シュガー・シュネー | ナノ

「クルーシェル」
「ディス! ウォタードヴェイル!」
「ヴェモレ、シンザテイサァ」
「ぐあぁっ、――っキュア!」

 閃光が飛び交い、マナが溢れる。城内はもはや原型などとどめておらず、かろうじて“彼女”の周辺だけが無事のようだった。

「くそっ、魔王はマナの強制回復なしでまだいけるのかよっ!?」
「勇者だって覚醒状態は似たようなものじゃない! きっと何かからくりがあるわ!」

 からくり、ねぇ。
 勇者たちが驚いている声が聞き取れる。俺はアイテムによってマナの回復をすることなく、上級魔法や禁術を連発していた。上級と称されるだけあって、マナの使用量が普通のものより格段に増大するため、コントロールは複雑となり、魔法理論の構築は難しくなる。これらを戦っている数時間、緊張状態にある中で休むことなくやってのけているのだから、驚かれるのも無理はない。
 だが、当然だろう。俺が化け物と称され、家族をも犠牲にせざるをえなかったのは、この底無しのマナが原因なのだから。普通、通常値を超えすぎるマナは生命力の喪失を早めるため、制御装置をつけさせられることが多い。今回の勇者なんかがその例だ。だから、勇者は必殺技を使う時だけその制御を外す。しかし、俺は違う。どんどん体がマナを構築し直していくため、生命力が失われる心配は不要なのだ。

 この驚異の力が恐れられるのも仕方がないと言えば仕方がなかっただろう。俺が誕生した瞬間、マナが爆発的に世界を覆い尽くし、歴史上ほぼ初めてとも言える「マナ酔い」を多くが体験したのだから。

「っまさか魔王は、“マナに愛された赤ん坊”なんじゃ!?」
「はぁ!? “マナに愛された赤ん坊”は、そのマナをコントロールできずに死んだはずだろ!?」

 ふっ、と思わず笑みが零れた。
 そのことに関して、もう思うことも言うべきこともなにもない。

「どうだっていいだろう、そんなことは」

 おしゃべりの好きな勇者たちだな。
 皮肉めいた口調で勇者たちにそう言えば、ふと視界に入ってきた彼女が不安そうにこちらを見ているのが分かった。大丈夫、俺はそんなことで傷ついたりしないよ。泣かないで。その意味を込めて小さく笑ったら、彼女の顔がみるみるうちに歪んで、さっきよりももっと泣きそうな顔になってしまったから、戦闘中であるにも関わらず、どうしたらいいか分からなくなってしまった。
 いつものように優しく微笑んだのに、どうして彼女は泣きそうになったのだろう。ああ、あの子を笑わせてあげたいのに。――そのためには、この戦闘を終わらせるしかない。とは言え、彼らもここまでやってきた猛者。そう簡単にはやられてなどくれない。なにより、勇者ご一行8人から一斉に攻撃を仕掛けられては、こちらの攻撃を上手く当てられなかった。

「1対8は“ずるい”ね、勇者。リンチじゃないか」
「悪を叩くのになりふり構っちゃいられないんだよっ!」
「俺たちにとっての悪は、お前たちなのになぁ」
「ほざけ!」

 瞬間、奴らの合体魔法奥義が完成した。嵐のような風が吹き荒れ、奴らの周囲を覆っている。見たこともないような巨大な魔法陣が、奴らを囲うようにして構成される。まずい――そう思って、彼女の方を振り向く。マナの集合量からして威力は絶大。俺がただでは済まないということ、すなわち、彼女を守るための守護呪文さえもがなくなってしまうということだ。
 ――間に合え。間に合え!!!!!
 「アクセル(速めよ)!」唱えながら、彼女の方に向かって行く。続いて保護呪文に強化呪文を掛け合わせ、拒絶呪文を彼女の前に張る。俺の持っているマナの量を遥かに凌ぐその合体魔法奥義は、きっと俺では一切の太刀打ちができないだろう。つまり、俺の魔法では守ることも跳ね返すこともできない。そう、悟ってしまった――けれど、彼女だけはなんとしてでも助けたい。

「くそ、咲!」

 手を伸ばして、彼女に向かう。こんなにも声を荒げたのは初めてだ、と思った。ほら、だから、彼女の顔が悲しみに満ちている。ああ、泣かせたくなんかないのに。伸ばした指に、伸ばされた彼女の指が触れる。「千昭くん」俺の名を呼ぶ小さな声を聞いた瞬間、閃光が周囲を突き抜け、言葉では表すことのできない大きな衝撃を浴びた。

「っ、かっ……!」

 口から血を吐く。
 マナはどんどん回復してくれているが、体が所有できるマナ自体は無限ではない。立っていることもままならず、そのまま倒れ込んでしまった。回復呪文を唱えたかったが、口が満足に動かせず、無言呪文をと思って理論構築を行うも、上手く頭が回らず意識が飛びそうでできそうにない。感覚自体が機能しておらず、聴覚も視覚も痛覚も、とにかく麻痺しているようだ。
 いま、なにが、おこったんだっけ。
 おぼろげな意識のまま、状況を把握しようとする。しかし、何も考えることができず、自身が瀕死状態にあるのだということを悟った。――瞬間、彼女を抱きしめているのだという感触が全身を駆け巡る。ああ、彼女が自分の腕の中にいるのだ。「、咲」彼女の名前を呼ぶときだけは、瀕死状態でもしっかりとした口調で言えるのだな。思えば、優しい気持ちになる。

「咲……」

 やさしく、呼んで。

「咲」

 甘く囁いて。

「……咲?」

 なにも、かえってこない。

「咲。……咲、咲? おい、返事をしろ、咲」

 ハッと、自分の意識が戻ってくるのがわかった。勇者たちが、なんともいえない表情でこちらを見ている。僧侶が、絶望を浮かべた顔で彼女の姿に視線を向けていた。けれど、そんなことはもうどうでもよかった。ああ、なんということだ。瀕死状態がなんだ、そんなことはどうでもいい。今の俺に必要なのは、彼女だ。

「咲、おい、咲」

 言えど、言えど、返ってはこない、彼女の、声。

「咲」
千昭くん。

「咲」
千昭くん。

「咲……!」
千昭くん。

 呼べば返してくれた彼女のソプラノは、盗まれたように彼女からは出てこない。閉じられた目、血だらけの体、折れたと分かる骨、原型のとどめていない、四肢――悟った瞬間、頭に血が上ったようにカッとなる。と同時に、マナが体中から溢れるように飛び出した。

「っ、ぐっ!?」

 勇者たちが息をとられたように、声を出した。けれど、そんなこともまた、どうでもいい。

「―――――――――」

 ああ、世界はやはり、俺を抱きしめてはくれない。

 ほぼ、無意識だった。脳に湧いて出てくるマナを本能のままに構築していく。俺と彼女を包み込んで展開されていく魔法陣は、見たこともないほど巨大で、まるで世界と切り離されてしまったかのように思えた。けれど、そんなことにまで気は回らない。俺はただ、脳内を駆け巡る理論を流れるままに組み立てていくだけだ。

『な、なんなの、この魔法は……!?』
『魔王、いったいなにを!?』

 勇者たちの心の声が聞こえる。
 そうだな、いったいこれは、何なのだろうな。分からないけれど、俺たちを包み込むマナは巨大で恐ろしく、それでいてとてもやさしい。

「……咲」

 彼女に渡したブレスレットが、彼女の傍で粉々になっている。発動した様子が感じ取れることから、きちんと機能はしたのだろう。そのブレスレットが、光を帯びて独自の魔法陣を展開し、俺の脳内にある魔法理論と関連していく。彼女の光のマナがあふれ出るようにブレスレットを覆い尽くし、対応するように俺の闇のマナが俺たち2人を包み込む。

 そうして、一際強く光が弾け飛んだと思った瞬間――。

千昭くんのくれたブレスレット、やさしくてあたたかくて安心するね!
ほんとうに布団がふっとんだーっ!
千昭くんはやさしいけど、とてもいじわるねっ
逃げないよ!
わたし泳げないんだよお!
かけっこなら負けないよ! ……負けた!
千昭くんって、呼んでいいですか?
こ、殺したく、ない
千昭くんのほうが、もっともっとずるい
千昭くんのばかっ!
千昭くんがいればなにもいらないよ
きれい……
千昭くん、千昭くん!

 懐かしい記憶が、映像と共に流れ込んでくる。

『ねぇ、千昭くん』

 表情は、わからない。だけど、とても不安そうな声をしているから、いったいどうしたのかとこっちが不安になった。いつも笑っていてくれる彼女だから、どうしてそんなに不安そうにしているのか心配せざるをえなかった。俺は、お前が何を言っても怒ったりはしないよ。やさしく微笑めば、「知ってる」と返される。そして、「知ってるから、だから、」と涙目の顔を上げて見せた。どきりと、する。

『わたし、悪い子になったの』
『何を言ってるんだ。お前は悪い子ではないだろう』

 悪い子っていうのは、俺みたいな奴のことを言うんだよ。くすくすと笑いながらそうやって言えば、彼女は目をぎゅっとつむって首を横に振る。

『ううん、やっぱりわたし、悪い子なの』

 だって、だってね、千昭くん。

『千昭くんのこと、すきですきで、たまらないの』

 あなたはこんなに、ずるくてひどくて、こわいひとなのに。

『すきなの』

「Khronos」

 意識が、飛んだ。

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