11月22日

11/22 いい夫婦の日



ほぎゃあ、おぎゃあと泣き声が聞こえ、澄姫はぱちりと目を覚ました。
雨戸の隙間から差し込む眩しい朝日に目を細めながらも、長年の鍛錬ですっかり寝起きが良くなった彼女はすっと身を起こし、隣で泣いている赤子を抱き上げる。

「はいはい、おはよう彩葉。母様はここですよ」

さらりと流れる髪を耳にかけながら、赤子…彼女の娘、彩葉に優しく微笑む。抱かれて落ち着いたのかすぐ泣き止んだ彩葉は、その小さな手をぎゅうと握り、にこりと笑う。
一度布団に降ろし、手早く着替えを済ませた澄姫は、ようやっと首が据わった娘をおんぶ紐で背中にくくり、もうすっかり馴染んだ台所へと向かう。
昨日のうちに冷水につけておいた大根を慣れた手つきで切りながら、湯を沸かし、米を研ぎ、朝食の準備に精を出す。
ふつふつと釜からいい匂いの湯気が上がってきたところで、がらりと玄関の扉が開いた。

「おかえりなさい」

近付いている気配に気が付いていた彼女がそう声を掛けると、玄関からのそりと姿を現した男は小さな声でただいま、と呟いた。

「湯浴みは?」

「……もう、済ませた…」

「そう。じゃあもうすぐ朝食ができるから、少し待っていて」

そう言って朝食の準備を続ける澄姫に現れた男…この家の大黒柱、中在家長次がのそりと近付き、身を屈め、横からそっと唇を合わせる。
優しく触れるだけの口付けだが、そっと顔を離した長次も、包丁を握ったままの澄姫も、ほんのりと頬を染めて小さく笑った。

二人が忍術学園を無事卒業し、その数年後祝言を挙げてから更に一年半。可愛い娘も生まれ、幸せな家庭を築き上げた。
のどかな場所に家を立て、長次は寺子屋で読み書きを教える傍ら稀に舞い込んで来る忍の仕事をこなし、澄姫は子供の世話をしつつ家を守っている。

しゅるりとおんぶ紐を解き、彼女から娘を抱き上げた長次は囲炉裏の傍に腰を下ろした。久々の夜通しの仕事で疲れてはいたが、妻と娘の顔を見ればそんな疲労は山の彼方へ飛んでいく。

「だぅー…あぶ!!」

腕の中でわちゃわちゃと動く彩葉を見て、長次の目じりが下がった。見れば見るほど愛しい妻の面影が垣間見える娘に、通っていた学園では『学園一無表情な男』と呼ばれた彼もすっかり形無しである。

「父様に抱かれてご機嫌ねえ」

その光景を見ながら朝食の準備を終えた澄姫がお櫃を抱えて台所からやってきた。にこにこと微笑む彼女に、長次はそっと手を差し出し、少しだけ視線を下げて、もそもそと小さな声で囁いた。

「……次は…男児が欲しい…」
















「きゃああああ!!!」

がばりと布団を蹴り上げて、珍しく飛び起きた澄姫はばくばくとうるさい胸を押さえながらきょろきょろと周囲を見渡す。
忍術学園の、くノ一長屋にある、見慣れた自室。うっすらと差し込む光で夜明けを悟るが、今はそれどころではない。

「ゆっ、ゆっ、夢…!?」

恐らく真っ赤であろう頬を押さえて、小さく呟く。あまりにもリアルな夢。目を閉じれば鮮明に思い出すことができる、幸せな空間。
優しく微笑む自分と、まだ小さい可愛い娘と、愛しいひと。その彼の口から零れた、衝撃的な言葉。

「驚いたとはいえ飛び起きるなんて…勿体無い…ッ!!」

悔しそうに布団を握り締めた彼女はもう一度横になり、目を閉じる。
今ならまだ、あの幸せな夢の続きが見れる、そう思った結果の行動。

「……………だめ!!興奮して眠れない…!!!」

だが内容が内容だけにすっかり目が冴えてしまった澄姫は、どうしても眠ることができなかった。

その後、食堂で朝食を取っている時に夢の内容を友人たちに話した澄姫は、普段の美しい笑顔で長次に『子供は何人作る?』と早朝にそぐわない問い掛けをし、全員を咽させた。



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