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「…あ、?さっきから2分しか経ってねぇ、」


あれ、時間ってこんなに進まないものだったか…


いや、俺がしつこく時計を見るからだって冷静に指摘してくれる人物はここにはいなかった。なんだってこんなに落ち着かないんだ。そりゃなまえのこととなりゃ今までだって色々な意味で心穏やかではいられなかったけど、まさかここまでとは…俺大丈夫か…


仕事帰りに彼女がここへ立ち寄ることはもちろん今に始まったことではないし、むしろ何億回目だよって話なんだけど。昨日の今日ってのが本当に大きくてさぁ…だって今日も会社では牧と一緒だったわけじゃんね。あぁ、言葉にすると余計くるものがあるな、しんどい、やめよう。


「…顔見てぇな。」


自分でも驚くほどになまえの存在は俺の癒しだ。もちろんその大きすぎる存在は俺にとって不安の根源にもなりうるんだけど、やっぱり、やっぱり、言葉では表せないくらい可愛くて大好きだから。顔見るだけで疲れなんて浄化されるんだよ、天使ちゃんめ。


「そろそろだよな。茶でも用意して…」

『お疲れ様、遅くなってごめんね。』


カラカラと音がして、閉店後の店の扉が開かれた。なんの躊躇いもなくまるで我が家のように入ってきたなまえに俺の胸は容易に高鳴った。うわ、なんか、これ、俺がおかえり、お疲れ、とか言ってさ、あいつが今日も疲れたよとかって笑ってくれてさ、え?まるで同棲してるみたいじゃ…


「おう、お疲れさん。」


っと、危ねぇ。あと1秒長く妄想してたら脳内でおさまらずに同棲モードの俺が現れるところでした。セーフ。


『たくさん働いてきました。そうそう、昨日のバームクーヘン…』


手慣れたように椅子に座るなまえに緩まる頬を押さえつつ、うんうんと相槌を打つ俺。はぁ、役者になれそうなレベルの演技だぜ。


『価格もちょうどいいと思うの。味もすっごい美味しくて、軽く手土産用にギフトっぽくしておくのはどうかな?』

「あー、それいいかも。」

『いちいちギフト包装するの健司も大変だと思うし、何個か纏めて箱に入れたりとかさ。』


味は選べた方がいいと思うから何個入りかだけ決めておくといいかも


…ここまで完璧な意見があっていいのか。商店街の皆さん、いや、世界中の皆さん、聞きました?


なんでもいいから意見聞かせてと言った俺にここまで的確でまとまっていて実用的でなおかつ店主である俺への配慮も欠かさないこの発言…あぁもう、大好きだわ。


「ありがとう、なまえ。そのまま採用させてもらうわ。本当にいつも助かってる、サンキュな。」

『ううん、私もいつもお菓子もらっちゃってるし。あ、お茶ありがとう。』

「いい茶葉仕入れたからな、美味いと思う。」


コトンと湯呑みを置けばにこにこと笑ってくれる。聞いてください、皆さん。この湯呑み、随分可愛い柄しているでしょう?これ、なまえ専用なんですよ…もうこれは実質同棲と言っても過言では…!


『はぁ…あったまる…美味しい。』

「夕飯まだだろうけどよかったら食ってって。」

『何から何まで悪いね、健司も疲れてるでしょ。』


何にもしなくていいから座ってよと隣に並んだ俺の椅子を叩くから、何から何までしてやりたい気持ちを抑えつつ大人しく隣に座ってみた。あぁ、優しさの塊、天使。


そっと出したお茶請けのお煎餅をポリポリ食べながら徐に通勤鞄をいじり出したなまえ。大人しく隣でお茶を飲んでいれば「まだ少し早いんだけどね」と一枚の紙切れを差し出してくる。


「お、なにこれ…商店街、祭り…?」

『情報解禁が来週になるからまだ秘密なんだけど、うちの会社で毎年主催してるお祭りの担当地域が今年はここの商店街に決まってね…』

「あぁそういえば、もうそんな時期か。」

『もちろん楽しいは楽しいんだけど超大変なこの時期が、今年もやってきたわけよ。』

「毎年胃痛めてるもんな…」

『…でも今年は地元での開催だから!商店街に知らない人はいないわけだし、話も通りやすそうで助かる!』


なまえが勤務している会社では毎年この季節になると町おこしの一環として祭りを企画、主催する。特に企画部所属のなまえにとっては1番の頑張りどきらしく、地域の方とのやりとりや限られた時間の中での出し物の調整、経費諸々、胃をキリキリさせながら頑張っているのをなんやかんやで毎年見守ってきたわけだ。今年はこの商店街で、だと…?


え、なにそれ、正直、最高なんだが…?!


時間差でじわじわ喜びを体感している俺に「私と牧くんがリーダーだから」と言い放つなまえ。そっか、リーダー…きっと先頭に立って色々なことを決めていく…


え、待って


聞きたくない名前が聞こえたような気がしたんだが?なんか、なまえの名前と並んで出てこなかったか?


『私と牧くんは頻繁に打ち合わせに来ると思うけど、健司も協力してくれると嬉しい…っていうか、藤真商店は今回のお祭りの中でもかなりメインの立ち位置になるというか、そういう風に現在調整中というか…』

「………」

『…健司、?あ、嫌だった?ごめん、藤真商店が中心になってくれたら小さな子供たちも集まりやすいかなと思ってさ、駄菓子とか簡単な縁日とかー』


考えまいと脳内から消し去っていた存在がいとも簡単に割り込んでくる。彼女の口からその名前を聞くだけでどうにも言い表せられないドロドロとしたものが俺を支配していくんだ。なんで、嫌だ、頼む…


俺たちのこの空間に、入ってこないで…


『健司、』

「…ぁっ、悪い、」

『大丈夫?お祭り、なるべく健司の負担にならないようにするから…』

「いや、それは問題ない。もちろん俺は全力で協力させてもらうし、この店も是非使ってもらえると嬉しいよ。」


ありがとうと笑ったその笑顔は俺に向けられたのに、頑張る、負けない、自分に出来ることは全部やるって決めたのに、それなのに、どうしてこんなに弱気になるんだろう。


ダメだよ、俺。しっかりしろ。自分で頑張るって決めたんだろ。いちいちそんなことに気を取られるな。


なまえの役に立てるように、しっかり、しっかり。


『くれぐれも内密にね!健司人気者だからおばちゃんたちとよく喋るだろうしポロッと言わないように。』

「へいへい、承知。」















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