テニスの王子様 [DREAM] | ナノ

想いは、自覚すればするほどに日に日に大きくなっていくもの。
誰に言われるでもなく、誰の意思にも関係なく、ましてや…自分の意思にも関係なく。

――アイツは手の届かない場所へと行ったようだった。
だったら俺はどうすればいい?何をすれば良いのだろうか。
ただ…こうなった時に思い知らされるんだ。この想いを再び告げるには…あまりにも遅すぎた。




Miss Coolness Rebirth




アイツが泣いているような、苦しんでいるような気がしていた。
4年前、最後に見せた微笑みは脆く崩れ落ちそうなほどに儚く見えて…だけど俺は自分のことしか考えていなかった。
あの時の俺は大人ぶった嘘と優しく切ない嘘によって大きな傷を負ったような感覚を受けて立ち上がれなかった。
ようやく目が覚めてみれば時間の経過は異様なまでに進んでいて、こんなことになっていた。こんな、ことに。

幸せ…なのだろうか。今もそんな曖昧なことを考えてる。
だけど、あの人物を目の当たりにした時に、不幸であるはずがない気がしてならない。
泣かせることなどないだろう。苦労はさせても穏やかな時間が流れているのだろう。
そう、そんな気がしてならないのは多分…瞬時に察知出来た寛大な男の心が見受けられたから。
今の俺にはない。何もかもを許せるような、そんな寛大な心持ち。全てを受け入れられる器量の大きさ。
初めて知る。自分の幼さ、自分の浅はかさ、自分の弱さ、を。



「お、何や今日はおるんかい」
「……うっせえ」
「えらい不機嫌やん。失恋でもしたんか?」

何でこんなヤツと同じ専攻取ったのか、今、授業を組み立てた自分が腹立たしい。
何も知らない忍足は俺の隣を陣取って、訳も分からないままにポンポンと余計な口を利きやがる。
適当に同じ授業を受ける連中に軽く挨拶をしながら、俺の顔色を窺いながら何かを探ってるような…

「負けず嫌いでしつこいヤツやもんなー跡部は」
「アーン?」
「納得出来ひんのやったらも一回ぶつかってき」

納得…納得なんか出来るはずがないだろう?何があってあんな年上の男と一緒にいるんだよ。
何があって昔の旧友たちをも見捨てて今を生きてるんだよ。そんな…アイツらしくもねえ。
変わっちまったのか。変わらされちまったのか。元々そうなのか。元々、そういうヤツ、だったのか。
いや、アイツはそんなに冷たいヤツでもなければ、人を大事にしないようなヤツでもなかったはずだろう。

「それが跡部やん。なあ?」

……どんなだよ俺は。
確かに負けず嫌いは認める。何に置いても自分の敗北だけは何よりも許せないことで、かと言って勝ち逃げもしねえが。
けどな、お前みたいに粘着質でもなければ女に未練とか…残すことない。そんなの…今まで生きて来てなかった。
たった一度だけ、後にも先にもあの一度だけ。アイツ以外では…当然、どうでも良すぎてあるはずもなかった。
何だお前、見透かして言ってんのか?分かったような口利いて、全てを解したようなその面、ムカつきを通り越して――…

「……当たり前だ、俺様を誰だと思ってやがる」
「せやね。負け戦を勝ち戦にすんのがお前やしな」
「てめえ…変な専攻取るから例えが悪いぜ」

自分の趣味だか何だか知らないが、自分とは違う専攻を一部に取り込んだ忍足にそう告げて。
授業中にも関わらず席を立つ。止める者などなく、少しの視線を集めているのも構わずに教室を抜け出た。
此処で単位を取るよりも…俺には大事なことがあることに気付く。もっともっと…根底にあるものにケジメをつけなければ。
そのために目を覚ましたんだろうが。3年以上も眠らせた意識、ようやく表に出たんじゃねえのか?

根付いた敗北感、上等じゃねえか。自分の弱さ、臆病さ、そんなの誰だって持ってるもんじゃねえか。
奪うとか寝取るとか…そんなんじゃなくて。ただ伝えることを伝えて、聞きたいことを聞いて、それで…終わればいい。

――ゆい。お前は今、幸せか?

全てを告げた時に変われる。心に眠るこの一言の答えを聞いた時に終われる。
俺様が唯一、独り善がりで落ちた恋が終わる――…





今度は迷わずに来れた。不親切なカーナビが「周辺です」と告げたところでイライラもしなかった。
目的の場所は、すでに目の前にあって…今日は人の気配を感じた。古ぼけた家だが、そんなぬくもりを感じる。

……行くべきか、行かぬべきか。
この期に及んでまだそんな発想を繰り広げる脳を無理やり振って、近場に車を停めた。
邪魔にはならないだろうが駐禁は取られるかもしれない場所。それも気にならないほど俺は…らしくもなく緊張していた。
手土産など何もない。逆にそんな下らないことばかり気になるとか、本当に俺らしくも、ねえ。


――ピンポン。


古びたインターホンは妙な音割れをしていたが鳴った。
それを押した指は少し震えて汗ばんで…本気で情けない男だと言わんばかりにまだ震えてる。小刻みに。
こんな姿なんぞ見せたくない。それだけの思いで拳を強く握り締めれば震えは止まったが、今度は異様なほどの心音。
どんだけ振り回されてるんだ、と苦笑するが…それも、次の瞬間には停止する。

「どちら様…で、す、か」


――やっと、会えた。
語尾の言葉は薄れ、口元は緩く開いたまま。俺が何なのか、誰なのか…分かって驚いている様子。
だが、俺もまた驚いていた。出てくるのは想定していたにしても拍子抜けするくらいに彼女は、変わっていなかったから。
何一つ、変わらない。少し年は重ねたようだが、そう…相変わらずのひっつめ髪に眼鏡で…ダサい女と思わせたあの時のまま。


「どちら様も何も、俺様だ」
「……あと、べ?」
「ああ…よく分かったな」

中学生だった俺はいまやもう大学生となっているのに、そう言う間もなく彼女は「変わってないから」と呟いた。
あの頃から比べたら背はもう少し伸びたし、声も少し低くなったんだが…そうだな、そう簡単に変わるわけがない、か。
俺が彼女を見た瞬間にゆいだと分かるのと同じ。変わっていない、と思えるのと同じで俺もまた同じこと。
彼女の目には昔の俺と、今目の前に居る等身大の俺とが…重なって見えているんだろう。

「な、にしに…」
「……過去を、清算に」
「え?」

驚いた顔。極力、俺は驚かないようにと努めていた。
知られたくないんだ。動揺していることも動揺から声音が変わってしまいそうなことも全て、全て…
何か、言葉を。そう思って口を開き掛けた時に不意に顔を覗かせた人物が、何処か嬉しそうにしてるのが見えた。

「ゆい、上がってもらいなさい」
「え?」
「彼だよ。この間ゆいを尋ねて来たのは」
「嘘、」
「また尋ねて来てくれて嬉しいよ。ほら、遠慮なく上がって」

……遠慮なく、上がらせてもらった。
「有難う御座います」と「失礼します」と、彼に向かって頭を下げればまた笑顔が零れる。
まるで孫を迎える老人のような、そんな雰囲気。余裕の無い俺とは違う、余裕に溢れた大人の男の姿だった。


家は質素なものだったが、それでも綺麗に片付いていて生活感溢れるものを感じた。
調べでは彼女と彼と二人暮し。決して裕福でないにしてもそこそこ平凡に平和に暮らしているような…
許可を得たとはいえ、随分居心地悪い空気の中、やはり彼だけは冷静で穏やかなまま近場の椅子に座り込んだ。
「足が痛むので一段高いが座らせてもらうよ」と告げて。勿論、俺は「お構いなく」と言うしかない。
こんな状況で渋々ながらもゆいはお茶を煎れているらしく、隣で物音がしてる。それを横目で眺めれば…彼は笑った。

「お客さんなんぞ珍しいから動揺してるんだよ」
「……そうですか」
「何もないが、ほら、その座布団でも敷いて座ってくれ」
「有難う御座います」

穏やかな人だ。この家の空気と同じ、ゆったりとした時間を謳歌している。
足元にも及ばない空気の持ち主だと俺自身が認識する。だけど…今度は引き下がれないんだ。

「……どうぞ」
「有難う」

運ばれたお茶の数は3つ。有難く一口頂いて…その間に伝えたかったことだとかそんなのを懸命にまとめて。
会いに来た理由、ずっと言いたかった言葉、そして清算すべき想いと別れの言葉。
ぐるぐると頭の中を全てが巡ってバラバラ配置が変わっていく感覚の中、懸命に言葉を連ねて。

「……この老体は邪魔かな?」

ハッとなった。
お茶を握り締めてるだけの俺とお茶を眺めてるだけの彼女と。

「いえ…是非、あなたにも聞いて頂きたい」
「そうかい?取り立てて邪魔はしないからゆっくりお話なさい」
「……有難う御座います」

温かな言葉だと思った。その目には温かな色があって、笑ってゆっくりと頷く。
どうしてだろうか。何も知らない彼は何者かも分からない俺に何かを与えようとしている。力を、言葉を、穏やかに――…


「ゆい」


急に目が覚めたんだ。ようやく頭が冷えたとでも言うべきか。それとも、目が覚めたとでも言うべきか。
それで俺はお前を探した。古い記憶の中に残る田舎を巡り、ゆいを知る温かな人たちと巡り会って此処まで来た。
全ては、全ては全部俺のために。俺の中にずっと埋もれていたもののために、


「あの日言えなかった言葉を告げに来た」


唇が触れることで言えなかった言葉。お前はあの日、笑って首を振ってた。
「縁があれば…」なんて言葉を残して、消えた。どんな縁でまた再会出来るとでも言うのか。
そんな縁…今まで無かった。俺がこうして動き出して初めて分かった。縁も何も、偶然から生まれないことを。


「思い出にも過去にもならなかった。今、こうしてる間もお前が好きだ」


誰も思い出にはしてくれなかった。自分自身でも思い出に出来なかった。
それは俺が何一つ言えないままに過ぎていったからだと今は無理やりにでも思いたい。だってお前は…


「お前の地元で色々な人に話を聞いた。少し…歪んだものだったが」


誰かが言った。スケベ親父と共に居るのかもしれない、と。
それは大きな間違いで、俺らなど太刀打ちも出来ないような寛大な男が彼女を、守ってる。


「一度、地元に行って来てくれ。皆、会いたがってた」


こうしている間も、彼は何一つ言葉を発することなく…穏やかに俺を見守ってる。


「岸本さん」
「……何だい?」


分かってる。俺が言うべきことではないこと。それでも一言だけでいい、言わせて欲しい。
それが最後に俺が清算出来るであろう、最後の想い――…


「ゆいを、今後ともよろしくお願いします」


俺の言葉にゆいは何も言わなかった。俺もまたそれ以上は言わず立ち上がった。
こちらを見ることの無いゆいに「元気でやれよ」とだけ添えて、何とも言えない狭い廊下を歩いて玄関へ…
振り返っても彼女の姿は無い。それでも、別に構わない。少しだけ心に残されたものを放れた気がしたから。





玄関を出てしまえば何かと張り詰めていたものも切れて自然とホッとするってもんで、大きな溜め息が漏れた。
本当に、最後の最後まで俺らしくもねえ。震えるとか緊張するとか、そう今までに経験した覚えもねえのに。
自嘲気味に笑う。これで俺の独り善がりも終わり、終わらせていくしかないんだと思えば…笑うしかない。
これ以上、振り返ることはしねえって思ったのに。


「……跡部、景吾くん」


近くに停めておいた車には駐禁のキップもなかったから安心して乗り込む手前だった。
不意に呼び止められて振り返れば、開いた玄関から出て来る杖を持った彼。


「岸本、さん」
「君が名前をずっと名乗らなかったけど、私には分かってた」
「あ…」
「どうだい。ちょっと私と出掛ける気はないかい?」


その背後にはゆいの姿はない。
一瞬、首を横に振ろうかとも思ったが…どうしてだろうか、出来なかった。


「……どちらか、行きたいところでもあるんですか?」
「いや。君と話がしたいだけだよ」
「……良かったら乗って下さい。この近辺でよければ走りますよ」
「いやいや、近くに公園があってね。リハビリで歩こうかと」
「分かりました…ご一緒します」


もう一度、車をロックして…彼が指差す方向へと共に歩き始める俺。
分からない。断れないような言い方は決してしなかったというのに何故か断れなかった。一瞬は断ろうと思ったのに、だ。
「付き合わせて悪いね」と言った彼に嫌味はなく、俺もまた嫌味を返すことなく「大丈夫です」と告げる。
出会って間もない、お互いを知らぬ存在だというのに…変なものだ。こうして肩を並べる、など。



散歩に出掛けるタイミングにしては変だと思っているだろう。だが、ゆいは出て来なかった。



2009.07.13.


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