本の返却は早いめに

ある天気のいい昼下がり。
本日は夜間実習のため午後の授業がない6年生たちは、委員会の仕事がある長次と伊作を除いて食堂でのんびりしていた。

「あーーーーーーーーーッ!!!」

が、突然響き渡った大声に何事かと4人の肩が跳ねる。悲鳴を上げた澄姫はその美しい顔を真っ青にして、しまった、と口元を覆いカタカタと小刻みに震え始めた。

「澄姫?」

「突然どうしたんだ?」

目をまん丸に見開いて仙蔵と留三郎がそう問い掛けると、澄姫はギギギ、とゆっくり彼らを振り向き、震える声で呟いた。

「と、図書室で借りた本…返却期限、昨日だった…」

その一言で、4人の顔が“あーぁ”とでも言いたそうなものへと変わる。
もはや説明も不要だが、忍術学園の図書室を管理している図書委員会、その委員長は書物の管理にとても厳しく、貸し出し書物の延滞は決して許さない。
そんな彼と深い関係である彼女の怯えようを見る限り、恋仲とて容赦ないのだろう。
ばたばたと慌しく食堂を飛び出していった彼女の背を見送っていた小平太は悲惨だなあと笑う。
それに同意して頷いた仙蔵…だが、次の瞬間彼は何かを思い出したかのようにはっとして、小平太と同じように笑っていた同室の男を見た。

「…待て、呑気に笑っているが文次郎、お前も確か本を借りて…」

いなかったか?そう続けた仙蔵の言葉に、びしりと凍りついた文次郎は数日前に過ぎ去った返却期限を思い出したのだろう。次の瞬間転がるように澄姫の後を追っていった。
大慌ての2人を見送りまた穏やかな空気が漂い始めた食堂で、留三郎と小平太が顔を見合わせる。

「図書室で本なんか借りるから返却期限を忘れんだよ」

「なははは!!留三郎の言う通りだな!!借りなければ大丈夫なのにな!!」

「お前らはもう少し本を読むべきだと私は思うがな」

座学を若干諦め気味な2人に、仙蔵は呆れ笑いを漏らしながら呟いた。





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食堂でそんな会話が繰り広げられている頃。
本を抱えた澄姫と文次郎は図書室の前でごくりと喉を鳴らして立ち尽くしていた。
期限を過ぎている以上怒らせてしまうことは必至。それをわかっているからこそ、一歩が踏み出せずにいた。だが、いつまでもこうしていても仕方ない。
ちらりと視線だけで合図を交わした2人は静かに扉を開けた。

「澄姫、骨は拾ってくれ」

静かな図書室に文次郎の呟きが転がり落ちる。
わかりきっていたが図書室内に見えるは深緑…と手伝いなのだろうか、群青。
しかも長次は丁度延滞者リストを調べていたようで、その額には青筋が浮かんでいる。
まるで葬式参列者のような暗い表情で返却カウンターまで歩いていった2人は、無言でそれぞれ胸に抱えていた本をそっと差し出した。
そして、じわりと殺気を滲ませた図書委員長に、揃って頭を下げる。

「「ご、ごめんなさい…」」

聞こえたその声に雷蔵は本の整理していた手を止めきょとんと目を見開く。片方の深緑はもう延滞の常習犯だが、それと一緒にいる深赤の珍しい失態にくりくりの目を何度も瞬かせた。
これはフォローをいれるべきか、それとも黙って見守っていたほうがいいのかといつもの迷い癖を遺憾無く発揮し始めたその時、ぴりぴりと肌を突き刺す殺気と不気味な笑い声が耳に飛び込んで、彼は咄嗟に持っていた本で顔を隠す。

「……ウヒヒ……ウェッヘッヘ…」

「ヒィッ!!!いや、あの、長次、これには、深い訳が…!!」

「…文次郎…何回目だ…」

「え?えーっと…二十、五、か?」

「……違う…二十、八だ」

口角を引き攣らせながら呟いた長次の拳が目に見えない速度で文次郎の顔面に叩きつけられる。そのまま勢いを殺さず回し蹴りを放ち、ぶっ飛んだ体躯を縄標が絡めとり、もがいた文次郎が反射的に袋槍を取り出そうとした一瞬の隙をつき、鍛えられた腕を掴んで鋭く背負い投げ。
とどめとばかりに不気味な笑い声を漏らした長次に、さすがの文次郎も青褪め、引き攣った笑顔で『申し訳ございませんでした…』と謝罪を呟いた。
想像していた以上に激しいお仕置きを間近で見てしまった澄姫は、文次郎を放り投げてじとりと視線を向けてきた恋仲にプルプルと小刻みに震え、ゆっくりと掲げられた拳にぎゅっと瞳を閉じて身を竦めた。

…しかし、予想とは違うコツン、と言う軽い音と衝撃に、恐る恐る閉じていた目を開く。
そこには既に笑いを引っ込めた長次。
彼の瞳はいつもの無感情なものへと変わっており、小さな声で『次から気をつけろ』と呟くだけだった。
ホッと胸を撫で下ろした澄姫と雷蔵がそれぞれ潤む瞳と尊敬の眼差しで寡黙な優しい図書委員長を見つめていると、謝罪を繰り返していた文次郎ががばりと立ち上がり、垂れた鼻血を袖口で乱暴に拭ってから長次を指差し叫んだ。

「いやいやいや、おかしいだろ長次!!何で俺がフルコンボで澄姫はゲンコツ一発なんだ!?さすがに納得いかねえぞ!!」

「あ、あの潮江先輩…差し出がましいようですが、澄姫先輩は女性ですし…」

「不破は黙ってろ!!男とか女とか関係ねえだろう!?」

びしりと長次を指差しながら吠える文次郎。そんな彼を冷たい瞳で見て、彼は小さく口を開いた。

「………常習犯と、初犯では、違って当然…」

「ご尤もですね、中在家先輩」

「贔屓か!!違うだろ!!そうじゃないだろ!!罪は罪だろ!!一回でも二十八回でも延滞は延滞だろ!!いくらなんでも納得できねえ!!不公平だ!!!」

そう喚きに喚いて、とうとう文次郎は贔屓された(?)澄姫の胸ぐらを掴んで若干引いている彼女に詰め寄る。
その手を鋭く深赤から払った長次は、額を押さえながら大きな溜息を吐き、背中にさり気なく庇った澄姫を一瞥してもそもそと何かを呟く。
直後途端に顔を青褪めさせた彼女を見るなり、文次郎は『おっ?』と嬉しそうに瞳を輝かせた。

「……澄姫…延滞の罰だ………」

「そ、そんな…」

「…だが…先程一発殴ってしまったので…選択権をやろう…」

道連れができたことに喜びを隠せない文次郎は、もそもそと彼女に問い掛ける長次を先程とはうってかわって黙って眺める。まるで悪ガキのような彼を恨めしそうに睨む澄姫と、侮蔑の眼差しで見つめる雷蔵。
だがしかし次の瞬間澄姫に与えられた選択肢に、文次郎と雷蔵は勢いよくすっ転んだ。

「…目隠し、屋外、拘束、玩具(薬含)…さあ選べ…」

「こらこらこら待て!!何する気だ!!」

「それ罰っていうより結構なアブノーマル具合のお仕置きですよ中在家先輩」

どうしたって可愛い恋仲に暴力を振るうことが出来ないと結論を出した長次が、唯一できる方面での罰。速攻でそれに突っ込みを入れた2人だが、

「ちょ、長次がしたいと言うなら…好きにして…」

赤くなった頬を両手で押さえ、恥ずかしそうに身をくねらせて蕩けた眼差しで恋仲を見つめる澄姫の返答にあんぐりと口を開けて硬直。
彼も同じように切れ長の瞳を細め、そうか、と微かに口角を上げた。
あっという間に桃色の空気に包まれた2人は、夜間実習を控えているというのに仲良く寄り添って図書室から出て行った。

「…どうしてこうなった」

「潮江先輩のせいですよ!!まだ書庫整理残ってるのに中在家先輩行っちゃったじゃないですか!!」

「すまん…手伝う…」

「まったくもう!!」

砂を吐きそうな雰囲気が微かに残る図書室で、ぷんぷんと頬を膨らませる雷蔵に謝罪しながら、文次郎は遠い目をして窓の外を見て呟いた。
忍者の三禁って、なんだったっけな。

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