崖から落下した唯を追って自ら飛び降りた鋼牙。
大声で呼びかけても、反応は見られない。気を失っているようで、そのせいか落ちる速度が鋼牙よりも早い。
「クソッ!」
崖下には大きな川が確認出来た。とはいえ、どこまでの深さがあるかまでは分からない。それに人間の細身の体では落ちたときの衝撃に耐えられるはずもない。
このままでは…。そう思った鋼牙は落下しながらも崖の断壁を思い切り蹴った。例え妖怪であってもこのような真似をすれば足が大惨事になっていたところだ。だが、彼自体が普通の妖怪であってもその両足は普通とは言い難い。両足に光るそのかけらは彼、鋼牙の足に敵を薙ぎ倒す力と誰よりも勝る素早さを与えた。
その特殊な力により一気に加速をつけるとやっと唯に手が届く。
そのまま頭を保護するように抱き寄せた。
何で俺は…。唯とともに落下しながら水面を目前にし、鋼牙はふと不思議に思う。
以前はお腹を空かせた狼たちのために村を滅ぼしたこともある。なのに今、自分は一人の人間の女のためにこんなに必死になって。
「俺も甘っちょろくなったもんだぜ!」
軽い舌打ちをするとしっかりと唯を抱きしめ、水面下へと勢いよく突っ込んだ。
キケンな男ドォォン。唯を追う蛮骨達のもとに届いた地鳴りのような音。一行はに思わず足を止めた。
「何だ、今の音は」
「地震じゃねぇな」
煉骨と睡骨は互いに顔を見合わせると、首を傾げる。一方、蛮骨は口を開くこともなく焦ったように早足で歩き始めた。
「音は向こうからだ、急ぐぞ!」
その後、蛮骨達は聞こえた音と銀太・白角の嗅覚を頼りに歩き続け、ある場所へたどり着いた。だが、その場の有様を見て全員が驚愕する。
「っ、何だこれは…!」
その場には戦いの爪痕がはっきりと残っていた。地面には所々深い穴が空いており、地割れも見られる。状況が理解できないためにその場に立ちすくむ蛮骨達。だが、そんな中で最初に一歩足を踏み出したのは蛇骨だった。崖の方へと駆けていき、しゃがんで何かを拾い上げている。
「何か見つけたのか?」
蛮骨は後ろからゆっくり近づくが、蛇骨の表情を見ると様子がどこかおかしいことに気づく。唇が小刻みに震え、額にはかすかに汗が滲んでいるのだ。
「蛇骨?」
「大兄貴、これ」
自分の前に差し出された物を見て、蛮骨は息をのむ。蛇骨がその手に握っていたのは日本刀だった。
「唯のだよな」
「…違いねぇ。俺があいつに渡したモンだ」
唯が七人隊の仲間に加わり、初めて戦に連れて行った時蛮骨が手渡した刀。以降も妖怪と対峙した時のためにいつも腰にさしていた。その刀が唯の物だと分かった途端、蛮骨の額にも冷や汗が滲み始める。
蛮骨達のような傭兵経験が長い身からすれば武器を手放すということは死に直結する。
だから命が尽きるその時まで手放すことはない。裏を返せば武器を離すということはそれだけ危ない目に遭ったと言える。
「大丈夫、だよな」
蛇骨の問いかけに答えられず、思わず黙り込む蛮骨。
脳裏に浮かぶのは奈落との激突。まだ記憶に新しいその出来事は彼らに旅に出ることを決意させた。旅をするにおいて多少の危険は覚悟の上。だが、まさか旅に出た直後に再び唯に危険が及ぶとは考えられなかった。
「…っ」
悔しさから唇を噛み締める。
唯を守る。そう決意したのに…。
蛮骨の心情を知るはずもなく、銀太と白角は後ろからひょっこりと顔を覗かせた。
「鋼牙の匂いが途切れてるな」
「ここから落ちたのか?」
彼らの会話を聞いて、続けて煉骨と睡骨もまた崖下を見下ろす。だが、そこから見える景色は見る者を圧倒させた。険しい断崖、そして谷底には轟々と音を立て流れる川。もしもここから落ちたら…。そう考えただけで足が震え出すような光景。これには今まで冷静を保っていた二人にも焦りが見られた。
「やばくねぇか、これ」
「…ああ」
「こりゃ鋼牙は大丈夫だとしても、女はおっちんじまっただろうな」
銀太は腕を組んでうーんと唸る。その言葉に蛇骨は息をのんだ。
「おい、銀太!」
「あ!」
白角が慌てて諭すと口に手を当て、冷や汗を浮かべながら蛮骨の様子を伺う。
蛮骨は崖下を覗き、拳を震わせていた。
「あの野郎、唯にもしものことがあったらただじゃおかねー」
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