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「ぬるま湯のような関係に飽きたんだよね」

 さらさらの赤茶色を靡かせ、耳と首元にアクセサリー。眉目秀麗の象徴とも言えるその男は、わたしに向かって突然そんなことを言い放った。その言葉を発した声は、いつもよりどこか強かったように思う。そして、彼の言いたいことは思っていたよりすんなりと自分の中に入ってきた。
 それは刺激を求める「人間」として、当然のことであるとも言えた。ぬるま湯のような関係――曖昧で漠然としていて、それでいて傷つかなくて良いそれ。確かに都合の良かった関係。気兼ねなく何も考えず、必要な時に必要なぶん恋人らしく過ごす便利さは、それでも居心地が良かったのだと思う。

 そんな何の刺激のない、ただ機械的に当然のように傍にいていなくなる距離感は、いつしか崩れるだろうということは分かっていたことだった。なぜならわたし達は幼馴染でもなんでもないのだから。
 ただ気が合って話しやすいから、まるで恋人同士であるかのように2人の家を行き来していた。中学生かというような馬鹿騒ぎもしたし、逆に大人らしく洒落たバーでゆったりお酒を楽しんだりもした。

 そこにあるのは一体なんなのか。そんなものを明確にしない「ぬるま湯」のような関係に、わたしはどっぷりと浸かっていたのだ。きっと、何も考えないで良い温さがあったから。
 恋人同士のようなのに、そうではない。だからと言って友達と言うには、あまりに淡白でいて濃厚。互いにこのような関係性には一切触れないという形で、惹かれあっているのは確かなのに全てを闇に隠していた。

 やっぱりそう、傷つくのが怖いから。

「……飽きたって」

 ぽつん、震える唇が空気を震わせる。思ったより情けなく発された声。自分の中にあった漠然とした焦燥感のようなものに、拍車がかかってしまったような気がした。事態は最悪の方向へ向かっている。すぐに分かった。
 どっちつかずの状態。飽きてしまうのも無理はない。恋人でないから刺激なんて無いし、友人というにはドライなため離れるには簡単な距離。飽きてしまっても問題にはならない。はっきり言えた。

 けれど――。けれど、この胸の内を焦がす感情は何だろう。まるで大切な何かが指の隙間から零れ落ちていくかのような。それを必死に繋ぎ止めたいと思うような。それが上手くいかないことを分かっているような。そんな、感情。

 愛しているわけではない。彼と一緒でなくともわたしは生きていけるし、身体を重ねるだけの関係で満足していた。セックス自体は気持ちいいから好きだし、彼とのそれは彼のテクニックにより殊更極上だった。
 でも、ただそれだけのこと。所詮体だけの関係だし、それ以上のものは求めていない。たまに恋人らしいデートをしてみたけれど、だからと言ってそこに本当の「恋人」という関係が存在したかと言えば否である。

 だから、納得しなければならない。ぬるま湯のような状態に飽きた彼と、これで終わりなのだということを。わたしも彼とは「そうである」ことを前提に付き合っていたのだから、泣き喚くなんてしないのだ。

「それなら、仕方ないね」

 都合のいい女は最後まで都合が良くなければならない。恋愛遊戯が本気に成り替わるなんて定石。でも、そんなB級ドラマが繰り広げられて成功するのは、所詮作りものの中だけなのだ。だから、仕方ないなんて言ってみせる。そう、装ってみせる。
 彼に背を向けた状態で小さく笑った。彼はベッドの上で、枕元の壁に背もたれている。わたしはベッドの真ん中あたりに腰かける状態だ。だからきっと、彼にはわたしの表情なんてわからないだろう。それで良い。互いにきっと、その方が。

 情事後にこのような話をするのは初めて――いや、話をすること自体が初めてだった。終わったらわたしはいつも、すぐにシャワーを浴びて颯爽と部屋を出ていく。お金なんて置かない。別に援助交際ではないから。
 素早く部屋から出るのは相手の表情が見えなくて良いことは勿論、何かから逃れるものであったことも否定は出来ない。一緒にいて情が移ることを恐れたのかもしれない。それでも、自分にとっても彼にとっても、きっと得策だった。

 だって、恋愛感情など煩わしいだけだ。
 エゴとエゴのぶつかり合い、錯覚を起こさせる強い魔力、本能から揺さぶる激情――人間を1番殺している、殺人犯。コイツの本質は残酷で傲慢でしかない。人間の愚かさを象徴している、醜くてどうしようもない厄介者。だから、わたしは「コイツ」が大っ嫌いだ。
 人の誰しもが「本能」の赴くままに恋愛感情なるものを経験するのであれば、それはある意味で運命に近く尊ばれるべき存在であるのかもしれない。恋情とは狂気。それは盲目にさせる魔力も、生ずる激しい感情も、コイツに関わることの全てが自他の世界を一瞬にして形成し破壊することが出来るから。

 人間の生殖機能。コイツの働きは時に恐ろしい。そして、生殖機能は本能を揺さぶる。さらに、恋愛が本能に1番近いものであり、そうであるからしてここまでの狂気を備えているのだろう。ただの「感情」たるものより本能的。と言うのも、生殖機能が関係しているから。
 それでも恋愛の小賢しいところは、「相手」を選ぶことだ。
 誰でも良いわけではない。どういうわけか恋をする相手というものを選ぶ。きっと人間は恋愛における選択が何よりも残酷で運命的で魅力的なのだと思う。どうしてこのひとなのか――説明できないのだからまた面白い。本能が叫ぶ、なんて小説のような台詞もなるほどあてはまる。

 恋愛感情は狡猾で利己的で、それでいて純粋で崇高で愚かで残酷だ。きらい、だいっきらいだ。



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