思うようにいかないのが恋
「…なまえ先輩。」
『あ、流川…何?』
湘北高校二年一組、休み時間。さてトイレでも行こうかと自席で伸びをしたなまえの元にスッとやってきた大きな男。ふと名を呼ばれ顔を上げればじっと自分を見下ろす見慣れた顔があった。
この男がわざわざ訪ねてくるとは何事だとなまえは不思議そうな顔で男を見上げた。全校中の人気者である大男、流川楓の登場により二年一組は途端に歓声が上がり始める。こりゃ大変だ…と勝手にため息をついたのは宮城であった。
「テスト…」
『うん?テスト?』
「教えてほしいっす。」
足りない部分を補い自分なりに解釈をするなまえ。要は来月に控えた期末テストのテスト勉強に付き合ってほしいということなのだろう。でもどうしてこの流川がそんな前もって勉強を…もしや何か変なものでも食べたとか…親衛隊に何か食べさせられたとか…催眠術で操られたとか…?!
あ、でも珍しくやるって言うんだからそんな探るような真似しなくたって…
『いいよ、いつやる?』
「昼。」
『昼休みね、じゃあ図書室…』
集合ねと言おうとしたなまえは途端に口を閉じた。いつのまにか廊下にも人が群がっておりその全ての女子達が自分たちの会話に耳を傾け静かに身を潜めているのだから。これじゃ昼休みには図書室に入るのに整理券が配られるかもしれない…せっかくの流川のやる気を潰すわけには…
『流川…ちょっと、』
「…?」
ちょいちょいと手招きをして流川は屈んだ。なまえは彼の耳元で「部室に折り畳みの机があるから、それもって体育館で」と呟いた。これなら息抜きにバスケをやることだって出来るし、一石二鳥だからね。
女子達が集合場所はどこになったのかとザワザワ騒ぎ出す中、勝ち誇った顔をするなまえ、そして…
「…っす。」
耳元での囁きがあまりに威力抜群で静かに顔を赤めていた男がひとり。
『これをね、こうして…』
「…わからん。」
さっぱりわからんと首を傾げる流川。ガシガシと頭をかきじっとなまえを見つめる。わかるようになんとか説明しようとする一生懸命な姿に流川はほんの少しだけ口角を上げた。一番の息抜きはここにあるということになまえは気付いていない。
『う〜ん、少し難しかったかな…』
「…やる。」
『まだ日はあるしゆっくり進めていこうよ、それよりどうして急にまたやる気になったの?』
パタンと参考書を閉じて流川をじっと見つめるなまえ。何かに興味を持った時の興味津々の顔だ。最近はもっぱら彼女の興味はあの鬱陶しい野猿に向けられており、自分にこんな顔をしてくれるなんて…と流川の中にも存在していたらしい一般的な男心がくすぐられた瞬間であった。
「…特に、理由はねぇ。」
『ほぉー…そっかぁ。』
「バスケやれなきゃ困る。」
『確かにね…』
そういえばそんなこともあった。今年の夏は赤点が四人も出て勉強合宿だの再試験だのとにかく騒がしかったからね…さすがの流川も同じことは繰り返すまいと必死なわけか…かなり進歩したじゃん…
なまえは流川に感心しつつ、そういうことなら絶対に力になってやると勢いよく参考書を開いた。先ほどまでトライしていたページを探す。そんななまえを見るなり流川は先日の夜の出来事を思い出していた。
「やっぱりそうこなくっちゃね!」
「そうそう、男は多少強引くらいが魅力的よね。」
昨晩、流川家のリビング。二人の姉はいつもの通りキャッキャとテレビの前で騒いでいる。日常のBGMと化している普段は気にならないそれ。しかし流川の耳には何故だか二番目の姉のセリフがハッキリと届いていたのだった。
多少強引くらいが魅力的…?
おそらくドラマかなにかを見ているらしい姉達は「略奪愛!」と騒がしい。完全に動きを止め頭の中には「強引」という文字がグルグル回る流川。そこに姉のトドメが入ったのであった。
「俺にしとけって言われてみたい。」
「いい、それいい!もうなんか奪われたい!」
俺にしとけということは、その時点では男側の一方通行な思いということになる。強引さという永遠のテーマのような単語。流川は瞬時になまえの顔が浮かんだのだ。
『流川、聞いてる?』
「…あ、何…?」
『だから、ここのページ、さっきの解き方だと…』
好きだなんてそんな思いを誰かに抱いたことはなかった。自分にはバスケがあったしむしろそれ以外何も要らなかったからだ。でもこの女は…この先輩は…
流川
この人にそう呼ばれるだけで、自分の名前に何か特別なものを感じることができた。他の誰に呼ばれる瞬間より嬉しい。先輩はいつからか俺にとって他の人とは違う…
「なまえ、先輩…」
『どうした?ここ難しい?じゃあ、さっきの…』
「どうして、アイツ…?」
どうして先輩の目に映るのは俺じゃなくいつもアイツなんだろう。
『…おっと、いきなり何の話かな。』
「理由が知りてぇ。」
俺がそう問えばなまえ先輩の表情は変わった。先程までの穏やかな表情は消えてスッと無になる。その様子を見届けた俺に緊張が走る。何を言っているのかと怒られるのだろうか。勉強に集中しろと叩かれるだろうか。俺の質問には答えてくれないのだろうか。
『…好きに理由はないよ。』
「はっ…」
『最近思うの。気になり始めたきっかけはあるのかもしれない。でも好きで居続けることに理由はないのかもなって。』
真っ直ぐ前を見つめたままなまえ先輩はそう言った。
『しいて言うなら、清田くんだから…だよ。』
「……」
『これだっていう好きな所があるんだとしたら、それが崩れ落ちた時にもう好きじゃ無くなるってこともあるかもしれないでしょ?』
だから自分の愛は本物だって?好きな理由が「清田だから」だって言う先輩のその愛は、いつまで経っても色褪せねぇってか…?
『勉強に誘った理由がこれならもう目的は果たしたってことだね?』
「えっ…」
なまえ先輩はそう言うと立ち上がった。パンパンとスカートをはらい鞄を持つと俺の方を見る。
『それじゃあね、流川。』
スタスタと去っていくその後ろ姿に俺はうんともすんとも言い返すことができなかった。
「…めんどくせぇ…」
女ってのはつくづくめんどくせぇ生き物だ。願ったことなど一度もねぇのにワーキャー騒ぎやがって…
本当に欲しいと思う相手に限ってこっちに振り向いたりしねぇわけだし…
そろそろ、いい加減男を見せねぇとあの猿に持っていかれるんじゃねぇかって…そう思ってたのに。
「…チッ…」
認めたくなかった。いつだって俺の入る隙なんてこれっぽっちもなかったこと、なんて。
「俺だってアンタだから…だからいいのに。」
思い通りにいかぬが人生
(…よりによってなんであの猿なんだ…)