逆転 | ナノ

龍ノ介と亜双義

 肌寒さに瞼を押し上げれば、目の前には睫毛の長い寝顔がやたらと近くにあった。敷き布団の中に収まるには、やはり大人の男二人は窮屈だ。浮いた掛け布団はぼくの背中を冷やしていた。
 そういえば。どうしてぼくは亜双義と同じ布団にいるのだろうか。ぼんやりとした記憶を辿る。ああ、そうだ。昨日は珍しくぼくも財布の中身に余裕があって。学期末の大きな試験が終わったこともあって。いつもの勇盟食堂で奢りではない牛鍋をハラいっぱいに食べて、酒を浴びるように飲んで……。ここからの記憶がどんどん曖昧になっていく。起き抜けの回らない頭でゆっくりと思い出す。それから、覚束無い足取りで亜双義の下宿までなんとか辿り着いた。いや、違う。亜双義の下宿が近かったら、帰り道ということもあって送り届けたんだ。亜双義もたくさん飲んでいたから、二人でフラフラと慣れた帰路へ就いて、何事もなく下宿先へたどり着く。ぼくはきっと帰ろうとしていた。亜双義に背を向け、一歩を。……踏み出せなかった。大きな男の手がぼくの腕を掴んでいた。
『帰るのか』 
 そうだ。また思い出す。ぼくを焼き尽くすような炎が2つ揺れていたのだ。思わず見とれていて、捕らわれてしまっていた。帰らなかったのではなく、帰れなかったのだ。
 のそりと布団から這い出ようとすると、気だるさが全身を包んでいて、昨夜の交じりをふつふつと甦らせる。溺れるよう、とはよく言ったものだ。息継ぎとも言えぬ短く荒い呼吸がさらにぼくを煽り、時々漏れる切ない喘ぎに、どうしようもなく昂っていた。ぼくの中に眠る狂暴な生き物は、亜双義を蹂躙し尽くしていく。意識と体が離れてしまったように、まるで他人事のように、ただ濁流のような興奮に飲まれながら、亜双義を抱いていた。
 だって、あんなの仕方がないだろう。いつも真っ直ぐに少し先を見据えるあの力強い目が、ぼくを熱っぽく絡めとるのだもの。収まりなんてつくはずがない。
 その先を思い出そうとしてやめた。記憶だけでも十分に昂ってしまいそうだったから。熱をもて余してしまえば、朝一番の講義に間に合わなくなってしまう。できるならこのまま亜双義の顔を見ずにここから立ち去って、昼にしれっと出会っていつも通りの日常に戻りたい。
 脱ぎ散らかされていた服を拾い集めて、身支度する。なりふり構っていられなかったから、かなり布団までの道を作るように着衣が散らかっていた。ぼくのも、亜双義のものも。二人分の脱ぎ散らかされた学生服が昨夜の行為を思い出させるように視覚と脳ミソに訴えてくるものだから、慌てて亜双義の分の学生服を片して気をまぎらわすことにした。どうも昨日のカケラが目に入る度に昂っているような気がする。思春期はとうに過ぎたものだと思っていたのに。
 脱ぎ散らかされた服たちは形だけきちんと整え、起きた時にすぐ着られるように枕元へ置いておくことにした。我ながらなかなかの配慮だと思う。
 漸く身支度も、片付けも一通り済んだ。あとは学校へ向かうだけだ。だけ、だったのだ。
「成歩堂」
 不意に背中に投げ掛けられた、寝起きにしてはハッキリとした声がぼくを引き留めた。
「えっ、う、うわっ」
 声に驚いたぼくは、よろめいた拍子に先ほど片した亜双義の着衣に足を取られる。フワリと宙に浮くような感覚の後、背中に衝撃と痛みが走った。亜双義が寝ている方向と逆向きに転がったぼくに、視線と挨拶だけが送られる。
「おはよう。……無事か?」
「なんとか」
 目の前で友人が転んでいるのを目撃した後だというのに、まるで道端で偶然出会ったかのような調子だ。未だ夢現なのかもしれない。ぼくを捉える瞳がぼんやりとしていた。
 そしてぼくの心臓はまだバクバクと音を立てている。全身の血液が頬に集中しているかのように、顔には熱と大量の脂汗が滲む。朝一番から既にひとっ風呂浴びたい気分だ。
 それよりも。昨夜、その体を夢中で貪った後だ。顔を合わせるのが気恥ずかしかったから、こっそりとここを出るつもりだった。失敗に終わった今、しかも床に無様に転がっているし、為すすべもなく、苦笑を浮かべるしかなかった。顔は相変わらず熱を持ったままだ。なるべく亜双義にとらわれないように、ウロウロと視線が泳ぐ。
「時に成歩堂」
「なんだ?」
「キサマは誰にでもそんな顔をするのか」
「そんな顔?」
 とは一体どんな顔なのだろうか。もしや、起き抜けのしまりのない顔のことかしらん……。一応目覚ましのために冷水で洗ってきたのだけれど。寝あとが残っていたのかもしれない。姿見でちゃんと見てきたらよかった。なんて思っていたら、布団の中からスッと手が伸び、招くような動きをしていた。ぼくはそのまま這うように、亜双義のほうへ。
あと少しで亜双義の顔が見えそうな位置まで体を引きずったところで、左腕が強い力で引っぱられた。さっきまでぼくもいた、くたびれた布団の中は亜双義の体温で程よく温まってもう一眠りしたいくらいだ。それにしても、近い。きっと目を覚ました時よりも、亜双義の顔が近くにある。よしてくれ。引いた熱が上がってしまいそうだから。そう、押し返せていたらこんなに困ってはいない。
 ふ、と口の端をつり上げたかと思うとぼくの顔を避け、首すじに音をたてて吸い付いた。柔らかな唇が思いがけない場所に触れ、心臓が跳ねる。でも、それならば口にしてほしかった。まもなく亜双義はぼくの首筋に小さな熱を残し、ぼくを布団から追い出すのだった。外との温度差に身震いを一つ。
「何を、したんだ?」
「つけておけ。お前の周りの悪シュミな輩に見せつけておけばいい」
 漸く襟首を解放され、伸びた襟を正しながら姿見の前に立つ。亜双義が触れたところには、ほんのりと赤が散らされていた。つまり印ということか。ぼくはお前のものだって。
「ぼく、お前みたいに人気者じゃないぜ?」
「どうだか。オレには全員怪しく映る」
 例えば英語科の、あの教授。
 具体的な名前を出されると、どうにも身の毛がよだつ。冗談だと言ってはくれないだろうか。ぼくもその教授の講義にでているんだぞ。
「それよりも、こんな所で油を売っている場合ではないな。遅刻したいなら話は別だが」
「お前が引き留めたんだぞ!」
 わかっていたさ。朝一番の講義の時間は刻一刻と迫っていることくらい。
「オレは今日は午後からだ。また会おう、友よ」
 ヒラリと腕を挙げて、部屋着のままの亜双義は布団の上からぼくを見送った。そういえば、いつの間に部屋着を身に付けていたんだ。ぼくはほぼ素っ裸だったのに。さてはアイツ一度起きたな。
 いってきます!と、まるで実家にいたときのように亜双義に言い残して、駆け足で大学へ向かった。

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