走りながら瞳から零れ落ちていく涙の雫。
こんなこと今まで何度もあった。町を歩くたび蛮骨はいつだって注目の的で、すれ違う女の人はみんな振り返ってうっとりと見つめていた。
蛮骨は気づいてなかったかもしれないけどあたし、本当は叫び出したいほど辛かった。そんな目で蛮骨のこと見ないで…って。
あたしは蛮骨が好きで…。でも蛮骨はあたしのことをどう思ってるか知らない。
あたしがそんなこと言う資格はない。だけど好き、蛮骨のことが大好きで…。
外に飛び出すと少し肌寒く、夜空は綺麗に澄んでいる。そんな星が輝く夜空も今は涙を煽るだけのものでしかなくて、名前は堪えられずただ涙を流すだけだった。
*
翌朝、名前は自分の部屋で静かに目を覚ました。
目は冴えていたけどすっきりしなくて、暫く布団の中に潜り込んだままだった。
「名前、聞いてるか?」
『…っ!』
そんな名前の耳に届いたのは小さな声。声の主を確認しようと布団から少しだけ顔を出す。
顔は見えないが、外から差し込む朝日のせいで閉められた襖にその人物の影がはっきり写っていた。揺れる長いおさげ髪の影がそれが誰なのかを物語っている。
蛮骨だ…。
もしも今襖を開けて入ってきたら、そう思うと怖くて再び布団に頭から潜り込んだ。
しかし蛮骨は襖を開けずに静かに話し始める。
「今から城下町に行ってくる」
布団の中で聞いていた名前は思いもよらぬ言葉に困惑した。
何でそんなことあたしに…。
「後からお前も来てほしいんだ」
え…?
「待ってるから」
『蛮骨…』
慌てて布団から顔を出すともうそこには蛮骨の姿はなかった。
待ってるから…。
蛮骨がそう言葉を残し部屋の前から去って、一時間ほど経とうとしている。しかし名前は未だ宿から出ていなかった。
縁側に座り投げ出した足をぶらぶらと動かしながら正面を見つめる。
行くべきなのか迷っていた。
昨日あんなことを言ってしまって正直顔をあわせづらい。
どうしよう…。
でも、いつまでもこのままではいられない。
それは自分でも分かってるのだ。
あたしは七人隊の一人。
遅かれ早かれ蛮骨と顔を合わせることになり、再び共に旅に出る。
どんなに辛くても七人隊があたしの居場所だから…。
あたしは七人隊の皆が、蛮骨が大好きだから…。
そう思えばもやもやした気分も何だか軽くなったような気がした。
『よし…』
決めた。ちゃんと向き合おう――。
名前は決心して城下町へと足を踏み出した。
ここは相変わらず人で賑わっている。家族連れ、友達同士や恋人同士。そんな中を一人で歩くのは何だか心細くて。
いつも隣にいてくれる人がいる。当たり前のように感じるけれど、それがどれだけ幸せなことか実感した。
しかし蛮骨はどこにいるのだろう。これだけ人が多ければ見つけることなど出来そうにない。それどころか前から来る人の波に押し戻されて自分が迷子になりそうだ。
立っているのがやっとでどんどん後ろに逆戻りしているように感じる。段々不安を覚え始めた。
その時、ちょうど前から来た男と勢いよく肩がぶつかる。
『きゃ…』
そのままバランスを崩して名前の体は後ろへ傾いた。
倒れる!そう思った時だった、突然手の平に温もりを感じた。
続いて体を引っ張られるような感覚。
名前の手を掴んでいた人、それは他の誰でもない蛮骨だった。
『蛮骨…』
「ったく、お前は小さいから危なかっしくてしょうがねぇや」
『蛮骨が言えることなの?それ…』
「あぁん?なんか言ったか?」
『ナンデモナイデス!』
「嘘つけ!今俺のことちっちゃいって言っただろ!」
『そこまで言ってないしっ!』
『「……」』
顔を合わせると我に返り黙りこむ。
「何か言えよ」
『蛮骨こそ…』
『「……」』
『「ごめんっ!イタッ!!」』
二人同時に頭を下げた時、ゴツっという鈍い音が響く。
蛮骨と名前の間はほぼ数センチしか離れていなかったために下げた時、頭同士がぶつかったのだ。
『「痛い…」』
悲痛な顔を浮かべ頭を抱え込む蛮骨と名前。そんな行動さえ全く同じだったことに思わず笑いあう。
もう二人の間に緊迫した空気は残ってはいなかった。
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