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仙道彰の妾となり三年が過ぎようとした頃だった。手元で育てている栄治は五歳になろうとしている。五歳を過ぎたら寿や大と同様、僧になる約束で寺へ預けることが決まっている。どことなく寂しさを感じながらなまえは毎日仙道に大切に思われながら生活していた。


とある日、御所から出たなまえが散歩がてらひとりで歩いていた時だ。


「....仙道彰の妾になったのは、自分の為か?」

『はっ......!』


突然耳元で囁かれたなまえは慌てて振り返る。笠を深くかぶり、顔は見えないものの随分と背の高いおそらく男であろう人物が至近距離に立っている。


二人の距離はごくわずかしか開いておらず手を伸ばせば簡単に触れられる距離だ。なまえは一歩、また一歩と後退りをする。しかし男は大股でなまえが下がる度に一歩、また一歩と近づき、一定の距離を保ってくる。


『....そなたは.....誰だ......っ、』


震える声で絞り出したなまえ。そんな彼女の言葉を聞くなり笠を被った男は口を開いた。


「これは失礼。申し遅れた。」


そう言うと男は少しだけ笠を傾けて顔を見せた。二人の距離はとても近い為なまえは随分と見上げる形となる。笠から現れた男の素顔になまえは驚き声を失った。


『.....!!』

「お初にお目にかかる。名を、楓と申す。」


なまえにとっても楓と名乗るこの男と会うのは初めてであった。しかしなまえはとても驚いていた。


『楓様.......』


楓という男のあまりの美貌に度肝を抜かれたのだ。品のある立ち姿に綺麗に整いすぎたような顔。どことなく藤真健司を思い起こさせるその美貌になまえは胸の高鳴りを抑えきれずに目に涙を溜めた。


そんななまえの頭の中で引っかかる「楓」という名前。どこかで聞いたような...と胸の高鳴りを誤魔化すかのように必死に考える。


『あっ........、健司様の........!』


なまえがそう言うと楓は静かに頷いた。なまえは随分と昔、仙道と話した会話を思い出したのだった。


純粋に疑問に思ったなまえがとある日、仙道に対し「我々を生かしたことを後悔していないのですか」と尋ねたことがあった。その問いに仙道は「していません」と答えた。そして続けて「楓という名の息子を生かすことになっていたのだから、そなた達だけ斬るわけにもいかなかったのです」と笑って言ったのだった。


仙道はなまえに話した。「私の継母が助命を懇願してきたのです」と。その結果、楓は藤真家の人間でありながら斬首を逃れ伊豆へ流され流人となったのだと。


楓は藤真健司の三番目の息子であり、正室との長男であった。幼い頃から跡取りとして育てられ成人前から戦へと連れて行かれるほどだ。仙道との戦の際も楓は藤真の隣におり、逃げ落ちる際、仙道の手下に捕まり仙道彰の前に連れて行かれたのだった。


当然斬首になると誰もがそう思っていた。しかし仙道の継母であった女だけは、敵でありながらも楓を斬らないで欲しいと仙道に向かって助命を懇願したのだ。なまえは思い出していた。「なぜです?なぜ助命を...?」そうなまえが問えば仙道は少しだけ寂しそうな顔で答えたのだった。


「亡くなった次男にそっくりなのだと、泣いて懇願されたのだ」と。


なまえは以前の仙道とのそんなやりとりを思い出していた。楓は静かになまえを見つけ続けていた。


「...敵の妾になるとは、そなたまさか、父上を軽視しているなんてことは...。」


楓はそう問うと冷たい目でなまえを見下ろす。


伊豆へ流人となった楓の元にも仙道の妾になったなまえの話は届いていた。楓はなまえに真相を確かめておきたかったのだ。あまりの美貌が手助けし、仙道が一目惚れした。手に入れる代わりに子の命が助かった。しかしそんな美談あるものか、と楓は疑っていた。なまえはもしかしたらとてもしたたかな女で、生きたいが為に自分の美貌を全て使い、仙道を「落とした」のではないか、と。京の千人から選ばれるほどだ。自分に自信があることは当然といえば当然のことである。


楓は微動だにしないままなまえの返事を待った。簡単に他の男の妾になるなど心変わりもいいところだ。父上という夫がいながら、その存在を軽く考え、生き延びる為に手段を選ばないのだとしたら.......。


楓は最悪の場合、なまえを斬る覚悟さえ出来ていた。


『楓様......私にとって、三人の子は宝です。』


なまえはあらぬ疑いをかけられたことに気づきながらも冷静に返事をした。


『彼らが生きてさえいれば、それで満足なのです。』


楓はなまえをジッと見つめた。


『戦へ行かれる前、健司様は私に仰いました。』


なまえはあの日の藤真の言葉を思い出す。不意に涙が溢れてきそうになった。


『「寿、大、栄治....私が帰るまで三人の子を頼む」と。』


なまえにとって何よりもの宝である三人を絶対に守る。何があろうと絶対に。なまえは本心を伝えた。


『藤真健司の血を受け継いだあの三人を、私は何があっても守り抜く。それが健司様との約束だからです。』


楓は静かになまえの話を聞いていた。


『ですから....私がどうなろうと、なんだって構わないのです。』


なまえはそう言うとジッと楓を見つめ返した。その真っ直ぐで強い瞳に楓は瞬きを繰り返す。あまりの意志の強さに少し驚いたのだった。自分が思っていた以上に強く「母の顔」をしたなまえ。美貌を惜しみなく使ったしたたかな女だなんて見当違いだったと心の中で反省した。この女はただ、父上との約束を守っただけなのか...。


「....そなたが仙道彰をどう思うか、私には分かりかねる。父上を斬った罪人か、はたまた....助けてくれた恩人か。」


「見たところ、生活にも苦労していなさそうだ。」なまえをジッと見た楓がそう言う。高級な着物を着て綺麗な髪飾りまでつけたなまえのその見た目は仙道に大切にされていることを物語っている。頬もこけたりせず肌にも艶がありとても綺麗なのだった。なまえはその先に続く言葉を待った。何故だか胸騒ぎがしたのだった。


「そなたにひとつだけ伝えておく。」

『......なんでしょうか......。』

「仙道彰にあまり深入りするな。」


楓からの忠告になまえはますます嫌な予感がした。


『それは.....一体どういう.....、』


「意味なのでしょうか」となまえが続ける前に楓が声をかぶせるようにして口を開く。


「仙道彰はいずれ....私が斬るからだ。」


「この手で...絶対に...」そう続けた楓は自身の掌を見つめグッと力を入れると握り拳を作った。目線を前へと戻しなまえと視線が交わる。その「本気」を物語る目になまえはハッとした。このお方はやる...きっと本当にやるつもりだ...そう思わずにいられない。


「私はそなたと同様、本来なら斬首のところを縁が重なり生き延びた。いくら助命を懇願した女子がいたとはいえ、最終的に生かすことを決めたのは仙道彰だ。」

『.....はい......。』

「しかし私にとっての奴は......父上を斬った罪人。ただそれだけだ。」


楓はそう言い切った。嫌な予感が的中したなまえは楓のあまりの鋭い目つきに身震いがした。


「本来なら亡き命。私が生かされた理由、生きる理由はただひとつ。」


「仙道彰を斬る為だ。その為に生き延びたのだ。」楓のあまりの言葉になまえは絶句した。そこまで考えているとは.....。父の仇をとると考えるのは普通のことかもしれない。しかし楓は仙道に「生かされた」身だ。それはなまえや三人の子と同様の事実であり、憎くはあるものの心から仙道を恨むことのできないなまえにとって楓の心のうちは彼女にひどく突き刺さった。


「特別な感情など抱くべきじゃない。そなたが仙道に抱いていい感情はひとつ。奴を心から憎み、死や滅亡を望むことだ。」

『楓様.......。』


いくら健司様を斬った罪人とはいえ....私にはそこまで....。なまえの心は正直であった。口には出さないがどんなに憎くとも、仙道の優しさに触れるたびになまえは彼に対する感情が変化していった。それは「恋」や「愛」には程遠いが「極悪人ではないのかもしれない」だなんて少しずつ少しずつ.....。


「仙道彰には絶対に深入りするな。そうしなければ、そなたはまた......」


楓は笠に手を当て下へと下げた。


「 ” 大切な人 ” を失うことになる。」

『....!!』


その言葉を聞きハッとしたなまえを置いて、笠に顔を隠した楓は足早に去っていく。


その後ろ姿を見てなまえはじわじわと目に涙が溜まっていく。


『楓様....!』


呼んでから気付く。この人は流人だったのだと。なまえは慌てて周りを見渡すものの人の気配は無く誰かに聞かれている心配もなさそうだ。楓は離れた距離を少しだけ元に戻すようなまえに近付いた。


「何か....?」

『楓様.........、』


なまえの目からは一筋の涙が溢れた。楓はほんの少しだけ笠の角度を上にあげるとなまえの頬を流れる涙に向かって手を差し伸べる。生温かいそれを拭えばなまえは余計に涙声となった。


『自分でも、わかりません....ですが....楓様を見ていると....涙が溢れてくるのです....。』


なまえはそう言うと「行かないで...」と呟いた。


「それは...私にこの場で捕まれ、と?」

『違います...滅相もございません...。あなたを見ていると...健司様を近くに感じるのです...。』


なまえが楓を引き留めたのはもはや本能であった。楓に幾度と重なる健司の姿。綺麗な容姿や強気な心、品のある立ち振る舞いなど全てが健司にそっくりであった。


『健司様が...そばにいるようで...もう少し...隣にいてほしいと...思ってしまいます....。』

「....泣くでない。」


楓はそう言うと止まることを知らないなまえの涙を何度も何度も手で拭ってくれた。綺麗な長い指がなまえの頬に触れる。


「....父上がそなたに夢中であった理由が、わかるような気がするな....。」


楓の独り言はなまえには届いていなかった。そして思う。この女子はやはり強い、と。それは心の強さだけではない。涙を流して自分を見つめてくるなまえはあまりに可憐な上とても綺麗で胸の高鳴りを感じずにいられないのだ。この美貌を使い生き延びようとしているのではないか、だなんて自分自身も勘違いしていたが、この美貌は生で見るととても凄い「武器」だと楓は納得した。この女はとても美しい.....。


「出来ることなら生涯、藤真家の女子でいて欲しかった...。」

『楓様......絶対に生き延びてください。』


お願いですから...健司様の分まで...。そう続けたなまえに笠を触る合図を見せた楓は「失礼」とだけ言い残して去っていった。


なまえはただひとり、どこへも動けずその場に立ちすくんでいたのだった。










君は父上の特別な人









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