人形姫・13
「失礼します」
カカシはコンコンとノックをし、返事を待たずに扉を開けた。名前の手を引いたまま火影室に入ってくるカカシに対して、綱手はノックの意味がないだろと、さして驚く様子もなく言い放つ。
「綱手様、お時間宜しいでしょうか」
ああ、分かっているよ。そう綱手は答え、シズネは扉を閉めて鍵を掛けた。
「名前の話から聞こう」
「は、はい」
名前は1歩、もう1歩と綱手の前に向かい拳を握る。
「前の世界へ、私を戻して下さい」
「……そうか」
「名前さん……」
綱手は背もたれに預けていた体を起こし、名前を見詰める。
「名前、決意は固いのか?」
「……はい」
カカシは吐き出せない溜息を胸の中でじっと堪える。名前の覚悟は想像以上に固く、カカシはもう口出しできるものではないと感じていた。
この覚悟に至るまでの彼女の苦悩を思うと、とても帰らないでとは言えない。
もし、大蛇丸の手に渡り人体実験されてしまったら。もし、暁の手に渡り人柱力にされてしまったら……想像だけで身震いする。
「カカシ、お前はどうしたいんだ」
「俺は……」
覚悟を決めた名前の背中。綱手に名前は帰らなくて良いと言ってもらおうと思っていたのに。それは酷く身勝手なことだ。
「俺は、名前が幸せになれる道に行って欲しい」
「カカシ……」
「それは、どんな道なんだ?」
綱手の問いかけに、カカシは言葉を詰まらせる。
「今の俺は……、今の俺は、名前を全てから守ることは出来ない……」
「…………」
「だから、名前が安心して戻って来られるようになるまでこの里を守る。それまでは、悲しいけれど……」
物言わぬ名前の片目から涙が零れた。
ここで俺が守ると言えたら何と良かったか。きっとナルトなら、俺がぜってー守る!そう言ったに違いない。情けない、サスケも、名前も、そしてかつての親友も、誰も守れやしない。
名前から落胆の色が滲む。
「実はな、上層部には名前を出来るだけ早く帰せと言われている」
「それは」
「暁も大蛇丸も動きは見当たらないしな。急ぐ必要もない。名前が突然消えたら他の者達も混乱する。それに、あの術は特殊だ。少しタイミングを見よう」
「分かり……ました」
ああ、本当に私は木ノ葉にもう居られないんだ。
昨日、カカシの胸で枯れるまで泣いたはずなのにまた涙が出る。
木ノ葉に来てから、何度涙を流したんだろう。悲しくて、苦しくて、寂しくて、でも、この里ではその度に誰かが涙を拭いてくれた。転んで擦りむいても、誰かが手を差し伸べて立たせてくれた。怪我をしたら誰かが手当をしてくれた。それが嬉しくて幸せで堪らなかった。
その感謝の気持ちだけは伝えたい。
「綱手様、ありがとうございました」
「名前、私も感謝してるよ。お前に出会えて良かった」
ふわり、綱手の胸に抱かれる。
初めて包まれる綱手の胸は、どこまでも広くて暖かくて、どうしてだろう懐かしい。
火影室から出て、名前とカカシは一緒に月見をした木に登った。あの時のようにカカシに後ろから抱きしめられながら、今度は太陽に照らされて輝く里を眺める。
「突然出てきて、しかも厄介な存在で申し訳なくて仕方なかった。でも、里の皆が優しくして本当に嬉しかったな」
「それは、名前が心を込めてみんなの事を大事にしたからだよ」
「それは、だって……」
鼻の奥がツンと痛くなる。名前は悟られぬように小さく鼻を啜った。
「ん?」
優しいカカシの声。
「だって、木ノ葉の皆が好きだから」
カカシの腕に強く抱き込まれる。ほんの微かな汗とカカシの匂いを、密かに胸いっぱいに吸いこむ。
「名前の大好きな里を必ず守っていくよ」
「ありがとう、カカシ」
即日、名前とカカシに綱手から連絡が入る。
今日の新月が満月に変わる日、その日の太陽が沈むまでに帰るように言い渡される。
そして、同時に渡されたのは術式の組み込まれた巻物。
2人に残された時間が、残り僅かな砂時計のように流れ始めた。
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