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「心拍計…」

「今後このモニターで二十四時間、神の体温と脈拍を計測させてもらう。」

「…何かあったら、先生が、助けに…?」

「もちろん。ちなみにこれ、ここを押すと…」


先生はそう言うと右端にある小さなボタンを押した。途端にザーザーと音が聞こえ…


「もしかして、通話機能?」

「正解。ボタンひとつで会話も可能だ。神の体温や脈拍に異常があった場合、こちらからも連絡させてもらうから。」


肌身離さずいつ何時でも身につけて欲しいと、先生はそう言った。防水機能も備わったそれは、もはや俺にとっての第二の命。何かあった時に、真っ先に先生と連絡が取れるだけではなく、こちらが連絡をとろうとせずとも、自動で先生に異常が通知されるのは大変有り難い。なんという逸品。


「監視するようで申し訳ない。だがここまで来てしまえば、神や、その子の命がかかった問題だ。簡単には対処しない。念には念を入れるから。」

「…先生、ありがとうございます。」

「いつでも連絡。もしくはこちらからも。応答が無く危険だと判断した場合、ここから催眠剤が出るようになってるから。」


発動した場合、数秒以内に強制的に眠らされるほど強いものらしい。最終兵器まで備わったそれさえあれば、とても心強く、安心とまでは言えないけれど、それでも学校生活はなんとか送れるような気がしてきた。


「誤作動が起こらないよう、基本的には落ち着いた生活を心がけて。こちらもちゃんと見極めるようにするけど。」

























人より鼻がよくたって、物理的に距離が離れていれば、この間みたいに香りにクラクラするような出来事は起きないわけで。そして俺の本能は使い方によっては案外役に立つ。ほんの少しだけでも彼女の香りが鼻を掠めた段階で、俺は彼女との距離をとるように意識していた。大体今このくらい離れているだろう、彼女はおおよそあそこらへんにいるのだろうという距離感は掴めていたから。


なんだ…気をつけていれば、案外落ち着いた生活だって出来るじゃ無いか。


ふと左腕につけた腕時計に視線をやってみる。正常を示す緑色のランプが点灯したままで、あれからこれを使って先生と連絡をとった試しもない。安定した生活…実に素晴らしい。


休み時間、不用意に教室から出たくはなかったけれど、どこか彼女の匂いが濃くなったような感覚がして慌てて廊下へと飛び出てみる。普通に考えて、俺のいる三年のフロアには移動教室で使われる共用の教室がいくつもあるわけだから、一年生とはいえ彼女がここらへ近づく可能性だって大いにある。


待てよ…今は逃げればいいものの…授業が始まったらさすがに教室へ戻らなきゃいけない…


例えば彼女のクラスが、俺の教室の隣の隣に位置する化学準備室で授業をするとしたら…?おおよそ一時間もの間、俺は壁さえあれど物理的に彼女と近い距離で過ごさなければいけなくなる。


授業に集中出来るか出来まいかなんて、もうこの際どうだってよくて、問題は己を抑制出来るかどうか…我を失って彼女を襲いに行ったりしないかどうか…周りに迷惑をかけないかどうか…


「……」


まずい、のでは…?


ウロウロと廊下を彷徨う間にも、彼女との距離は縮まっているように思える。時折吹く暖かい風に乗って、厄介な香りがフワッと鼻を掠める瞬間がすごく不快だ。


意図せぬところで自身の奥深くに眠る何かが刺激され、掻き立てられ、「本能」として自分の中から飛び出していくような気がする…


「…先生、すみません。」

「お、神…どうした?」

「少し体調が良くなくて…次、保健室で休ませてください。」


たまたま次の授業の担当教師と出くわした為、そう言って逃げるように保健室へ駆け込んだ。とにかく今は安全には安全を。策がないまま不用意に近づけない。






















「……?」


あれ、俺…寝てた、のか…


ムクッと体を起こす。そこが保健室であること、休むついでにすっかり眠ってしまっていたことに気付いた俺はとりあえず頭を抱えた。何も解決しないまま眠ってる場合か。


時計を見やれば授業が始まり三十分程経過した頃だった。あぁ、まだ戻るには時間がある…これからどうするかだけでも考えて、あとは花形先生に相談ってことにしよう…


ガタガタ、とカーテンの向こうから音が聞こえる。パタパタとスリッパのようなものが床を擦る音も。養護教諭が仕事をしているであろうこの生活音は決して悪い物ではなかった。


さて、どうするか…


ベッドに横になったまま天井を見上げ、静かに息を吐いた時だった。


「…っ、?!」


突如体が震えた。嫌な予感…なんだこれ…


近づいてきてる…?


匂いを感じるだけじゃない。存在を近くに感じれば感じるほど体が身震いして、自分も知らないような高揚感がゾクゾクと沸き上がる。


吸いたいという明確な四文字に加えて、触れたい、抱きたいがハッキリとした感情として追加されていく。


どうする…俺…これ、まずいんじゃ…


『…失礼します、先生、いますか…?』


ブルッと肩が揺れた。まずい、来た…


バクバクと心臓が音を立て、汗が吹き出てくる。ガラガラと扉が開き、聞き慣れた養護教諭の優しい声色が聞こえた。


「あら、みょうじさんどうしたの?」

『今化学なんですけど、薬品がかかってしまって…』

「えっ?!薬品が…?!」


大変だ、どうしようと、慌てる養護教諭と、大したことはないけど…と説明を始める彼女の声をカーテン越しに聞く俺は、これでもかというほどに興奮し、肩で息をするのに精一杯であった。


「……っ、先生に、電話……」


あまりに心音がうるさく、得体の知れない高揚感に包まれて、徐々に意識が曖昧になっていく。彼女に手を出さないようにと、横になっていたベッドのふちを握りしめていた俺の手から血が流れ出るのがわかった。自分自身の爪でも食い込んで刺さったのだろうか。ボヤボヤとする曖昧な部分で考えたってもう何もわからない。


バタバタと音が聞こえ、誰かがこの部屋から出て行ったような気がした。意識が飛びそうだ。自我が保てず我を見失いそうなギリギリのところでなんとか震えながらも通話ボタンを押す。すぐさま「神!」と俺を呼ぶ声が聞こえたような気がした。


「神!どうした!なかなか出ないから心配した!何があった?!」

「…先生…、眠らせて、ください…っ、」


震える声を振り絞ってそう伝える。先生、もしかして、かけてきてたのか…?声が声として出ていたかどうかもわからないレベルだった。それでもどこか遠くから「わかった」と花形先生の声が聞こえたような気がして、俺は安心して意識を手放し…


『…じん、先輩…?』

「…っ、は……」

『やっぱり、先輩の声だ…あ、すみません、突然…』


カーテンの端を握りしめ、こちらを見つめる彼女と目が合った気がした。手放そうとした意識はどうやらまだ手放していないらしい。あれ、俺…えっ…?


今から催眠剤が来て、俺は、眠るはずじゃ…


催眠剤…?


「…待って、先生…!」

「どうした、神!」

「だいじょう、ぶ…俺、大丈夫です…」


ぶつぶつと独り言を言うなんて気持ち悪いだろう。それでも彼女はどこからか聞こえてくる花形先生の声に、俺が通話中であったことを察したのか申し訳なさそうにペコッと頭を下げカーテンを閉めた。


「大丈夫なのか?!心拍数も脈も異常値でー…」

「次言ったらその時は絶対に眠らせてください…」


わからない。自分でも何が起こってるのかなんて。でも不思議なことにさっきより心拍数も落ち着いてきたような気がする。そもそもほぼ意識のないような状態で、彼女に仮に催眠剤がかかった場合、もしくは俺が突如眠ってしまった状況を見た場合の、その先を想像して冷静になることが出来た。


見てみろ、今のこの冴え切った頭…


あれ、俺なんでこんな、落ち着いた…?


『…すみません、通話中、でしたか…』

「…いや。」

『声がしたのでもしかしてと思ったんですけど…そりゃ通話中ですよね…すみません。』


ボソッと聞こえたそれに「大丈夫」と返した俺。ジトッとした汗が気持ち悪いけれど、どこか疼くような感覚は抜けないけれど、香りが濃すぎて酔いそうだけれど、でも…


心地良い、気も、する……?


『勘違いなのはわかってるんですけど、この間名前を聞かれて、少し先輩と近づけた気になってしまって…』


そういえば…俺、この子に名前聞いて…あれ、なんだったっけ…名前、ちゃんと聞いたのに…


『…体調、大丈夫ですか?』

「…………」


そっとカーテンが揺れ、こちらを覗く顔が見えた。目が合った瞬間、走馬灯のようにあの時の情景が浮かんで。


「…みょうじなまえ、さん…」

『あっ、はい…!』

「俺は、大丈夫です…」


ニコッと、一瞬で記憶が舞い戻った俺が名を口にした瞬間ニコッと、そう微笑んだみょうじさん。その笑顔を目にした瞬間、あぁ、噛みつきたい…


思いっきり、抱き潰してやりたい…


キス、してみたい


だなんて、脳内に次々と浮かんでは邪な気はどこかへ消えろと頭を振る。ドクドクと心音はうるさいけれど、なんだかいつもとは違って、これは悪くないような…そんな、気が、する。


『そっか、よかったです。』

「みょうじさんも、大丈夫…?」

『あぁ…実験で薬品がかかってしまって…今先生が荷物を取りに行ってくれていて、私このまま病院へ行かなければいけないみたいで…』


あぁ、そうか、彼女は今大変なのかとそう思ったら、何故だかうるさいだけだった心臓がひどく痛み始めた。困ったように笑う表情がどこか儚げで…


あれ、その顔…


「…っ、!」

『…先輩?大丈夫ですか…っ、?』


あれ、今度は頭が…痛い…



















Modoru Susumu
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