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今朝の新聞に載っていた「天は二物を与えず」ということわざ。この世に生を享け、決して甘くはない世の中を生き抜くにあたり、人類みな平等であることは大切なことだと思う。この言葉から連想されるただひとりの人物。私の27年の人生、ただひとりだけ、天から三物も四物も与えられ、神様に愛されたとまで言われるほどの男を知っているのだ。

「藤真健司」という名を聞けば、ここらに住む人間なら皆全力で首を縦に振るだろう。彼は神に愛された男、だと。ただ立っているだけで絵になる…何をしなくとも、全てが彼の味方をする。日の光りに照らされればもちろん、雨に打たれたって、水も滴るいい男とはまさにこのことだと、慣用句の手本にさえなってくれるのだ。

礼儀正しく人情深い、真面目でコツコツ努力を重ねる。正義感が強く曲がったことは許さない。

そしてなにより、その美貌だ。



…とまぁ、これは「客観的」に見た藤真健司の印象であり、誰もが口を揃えて言うのは彼の「表面上」の部分だ。もちろんこれは藤真健司のことで合っているのだが、あくまでも一部分にすぎない。「見えている」だけの、ただそれだけのたった一部だ。


およそ50メートルほど先に見えるその小さな姿を目に捉え、私はぼんやりとそんなことを考えていた。おそらく店外の掃除をしているのだろう。行ったり来たりしているような、そんな様子が見て取れた。

健司は皆が思うよりずっと人間らしさがある人だ。確かに正義感も強く曲がったことは許さないけれど、時には感情のまま、笑ったり泣いたり怒ったり、ある時は叫んだり、仮病で欠席し一日中布団から出ずに眠り続けたなんてこともあった。次の日ケロッとした様子を見せていたが、あれはあの当時の健司のストレス解消法だったに違いない。「幼馴染」として、私にはそう見えた。神に愛されているだなんて面白すぎて笑えてくる。健司は神から二物も三物も与えられてはいない。「完璧」に見えるそのほとんどを自分の力で手に入れてきただけの話だった。唯一与えられたとするなら、その美貌だけだと思う。


「おー、なまえ!おはよ。」

『…おはよう。』

「なんだ、よく眠れなかったのか?」


雑巾片手に店のガラスを拭いていたらしい健司は私の顔を覗き込んだ。別になんてことはない、いつも通りの朝なのに、健司にとっては見過ごせないことだったらしい。ぼやぼやとあなたの事を考えていた…だなんて口に出せるはずもない私に「ちょっと待ってろ」と健司は言った。その場に引き止められた私はポカンとした頭でぼうっと彼の後ろ姿を眺めていた。


「…ほらっ、これやる。」

『……バウムクーヘン、?』

「明日から店に並べるんだけどよ、これ190円で出すつもりなんだわ。」

『私の意見は参考にならないっていつもー…』

「いいからいいから。美味かったとか、高いとか、売れなそうとか、なんでもいいから教えてくれ。」


私の言葉を遮るようにそう被せた健司は「じゃ、頑張れよ」と私の肩をパシッと叩いた。掃除が終わったのか道具を持って店へと戻っていく。今日も変わらず着ている藤真商店公式の緑色のTシャツ。背中には大きく「商売繁盛」と書かれている。

立ち止まった足を一歩、また一歩と踏み出していく。手には健司にもらったバウムクーヘン。辿り着いた駅でいつも通りの時刻にやってくる電車へと乗り込んだ。私の一日がまた始まろうとしている。






OLになって一番嬉しかったことは、お財布片手にランチを買いに行く、まるでドラマや漫画の中のようなそれを実際に体験出来たことだ。むしろそれを叶える為に必死になって勉強してきたと言っても過言では無い。そこそこの大学を出てそこそこ給料が貰えて暮らしに困らない生活をする。「安定」が心から好きな言葉。そんな私の昼休み、食後にバウムクーヘンを手にしたことにより今朝の出来事を思い出した。


『……美味しい。』


健司は「そこそこ」を求めた私と比べ、遥か先を行く人間だった。同じ翔陽高校時代、成績こそ私が上だったが、彼にはバスケット部の「選手兼監督」という絶対的なものがあった。それをプラスして、私よりもレベルの高い大学に行き、あろうことかそこでバスケットと勉学を両立させた「努力の人」だった。バスケットで生きていける程の実力を備えた健司だったが、早い段階から一般企業に就職すると周囲に話していた。


どれほどの一流企業に内定が決まるのか、他人事ながら楽しみにしていた私にある日突然健司は言った。


俺、じいちゃんの店継ぐことにしたんだ


バウムクーヘン、美味しかった。190円は高いかと思ったけれど満足のいくボリューム感だった気がする。帰りに寄って帰ろう。ちゃんと健司に報告せねば。

健司のお爺ちゃんは自宅の一階で駄菓子屋を経営していた。商店街唯一の駄菓子屋。私も小さい頃から散々お世話になっていた。コソコソと店の駄菓子をつまみ食いしてふたり揃って怒られてたなぁ…


私たちが成人を迎える少し前、健司のお爺ちゃんは旅立った。病気もなく本当にあっという間に。少し前に先立ったお婆ちゃんの後を追うようで、向こうでもふたり仲良く暮らしてるのかな、と思ったりもする。


「みょうじさん、今いいですか?」

『あっ、はい…なんでしょう?』

「例の本社からの人事異動の方が先程お見えになられまして…」

『…あれっ、今日…でしたっけ、?』


バウムクーヘンの最後の一口を口に詰めたまま、もごもごと喋る私にわざわざ足を運んでくれた受付嬢の子が「はい…」と小さく呟いた。


『…っ、今どちらに?!すぐ行きます…!』

「3階会議室にご案内致しました。課長もすぐ向かわれるとの事です。」


慌てて身だしなみを整え、お茶でバウムクーヘンを流し込む私に受付嬢の子は「落ち着いた雰囲気の方でしたよ」と微笑んで去っていく。そんな情報、今は必要ないよ…!前々から聞かされていたこの人事異動。課直属の先輩となる方が異動してくる為、きちんと出迎えるように言われていたのに…

すっかり忘れてた…!

急いでフロアを駆ける。当然の如くコツコツコツとヒールの音が響き渡る。3階、会議室が近付くにつれ息を整え歩く速度も落とした。初対面がゼェゼェしながらだなんて嫌だ。印象最悪だ…


『…失礼致します。』

「はい。」


コンコン、と控えめのノックに続きそう声をかけた。息をゆっくりと吐いて扉を開く。中には椅子に腰をかけ書類に目を通す男の人がいた。よかった…課長より先に着いた…


『初めまして…企画部のみょうじなまえと申します。』

「あぁ、初めまして。ご丁寧にありがとうございます。」


私が差し出した名刺を見てガタッと立ち上がる。その背の大きさに思わず声が出そうになった。背もだけど…体も大きいな…


「えぇっと、名刺名刺……」


私のそれを受け取ってから自身のも出そうとするが中々見つからないらしくその人から「ん…?」とだけ声が漏れた。大きい男の人がガサゴソとスーツのポケットを漁る姿が可愛くて思わず笑ってしまいそうになる。


「あぁ、ありました。すみません…私は、」


ありがたく、その名刺を頂戴しようと思った時だ。コンコンと聞こえたノックの後、返事も待たずに扉が開く。このドアの開け方は…


「やぁ、遅くなってすまなかったね。長旅ご苦労様。」

「こんにちは。いえ、長旅ってほどでは。」

「まぁまぁ座りなさい。本格的に働いてもらうのは明日からになるからね。」


やっぱり課長だった。彼の名刺を受け取る前にグイグイとやってきた課長は私を差し置いてガンガン話を進めている。うーん…呼ばれた意味とは…


「そうそう、こちら企画部のエース、みょうじさん。」

『あっ、はい…いや、エースでは、ないかもしれないですけど…』

「いいから認めておきなさい。それでこちらが明日から正式に企画部に配属になる、本社からお越しいただいたーー」


課長の紹介で彼は一歩、スッと前へ出てきた。

私の目の前でそっと手を差し出してくる。その手には名刺は握られていなくて。


「本社から来ました、牧紳一です。」


大きな手。触れる前に顔を上げた。まっすぐな瞳とぶつかって慌てて目線を下にさげる。


『よ、よろしくお願い、します…』

「こちらこそ、よろしくお願いします。」


恐る恐る握ると、ギュッと強めに握り返された。びっくりしてすぐ離してしまったけれど、悪く思われなかっただろうか…


「今日は社内を案内して。牧くんには明日から働いてもらうから、今日は準備日ということで。」


じゃ、みょうじさんよろしくね


バタン……慌ただしく扉が閉まった。


『……えっ、……?』


案内、とは……いや、私午後の業務……


「3階のフロアは先程見させていただいたので、他の階をお願いできますか。」

『…は、はいっ…』


でもよく考えれば、何もかもを忘れていた私のせいである。しっかりと覚えていれば段取りもちゃんと出来たわけだし…


『では、1階からでいいでしょうか…?』

「はい、お願いします。」


その後なんやかんやで打ち解け、直属の先輩に当たるこの牧さんが、実は同い年であることを知った時は衝撃だった。そもそも本社にいる時点でかなりのエリートだし、この異動も昇進という名のものだったわけで。

同い年でこの差か…と落胆気味の私の隣で、牧さんは少しだけ楽しそうに社内を隅々まで見学していた。とても真面目そうな方だけど、少しだけ天然なのかな…?気難しそうな人じゃなくてひとまず良かった…でも、「牧紳一」って…


どこかで聞いたことがある、ような…?















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