「自分が納得する生き方って何だろうって夕べずっと考えていたんだ。エレンやナマエのことを羨ましいってずっと思っていたの」
「羨ましい……?」
「でもね、自分の人生を消去法で選ぼうとしていたからだって解ったの。私は上位十位内に入ってないから強くないし臆病だけど――どちらかが先に死んでしまうことになっても、私は後悔したくないんだ」
ナマエは黙ってミーナの気持ちを聞いていた。

彼女は巨人に喰われて死ぬ確率が高い調査兵団を志望することに決めたようだ。駐屯兵団として壁の中で生きようと考えていたミーナにとって、この決意は大きなものだっただろう。
今までの考え方、生きて来た道筋。自分の弱さ、脆さ。巨人と死の恐怖を上回る勇気と好奇心。
「ナマエは私に一緒に調査兵団に入ろうって一度も言ったことないけど、それは私のことを考えてくれているからだって解ってたよ。でも、これは私が決めたことだからナマエが反対しても変えることは出来ない」
だからごめんねと、ミーナは言った。

「……決めたんだね。ミーナが考えて決めたことを私はとやかく言えないよ。ミーナが調査兵団に入るなら、とても頼もしいよ!巨人がいてもミーナと一緒なら怖くないと思うんだ」
ミーナが少し照れ臭そうに笑ったのをナマエは目にして嬉しい反面、彼女の照れ笑いが眩しかった。

確かにミーナの言う通り、ナマエは今まで一度も彼女に調査兵団に入って欲しいと思ったことも、それを強要したこともない。彼女が調査兵団に入りたいと思っていないことは、ナマエも知っていたからだ。
巨人が人をどうやって食すのかミーナには見て欲しくないし、出来れば壁の中で巨人の脅威に曝されない所で――ウォールマリア陥落後、そんな場所はないに等しいが――暮らして欲しいというのはナマエが勝手に思っているだけ。

要するにミーナを失うことが怖いのだ。あの日、あの街で両親と生き別れをしてから、未だに大事な人間を失うことの覚悟がつけないでいる。ミーナが巨人に喰べられるところを見たくないし、自分が巨人に喰べられるところを彼女に見られたくない。なのに、親友は決心してしまったようだ。

“兵士”とは、過酷な状況でも立ち向かい、いずれやって来るであろう仲間の死を目の当たりする覚悟が出来た者のことを指すのなら。三年間、訓練兵として過ごしたにも関わらず、ナマエは自分が兵士になれたとは思えなかった。
一歩先を歩く親友の背中がとても眩しくて、目を細めた。


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