My Hero (赤木)
お昼休憩となったオフィスを出て財布片手にランチ探しを始める私。横浜でOLになり三年目の春、桜もそろそろ散り始めて、毎年のことながらどうしてこんなに儚くて、こんなにも綺麗なのだろうって、いつもそんなことばっかり思ってるんだから笑えてくる。人って結局簡単には変われやしない。
「.....なまえ。」
だからこそ、今日もまた不意打ちにどこからか名前を呼ばれて、「あぁ、今日もまた...」と薄気味悪さに寒気がする。
『..........』
「今日は何食べんの?奢ってあげようか?」
『..........』
毎日毎日暇なんだなぁ.....代わって欲しいくらいだよ.....だなんて今でこそそんな余裕を持てるくらいにはなったのだけれど、何を隠そう就職を機に別れを告げた元カレは、こうやって今日もまたストーカーという追っかけをして私の前に現れるわけだ。完全無視を決め込み、さすがに夜に現れると怖いから帰りは定時になると女の同僚と共に先陣を切って駅へダッシュするわけだけども。白昼堂々襲われる心配は無さそうで、「奢るよ、奢らせてよ」としつこさ極まりない元カレを空気のように扱う。
モラハラという言葉ができてから、まさに「これだ」と思わずにいられなくて。束縛がひどいとかしつこいとか融通が効かないとかそういう別れる理由になりそうな全てが「モラハラ」で片付きハラスメントとして認められるのだから随分と生きやすい世の中になったとは思う。
「....なまえ、ねぇ答えてよ。」
完全無視を決め込む私を普段なら「仕事頑張ってね」なんて会社の前まで見届けるだけに終わる元カレが、デパ地下のお弁当を片手に会社までの道のりを歩く私に向かってそう投げかけてきた。なんだかいつもと様子が違うような気がして身震いがするもののまさかこんな明るくて人通りも多い時間帯に襲われるなんてことは.......会社もすぐ近くだし。
『.......っ?!』
早歩きになった私の腕を、元カレは思いっきり掴むと、わけがわからないままそのまま路地裏へと引きずり込まれてしまった。
「......なぁ、無視すんのやめねー?」
『......やめ、て......!』
壁際に追い込まれ「たまんねーなぁ、その顔!」と大声をあげられる。怖くて必死に目を合わせないようそらし、ポケットに入っている携帯でなんとか誰かに連絡を取ろうと試みるものの「早く俺んとこ戻ってこいよ」という大きな声に圧倒されなかなか思うように手が動かない。
「....悪い子だなぁ、なまえは。」
俺を放ったらかしにして。
そう聞こえた瞬間、私の頬には激しい音と共に痛みが走った。びっくりして何が起こったのかわからなくて元カレを見上げれば、奴は嬉しそうにニコニコ笑いながら私を見下ろし「綺麗な頬が赤くなっちゃったね」なんてほざいている。
ビンタ......されたのか......
今まで手をあげられたこともないわけではなかったけど、それは付き合っていた当時のことであって、それもごくたまにであり、白昼堂々こんなことが起こるとは思っていなかった。いよいよこの男の存在に命の危機すら感じ始めた私が「助けて!」と震えた声をあげれば「黙れよ」と掌で口を塞がれてしまう。
『.....!!』
苦しい....怖い....死ぬのかな....。こんなことなら警察にちゃんと相談しておくんだった。警察が介入することで相手を逆上させることに繋がりそうでランチタイムに後を追われるくらいどうってことないやって。お弁当を持参して外に出歩かない日だって多いし、そのうち諦めるだろうって...
あぁ、もう....こんな最期は嫌だよ....
ジワジワと目に涙が溜まってきた時だった。
「....何してやがる、こんなところで!」
低い声が辺りに響き、口を塞がれたまま視線を上へとあげた瞬間、元カレはものすごい音と共に私の目の前から消えていった。数メートル先に飛ばされ「誰だお前!」と現れた救世主に向かって口を開く。
「....警察には連絡してある。貴様の行動は全て把握済みだ。」
あまりに低い声が恐ろしくて、それは私のみならず元カレも同じように感じたらしく慌ててその場を逃げていった。戻ってきた救世主と目が合い、ようやくことの次第を理解し始めた私の脳内が彼に感謝の気持ちを伝えようと働き始める中、見知った顔に私は声を上げてしまったのだ。
『....あっ......赤木......さん.......?!』
私の問いに赤木さんは「あぁ」と一言だけ返事をして私の目の前にしゃがみ込んだ。座り込んで立ち上がれない私と目線を合わせると「血が出てる」と唇を自前の綺麗なハンカチで拭ってくれる。
『あ、平気です....!汚してしまうし.....』
「馬鹿者。何を言う。」
赤木さんは会社の先輩であり上司でもある優秀な人でまさかそんな人のハンカチを私の血で染めるわけにいかなくて、慌てて出た私の手は彼にパチッと払われてしまった。
「....みょうじ、」
赤木さんは私を立ち上がらせると服を遠慮気味に触って整えてくれる。背中についた汚れを払ってくれた時、その見た目から「怖い」イメージばかりが付き纏っていた彼のやけに温かいその手に涙が出そうになった。
「....帰りは俺が送る。朝も迎えに行く。」
『えっ......!』
「頼む。そうさせてくれ。自分の為でもあるんだ。」
自分の為....?と考え始める私の手をとって「戻ろう。昼飯まだなんだろ?」と歩き出す赤木さん。この人が来なかったら私、どうなってたんだろう...だなんて考えるだけで涙が溢れそうだ。
『.....来てくれて、ありがとうございました.....!』
私がそう伝えると赤木さんは「いや、悪かった」と謝ってくる。
「遅すぎた。痛い目に遭わせて、ごめん。」
『平気です。もし赤木さんが助けに来てくれなかったら....』
「大丈夫。もうこんな目には遭わせない。」
それからというもの、赤木さんは毎朝私のマンションへと迎えに来て、帰りは赤木さんの帰宅時間に合わせて送ってもらうことが日課となった。お昼は絶対に弁当を持参しろと命令が出て、あの日以来ランチ探しにオフィスを出ることもなくなった。社内では特に話しかけられないけれど、赤木さんは思っていたよりずっと魅力的で何より頼りになる男なのだ。怖いと思っていたイメージが覆り、存在感が凄くて、それだけで安心してしまう。少し前から考えると不思議だ。まさかあの赤木さんと私が行き帰りを共にするなんて。
「みょうじ、待たせたな。帰ろう。」
私を呼びに部署へと来てくれる。歩くのが遅いと歩幅を合わせてくれて、自然と道路側を歩いてくれる。「今日はどうだった?部長に怒られてたな」なんて社内では興味なさそうなふりしてしっかりと見られている。「あまり深く考えすぎるな。部長はわりと気難しい人なんだ」とアドバイス付きだ。
『.....あの、』
「どうした?」
『.....好きです、っ.....!』
もはやそれは当然のことであった。守ってもらった上に上司というだけの存在であった人がこんなにも身近になったのだ。むしろ好きにならない方がおかしい。私はついに耐えきれず、まさか今ここで言うつもりもなかったことを口にしてしまったのだけれど、それでも不思議と後悔はしなかった。
「好きというのは....、?」
『赤木さんのこと、好きです.....。』
これ程までにストレートに思いを打ち明けられる人間だったのかと自分でも驚くけれど、赤木さんは少しだけ目を見開いて固まった後「じゃあ....」と口を開く。
「.....俺も同じだから、その.....つ、付き合うか.....」
いつもの頼れる男はどこへやら、顔を真っ赤にしてそう言うものだからあまりに可愛くて、「よろしくお願いします」と腕にしがみ付いてしまった。赤木さんは動揺した様子を全面に出しながら、「あぁ....よろしく...」と返事をくれる。
「あー....あれだな....なんていうか、その....」
『?どうしました?』
「これからも守るよ....嫌じゃなければ、この先永遠に....」
赤木さんの遠慮気味に発したその言葉に私の目にはジワジワと涙が溜まるのであった。
それ以来、私が怖い目に遭うことはなかった。ストーカーも警察が介入したことと赤木さんという彼氏が出来たことで一切私の目の前に姿を現さなくなって。
「....なぁ、ひとつ提案がある。」
『はい、なんでしょう?』
とある帰り道、赤木さんは神妙な面持ちでそう私に投げかけた。
「迎えに行き、送って行く。もはや日常のようなもので、不満があるわけではない。ただ、もっと楽にできる方法がある。」
『楽に.....赤木さんの負担が減るなら......知りたいです!』
「共に暮らせばいい。」
あまりに簡潔なその答えに「へ?」と素っ頓狂な声が出てしまった。
「朝出る時も夜帰る時も、同じ家から。時間も短縮できる上に離れて心細くなる心配もない。」
どうだ?と問われ私は彼にしがみ付いた。
「わっ....、外だぞ.....?」
『そうするに決まってるじゃないですか....!』
永遠に君を守る(こんなに広いとこ契約して大丈夫でしょうか....)
(家賃は俺が出す。余計な心配するな。)
(折半にしましょう?居心地が悪くなりそうです...)
(金はいらんが居心地悪くさせたくはない.....)
(....どうする、俺.......)