彼女視点
最近音楽にハマっている。
「おい、朝だぞ?」
『.......もう、朝.........』
心が浄化されるような気がして、洗われるような気がして、ちっぽけな悩みとか何もかもがどうでもよくなるような気がして。私は特にクラシックを好んで聴いていた。夜遅くまで音楽に浸り続ける生活はただでさえ苦手な朝を迎えるのにあまり良くなくて。今日も藤真に「二度寝すんなよ」と怒られてしまった。だからといって二度寝したことはないのだけれど。
「...俺今日朝練ねぇんだよ。」
『えっ......じゃあ......今、何時?!』
もしや、朝練が無いからといつもより遅く起きてその藤真が制服姿で私を起こしに来るということは、だよ?今何時なの?もしや....遅刻なんてことは....?!
「いつもと同じ時間だよ。そんな慌てんな。」
『えっ.......藤真、もう学校行く気満々じゃん......』
朝練ないのに....と続けた私に「日課だから仕方ねぇんだよ」と藤真は笑っていた。朝練がないっていうのに既にこの時間に制服を着て準備万端な藤真、なんだか変なの。私がクスクスと笑えば藤真は「なんだよ」と突然不満そうな顔になっていた。
「朝飯食ってくれば?」
『藤真は?もう行くの?』
「まだ行かねぇよ。たまには一緒に登校するか?」
散々避けてきたそれを今更言われてポカンとする私が固まっていれば藤真は「冗談だよ」と笑っていた。
「今日のホームルーム小テストだろ?範囲見せて。」
『....なるほど、それが狙いだったわけか。』
私の答えに藤真は「さぁどうだろう?」と笑っている。仕方なく範囲が載ったノートを差し出せば「サンキュー」なんて上機嫌で受け取り私の勉強机に腰掛けていた。
「飯食って支度してこい。それまでここで勉強してるから。」
「わかった」と答えて制服を持って下へと下りる。リビングには「おはよう」と声をかけてくれるお母さんがいて。ついでに「健司くん朝練遅れない?まだ部屋にいるわよね?」と焦ったように聞いてくる。
『今日朝練ないんだって。今小テストの勉強してるよ。』
「あらそうなの。ならいいわね。」
ご飯を食べて顔を洗って歯を磨いて少しだけ髪型を整えて。制服を着て準備万端で部屋へと戻れば藤真はせっせと勉強中であった。
『少しは頭に入った?』
「かなり。助かったよ、ありがとう。」
そう言ってノートを返してくれる藤真。私の椅子から降りて「準備できたみたいだな」と頭を撫でてくる。久しぶりに立った状態で並んだような気がして、また少し大きくなったんじゃないか、また少し身長差ができたんじゃないか、とどうでもいいことを考えてしまった。
「ん?どうかした?」
『あ、ううん.....先行く?』
「....あぁ、行くよ。また後でな。」
藤真はそう言って置いてあった鞄を持って部屋を出て行った。お母さんに「いってらっしゃい」と見送られ「いってきます。お邪魔しました。」と相変わらず丁寧な挨拶も忘れていない。
「藤真くんの幼馴染だよね?」
『えっ.........』
誰にも言っていなかったはずだ。誰にもっていうのは少し語弊があって、実際には花形くんにはバレているのだけれど。まさかあの花形くんが口外するはずもなく、私は発信者を探り始める。
『だ、誰が....そんなことを.....?』
「この間見たの。バスケ部の朝練がない日にね、藤真くんが隣の家から出てきた姿。」
それはもはやストーカーでは....?と寒気がする私に目の前の女の子三人組は「表札にみょうじって書いてあって」「そのあと時間差でみょうじさんが出てきたから」と早口で告げてくる。
「二人と小学校が同じだった友達がいてね、確認したの。」
そしたら藤真とみょうじは幼馴染だよって教えてくれたから
真ん中に立つ髪の毛をふわふわと巻いてスカート丈の短い女の子がそう言った。よく見れば、藤真のファンの中でも「可愛い」と有名な子で、あまり友達が多くない私ですら見覚えのあるくらいだ。
「みょうじさんどうして、藤真くんの幼馴染だって隠してるの?」
『そ、それは........』
まさか、言えない。貴方達みたいなのにこうして「幼馴染だよね?」と絡まれるのが面倒だから....だなんて。
「まぁわかるよ。みょうじさん大人しいし、こうやって声かけられるのが面倒なんでしょう?藤真くんの幼馴染っていう理由で。」
まんまと見破られたそれに「ハハハ...」と苦笑いを漏らせば「内緒にしてあげるからさ」とその後に続く言葉に警戒してしまう自分がいた。
「だからさ、これを....藤真くんに渡して欲しいの。」
そう言って真ん中の目の大きな可愛い子が私に向かって一通の手紙を差し出してきた。可愛い便箋で小さな字で「藤真くんへ」と書いてある。
「三度目なの。一度目は下駄箱に入れたけどダメで...二度目は直接本人に渡したけど...やっぱり読んでもらえなかった。」
女の子は心底悲しそうな顔をしてそう言った。
『ど、どうして....読んでもらえてないって、わかったの?』
「屋上に来てって書いたの、二回とも。けど、来てくれなかった。男友達にお願いして、探ってみたんだけど、藤真くんの意思で来なかったんじゃなくて....そもそも読んでなかったみたいなの。」
屋上に呼ばれたことすら知らないまま、藤真は平気でその日の昼休み、花形くんと食堂でずっとしゃべり続けていたらしい。手紙こそ「ありがとう」と笑顔で受け取ってくれたのに、と女の子は泣きそうだった。
「フラれる覚悟はしてあるの。どうしても、本人に伝えて本人の口から断られたい。」
そう言うと「みょうじさん、私、楠本です。藤真くんに絶対読んでもらってください!」と私に強引に手紙を押しつけて走って去っていってしまった。
『あ.......行っちゃった........困ったなぁ.........』
けれども同じ女として、なんだか任務を与えられたような気がして。恋愛経験のない私が何を言ってるのか自分でもアホくさいけれど、さすがに読みもしないっていうのは人間としてよくない気がする。せめて本人から振られたい、気持ちだけでも伝えたい、だなんてとっても純粋な乙女心ではないか。それを邪険に扱う藤真はそれを見る限りでは恋愛においてはあまりいい人ではない気がする。
『....お邪魔します。』
「どうぞどうぞ。なまえちゃんがうちに来るの久しぶりねぇ。」
藤真家のインターホンを押すか押さないかで悩んでいた時、塾帰りだった藤真の妹に「なまえちゃん?どうしたの?」と捕まってしまった。手に持っていたラブレターを隠し、共に家へと入れてもらう。出迎えてくれた藤真のお母さんは「紅茶でもどう?好きよね?」とリビングへと入っていった。
『あの....藤真に、あっ....け、健司くんに用があって......』
藤真家で「藤真」と呼ぶのはやっぱりおかしくて、だってみんな藤真じゃん。そう思って何年かぶりに発した「健司」という名前におばさんは「健ちゃんなら上にいるわよ。終わったら紅茶でも飲んでってね。」と笑って言ってくれた。
階段を上り部屋をノックしてみる。久しぶりに来た藤真家になんだか新鮮みを感じてしまう。藤真は毎日私の部屋に来るけれど、私がここへ最後に足を踏み入れたのは一体いつだっただろうか記憶にない。
「....はい。」
『藤真.....入っても、いい?』
部活終わりの彼は相当疲れているのか「はい」に覇気はなくて。遠慮気味にそう聞けば「えっ!」と大きな声が聞こえた。
「.....なまえ?」
『うん、入ってもいい?』
「い、いいけど.......」
中から驚いたような声が聞こえて、さすがに遅くに悪かったかなぁ....と思いながらもそっと扉を開いた。扉を開けてすぐの足元にはバスケットボールが転がっていて、藤真はそれを「ごめん」と言いながら拾ってくれた。
「どうしたんだ?急に......」
バスケットボール片手に再び勉強机へと戻った藤真は椅子に座った。机の上には参考書が開いてあって何か勉強中だったらしい。
『ごめんね、その....大した用事ではないんだけど....』
「うん、何かあった?」
藤真の前に立ち言い出すのに勇気がいる私を、椅子に座った藤真が見上げるようにして「どうした?なんでも言えよ?」と目を合わせてくる。
『う、うん......あのね.........、』
「おう......」
ふぅ、と息を吐いて意を決して藤真の前に一通の手紙を差し出した。自分が告白するわけでもないっていうのに、久しぶりに訪問したせいかやたらと緊張してしまう。
『これを....受け取ってくれる....?』
「えっ............」
藤真は心底驚いたように目を見開いて便箋へと手を伸ばした。しかしそれを受け取るなり表面に書かれた字を読んで「....なんだこれ」と嫌そうに言い捨てた。
『あのね、楠本さんってわかる?目が大きくて髪が長くてふわふわ巻いてて、それでスカート短めで脚長くて細くて.....』
説明を始めた私をよそに藤真は便箋を見つめたまま動かない。
『幼馴染だってなんだかバレちゃって....それで、藤真に渡してって言われたの。これで三回目なんだって。』
説教するつもりなんて毛頭ないけれど、さすがに読まずに捨てるなんてことは人間としてよくないと思うから......
『前渡した時、藤真が読んでくれなかったって悲しそうに言ってたよ.....だから、今度はちゃんと.....』
「読んであげて」と、そう言い切る前に、ビリビリビリと音がした。驚いて目を見開く私の目の前でその可愛い一通の便箋は、あろうことか藤真の手によって真っ二つに引き裂かれ、そのまま藤真の利き手である左手でグシャグシャッと音を立てて丸められ、近くにあったゴミ箱に思いっきり上から振りかぶって投げ捨てられたのだった。
バンッ、と激しい音を立ててゴミ箱へと入ったその手紙は、結局今回も読まれることなく、そして真っ二つに破られる形で藤真に捨てられてしまったのだった。
『...なっ、なんで...?!なんでそんなこと....っ!』
「......いらねぇんだよ。」
あまりにもひどいその行動に私があの子の代わりに声をあげれば、藤真はボソッとそう言い捨てた。
『いらなくても....せめて読んであげてよ....。貰い慣れてるのかもしれないし、いちいち邪魔なのかもしれないけど....っ、人の真心を、そんな風に....』
私の言葉なんて藤真には届かなかった。
「....いらねぇって言ってんだよ、」
そう言うとクルッと椅子を反転させて勉強机へと向いた藤真。「....出て行けよ」と呟いてシャープペンを片手に再び勉強を再開し始めた。
『....ひどいよ、藤真....』
「....もういいだろ、用が済んだんなら出て行け....」
『人の気持ちをそんな風に受け止めるなんて....ひどいよ、最低にも程があるよ....』
「俺勉強中なの見てわかんねーかなぁ.....」
あまりにも無神経だと思った。私にとってはただの幼馴染だけれど、あの子にとってはきっと藤真はスターで。自分が精一杯の思いを込めて書いた手紙を、あろうことか破られて捨てられたと思うと、私はあの子の代わりになんとか藤真に言い聞かせるしかないと思ったのだ。
『....わかってあげてよ、好きなんだって、藤真のこと。好きな人にそんな態度されたら可哀想だよ。断るにしても.....』
言い途中の私の言葉を遮るようにして藤真は「それ...」と言った。
「それ....お前が言うのかよ。」
そう言うと藤真はあからさまに「ハァ」とため息をついた。ガシガシと乱暴に頭をかいて椅子を反転させて私を睨んでくる。
『どういう意味...?恋愛経験ないお前に言われたくないってこと?』
「ちげぇよ....好きな人にそんな態度されたら可哀想って....どの口が言うんだよって、そう言ってんだよ。」
サッパリ理解できない私の目の前に藤真は立ち上がり今度は上から見下ろしてくる。その顔は完全に怒っていて私は一歩後ろへと後退りした。
「....そうやって、知らねぇ相手のことばっか庇うけど....俺だって好きな女に他の女からのラブレター渡されたんだよ。」
『....は?』
「そんなこと言うんなら、お前だってわかってくれよ。」
藤真の目は本気だった。ジッと見下ろしてくるその目には怒りが多く含まれているけれど、真剣さも伝わってくるくらい熱くて。
「手紙読まねぇのは読みたくねぇ相手からだからだよ。」
『なにそれ.....』
「お前からもらえるんならいくらでも読むし、お前からのなら破って捨てたりしない。」
一歩、また一歩と後ろへ下がる私を追いかけるようにして下がるたびに藤真は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「好きじゃなきゃ、毎朝起こしに行かねぇしお前の言うことだって素直に聞いたりなんかしねぇんだよ。」
『藤真....?』
「....お前こそ分かれよ。俺がなまえのこと好きだってことくらい。」
他の女からの手紙なんて、お前の手から貰いたくねぇんだよ。
藤真はそう言うと部屋を出て行った。
『.......なに、いまの........』
泣きそうな顔で部屋を出て行った。
『....ふじま......?』
バタンと藤真家の玄関から扉の閉まる音がして、数秒後に「健ちゃんどこ行くの?」と彼のお母さんの声が響いた。
ある日突然当たり前が当たり前じゃなくなった(....なまえちゃん?どうしたの?お兄ちゃんと喧嘩でもした?)
(....ううん、藤真コンビニ行くってさ....)