テニスの王子様 [DREAM] | ナノ

彼女を捜す理由が、また一つ増えた。
帰りの電車の中、襲い来る睡魔と戦いながらもまた変わりのない景色を眺めていた。
今度は緑ではなく灰色のジャングル。息苦しいまでの他人に溢れた場所…
彼女は今、この空の下で何を想っているのだろうか?




Miss Coolness Rebirth




「オイ、跡部!テメエ、学校もサークルもサボりやがって!」
「忍足から聞いただろ?俺はしばらく休む」
「だーかーら!その理由を話しや――…」

長くなりそうだから電話を切った。そして、またすぐに電話が掛かってくる。ディスプレイの名は宍戸亮。
わかっていたから取らなかった。イチイチ説明するのも面倒であれば、話すことでもない。
俺の中の葛藤。掘り起こした激情。全てを報告するのは結果が出てからでいい。
彼女は東京にいる、それだけを頼りに舞い戻った。あとは調査報告を待つだけ――…


その夜、変な感情が胸に引っ掛かったままで眠れなかった。
一日中歩いて回ったせいで疲れているはずなのに、食事もろくに採っていないのに腹も減らず。
ただ、胸の中にモヤモヤした何かが残っている。モヤモヤ、モヤモヤ…だからか、眠れない。
何なんだろうか…こんな気持ち。どうすれば落ち着くのだろうか。
何が原因で、俺はこんな変な感情を抱えてしまうことになったのだろうか。
全部が全部アイツが悪い…なんてことは言えない。随分、俺も回り道をしたんだから。
だけど、俺は…アイツに会って全てが治まるのだろうか?

「で、確か結婚…したんじゃないかな」
「そこは定かではないけど…頼る人がないとかで」
「スケベ親父だったりしてな」

アイツ…今、幸せなのだろうか?
誰とも連絡を取ることもせずに、新たな環境に付いたのだろうか。
まるで、全ての縁を切ってしまうような…そんなやり方は、ないだろうに。
それは…アイツが望んだことなのだろうか?


ぼんやりと部屋の天井を見ている時に入った朗報。
手配した興信所からの一本の電話。正式には明日の朝、書類が届くとのこと。
彼女は今、東京の隅でひっそりと…ある男と暮らしている、と。

そうか…いや、疑っていたわけじゃねえ。向こうで聞いてきた、自分が収集して来た情報を。
ただ、何処か胸が痛んだ。ソレが確実に事実だと突きつけられて…それが痛かった。
確かにこの耳で「ゆいは結婚した」と聞いたのに、それでも二度目の報告は痛かった。

もしも、俺の想像以上にアイツが幸せそうで…いや、幸せに暮らしていたのならば俺はそれで終わる。
彼女の幸せを奪う真似も邪魔することなんかも出来やしなくて、ただ、俺が終わるだけ。
所詮は…跡部景吾たる者が落ちた、独り善がりの恋。
彼女には関係のないところで俺が独りで動いていて、彼女はもう…あの時の言葉ですら忘れているかもしれない。
いや、覚えていたとしても…もう動くことなど無いかもしれない。今が幸せであるならば…それで。

だったら何故、こんな想いをしているのだろうか。
彼女の幸せを願いながら、どうして彼女が不幸であることを祈っているのだろうか。
あまりにも矛盾している自分自身に込み上げて来る笑いがあった。



気付けばソファーに腰掛けたまま眠っていたらしく、誰が掛けたのか毛布まで着せられていた。
明らかに誰かが入って来ていて…目の前のテーブルには分厚い封筒が無造作に置かれていた。
どうやら執事が気を利かせて起こさず用を済ませて行ったらしかった。

今の時間は昼過ぎ…携帯を見れば忍足、宍戸、向日、ジローまで着信履歴を残してやがる。
間違いなく合コン帰りに嫌がらせで鳴らしたもんだろうけど、そんな音すら聞こえないくらい寝てたようだな。
その間に見た夢なんかなくて、ただ、目が覚めてみればまた何処かに痛みが走り始める。
原因は分かってる。原因は…彼女と目の前にある封筒の中身、といったとこだろうな。
俺らしくもねえな。真実に近い事実を目の当たりにして臆病になってるとか、な。

無造作に置かれた封筒を手にして中身を取り出してみれば、中には報告書と一緒に写真があった。
隠し撮られた写真の人物…この目で確かに確認した。3年ぶりだろうか。

「もしもし、跡部です。書類の件ですが――…」

何一つ変わりはない、そうは言い切れないにしても間違いなく彼女だと言い切れる。
何度も夢に見た。何度となく記憶の中から掘り起こしてきた彼女に間違いはない。

「ええ。間違いありません。有難う御座いました」

名前と昔の住所だけを頼りに調べてもらった興信所に連絡を入れておく。
少ない手掛かりでよく彼女を捜せたものだと関心するが…これから先は俺だけにしか動かせない。
彼女に会う。彼女に会って話す。彼女に会って話して…告げることがある。

――違う。純粋に彼女に会いたい。

書類には事細かな彼女の詳細が文面化されていて、時間毎に行動なんかも書かれていた。
現在の苗字は…岸本、家族構成は旦那のみで二人暮らし。職業は介護ヘルパー…似合わねえな。
いや…似合わないっていうのは違うな。何だかんだで面倒見の悪いヤツではなかった気がする。
ただ、口が悪くて態度もデカくて…でも悪くはなかった。そう、あの時の俺が子供過ぎて何も気付かなかっただけで。

写真に映る彼女は何とも言えないほど質素で、少しだけ哀しい表情をしている気がした。
幸せそうには見えない。いや、そうと決め付けたくはない。だけど…幸せでなければいい、なんて最低だ。
何処まで縛り付けられてんだろうか。どれだけ縛り付けているんだろうか。あの日から、もうずっと…
考えないようにして生きて、それでも思い出さない日などなかった。たった一週間の出来事。
思い過ごした時間の長さなんて、関係ないことを知る。



届いた書類から彼女の住所だけをメモに移し変え、目的地まで車を走らせていく。
都心を避けた場所、小さな東京だってのに恐ろしく見栄えが変わってくもんだと関心すらする。
少しだけ灰色のジャングルではなく緑の自然が見える。それが本当に自然なのか人工なのかは分からないが。

不親切なカーナビが目的地付近だと告げて停止しやがったから適当な駐車場に車を置く。
目的地近辺。戸建ての古い家が散布していて、バラバラ立ち並ぶ電信柱には古ぼけた番地が記されていた。
これもまた親切なのか不親切なのか…微妙に錆び付いてやがるから見辛いが贅沢は言えねえな。
メモ帳に記された番地を此処から探し始める他ない。俺らしくもねえ地味な作業だ。
数メートルおきに配置された電信柱、その番地を照合しながら歩く道は当然、知らない人ばかりが往来する。
振り返るヤツも中にはいるだろうが、そんなのはお構いなしに歩いて行く。

一丁目…二丁目…三丁目…
くそ、目的地周辺っていうのは確実に嘘だな。どんどん奥まっていく。
もし今すぐアイツに会ったならば「こんな僻地に住みやがって」と罵ってやった方がいいのか?
次第に心拍数が上がる。次第に何かを期待して痛いまでに心臓が高鳴る。
そうか…こんなにも俺は欲していたのだろうか。彼女という存在を。そう、認識させられる。だけど…

「……此処、か」

古びた家には不似合いな表札に刻まれた文字、岸本の傍に連なって知らない男の名とゆいの名がある。
これが現実で、これが真実で、どうされるというのだろうか。分かっていたはずなのに――…

誰の趣味なのかは分からないが、ちんまりした庭にはそれ相応に並べられた盆栽があった。
そこそこ手入れされた庭、ボロいけど家自体も掃除はされているようだと思う。生活感がそこにはあるから。
生活感…人並みに彼女は生きているんだな。何となくふとそう思う。

踏み込むことが可能であるのに、立ち止まったまま…踏み込むことが出来ないエリア。
気圧されているわけじゃねえ。その玄関を開けて踏み込むくらいの勇気だって俺にはあるはずなのに。
どうしてだろうか。臆病な心が勇気を食い破っていく。どんどん、どんどん…蝕むかのように。
こんな俺は俺じゃねえ。何度も首を振りながらも心はそうは言ってない。蝕まれているから、今、こうしてる間も。



「……ウチに御用ですか?」

背筋に冷たい空気が流れたような気がした。
別にやましいことなどないのに、全神経が背中に集中していくのが分かる。

「丁度、買い物に行ってましてね。留守にしてまして」

響く、のんびりした男の声。
俺の背中に向かって話していることは分かっていて、どうしてだろうか悪寒が走る。
嫌でもこれから乗り込めば遭遇するに決まってることなのに、心構えだってそこそこしてただろう?
だけど、悪寒が走る。振り向くことが出来ない。妙な…考えが急に頭を過ぎる。
声の主、その隣に彼女が居たならば…俺はどうすればいいんだ?
返事をすることも、振り向くことすら出来ないのは俺が臆病になりすぎた証拠だろうか。

「でも丁度良かった。すぐに帰って―……」
「……岸本、さん」
「はい?」
「……ですよね」

ようやく出たのは…その存在を確かめるためだけの間抜けな言葉。
俺らしくもねえ、微妙に震えた声なんて出しやがって。そんなんじゃケリも何も付けられねえ。
そう心で罵倒しても体は正直なもので…急に喉が渇く。背筋に全ての神経が集中して強張っている。
硬直してしまった足を何とか動かすことが精一杯で…振り返るのに時間が掛かり過ぎるくらいに。
何だこの姿。俺らしくねえどころか間抜けもいいとこだ。こんなの俺じゃねえ。こんなの…

「君は…どちら様ですか?」

目の前に佇む男は俺の想像をはるかに越えた人物だと思った。
普通ならこんな不審人物が居たら警戒されてもおかしくねえし、警察呼ばれても仕方ねえのに。
男は…穏やかに微笑んでいた。誰とも知らない俺を見て、まるで歓迎するかのように…

「……すみません。日を改めて来ます」
「は?」
「すみませんでした」

ただ、何かに圧倒されて意味もなく謝るだけしてその場を走り去る俺は…どれだけ滑稽な人間だろうか。



その場にゆいの姿が無かったのが幸いだったと思う。
彼女の姿があったならば、俺は掛ける言葉も見つからないままに疑問文を投げ付けていただろう。
「何故」と「どうして」を繰り返すだけの問答。その答えなんて…聞きたくもないのに。



表札には二人の名前しか刻まれていなかった。
それにホッと胸を撫で下ろした自分が確かに…あの場所を見つけた時の俺では存在していた。
その時は分からなかった。だけど、あの人を見た瞬間に気付かされた。そう、俺は…奪うつもりでいたんだ、と。
彼女をその場から引き離すことで自分の物にしようと心が決めていたことに気付かされた。

でも…その考えはどうしてだろうか、打ち砕かれた。

目の前に居た男は、穏やかな微笑みを浮かべて余裕ある様子で俺を歓迎していた。
誰とも知らぬ男を歓迎するまでの余裕は…俺なんかよりも長い年月を生きているからだと瞬時に悟った。
白髪頭に杖を付いて、少しの荷物を抱えてやって来た穏やかな男は…俺の想像を越えた人物。
驚いた。俺と一回りってもんじゃねえ。二回りも三回りも年の離れた大人が、居たんだ。

ちょっとやそっとの年齢の相手ならば負けない自信があった。何処から沸くのか分からないまでの自信。
言い負かすことも力ででも勝てる自信が俺にはあって、確実に奪うまでの思考に辿り着いていた。
だけど…目を見た瞬間に敗北を思い知らされたのは初めてだった。どうしてだろう、勝てないと思った。敵わない、と。
こじつける理由もなくただ敗北感を味わう自分が居て、相手はそんなことも知らずに微笑んでいた。
穏やかに、何も知らずに…だけど、何処かで何かを悟っているような、そんな微笑みで。
きっと、俺が何を言おうとも眉一つ動かさないまま、荒立てることもなく冷静に交わされるだろう。
それを感じさせられるもの、それだけの器量が、目を見た瞬間に分かった。



何をされたわけでも、何をしたわけでもないのに味わう敗北感。
その感覚を身に付けたままに自宅に戻った直後に携帯がせわしく鳴り響いた。
それに対応する気力もなければ話す気力もなく、ただ延々と留守番電話に切り替わるまで放置した。
多分、また忍足か宍戸のヤツが鳴らしているんだろう。授業はともかく、サークルでは毎日顔を合わせるからな。
気楽にテニスをしてりゃいいものの…理由の分からない俺の無断欠席が気に入らないのだろうか。
説明するのもタルいからしばらくは電源を落としといてもいいかもしれねえな。

ボスッと音を立てて、適当にベットに転がって天井をぼんやり見つめた。
折角、俺の中に眠るものが目を覚ましたってのに…なんてザマなんだろうか。
こんなことならば…もっと早くに動いておくべきだったんじゃねえか。と、昔の俺に腹が立つ。
誰も思い出にしてくれねえって、本当は分かってたはずなのにどうして動けずにいたのだろうか。
どうでもいい女はべらせても意味なんてねえって、そんなことは自分自身が分かってたはずなのに…

臆病者の俺は更に輪を掛けて臆病者になっていた。
突き放されたあの日から、俺は全ての成長を止めて立ち止まった状態になったまま。
何も変わっちゃいない。だから俺は…逃げ出したんだ。始める前からすぐに逃げ出したんだ――…


しばらく経つ頃には着信音はプツリと途絶えた。



2007.xx.xx.


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