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今日の仁王の件、そして俺の件で思った。
『彼女』は、油断ならない。
「なるほどなー……だから『彼女』は直接返しに来なかったわけか」
夕焼けというにはまだ朱みが足りない空の下、俺とジャッカルの二人で「今日の『彼女』からのメッセージ話」に花を咲かせつつ、金井総合病院への道のりを歩んでいた。
今日は定期検診の日だ。
ジャッカルを誘ったのは、別に一人で行けないからではない。
いつも部活がある時に一人で行っているものだから、たまの休みくらい誰かを連れ立ちたかったんだ。
「まあ……怒ってるって勘違いする気持ちも、分かるけどよ」
「へえ、それはどういう意味だい、ジャッカル?」
にっこりと微笑みながら問いかけてみると、ジャッカルは少しビクッとしながら「いっ、いや……すまねえ……」と言った。
彼は真田に次いでからかいやすい存在だと思うね。
「ジャッカルは『彼女』に心当たりはあるかい?」
そんなジャッカルにそんな質問してみると、彼はゆるゆると首を横に振った。
「あったらとっくに柳辺りに問いただされてるだろ」
そっか、まあその通りか。
ジャッカルは優しい(っていうかお人好しだ)から……仮に知っていたとしても、『彼女』のことを心配し、自分から口にすることはないんだろう。
「つーか、柳生が盗んでるとこ見たって言ってなかったか?」
「いや、正確には盗みに入られた直後で、後ろ姿しか見なかったみたいだよ」
「へー」
会話を続けながらもあまり興味のなさそうなジャッカルを見て、思わず苦笑が零れる。
彼は事件とは無関係だからね……もしかしたら、自分だけ除け者にされたみたいで不貞腐れてるのかも。
そうこうしているうちに、いつのまにか病院の白い壁が見えていた。
やっぱり誰かと会話しながらだと、普段より早く感じる。
ジャッカルはこの後予定があるらしいから、病院の前でお別れだ。
もう少し会話を楽しみたかったのにな、残念。
「……ん、あ?」
もうすぐで病院の入口に着くぞというところで、ジャッカルは何かに気づいたように小さく声を出した。
「どうしたんだい?」
「あ、いや、知り合いがいて……」
ジャッカルが指を差す方に目を向けると、立海の女子制服を着た少女が一人、病院を出て行くところだった。
「へえ、知り合いという名のジャッカルの彼女かい?」
「はっ?……い、いや、ちち違えよっ!」
顔を赤くさせて否定するジャッカル。この反応では、逆に肯定だと受け取られる可能性大だと思うけれど。
「ただのクラスメートだよ。なんか、昼休み辺りから気分悪そうにしてたからよ……」
「ふうん?診察受けに来たのかな」
「かもな……」
…………
そんな会話を最後に、俺はジャッカルと別れた。
ウィンと開く病院の自動ドアをくぐり、受付へと向かう。
「幸村です、定期検診に来ました」
「はい、では診察券の提示をお願い致します」
いつも通りの検診受付、いつも通りの対応を済ませる。
……けれどこの後、いつもとは違う事が起きた。
「あ、そうだわ、幸村君」
「はい?」
通常、受付後はそのまま診察室に向かうか、混んでいる場合は待合室で待機なのだけれど、今日は珍しいことに受付のナースが俺に話し掛けてきた。
「さっきね、コレを預かったんだけど」
「え、……」
そう言って彼女が俺に差し出したものは。
一冊の……本?
「幸村君のよね?入院中もよく読んでいたわよね」
言われて思い出した。
フランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌ著、
“ヴェルレーヌ詩集”
だった。
コレは、俺が入院中にハマって読んでいたもので、退院後も愛読し、つい先日失くした本だった。
確認のため、パラパラ捲ってみる。
ページの途中には、ちゃんと押し花の栞も挟んで…………ん?
ストン
と、何かが床に落ちた。
拾ってみるとそれは、薄緑色をした、紙製カード。
そこに書かれていたのは、ひらがなの羅列だった。
「……?」
何だろう、これは……と思ったのも数秒。俺は、すぐに理解した。
『彼女』からのメッセージだ。
「あの、コレを届けてくれたのは誰ですか?」
即刻訊いてみたが、有力な情報は得られなかった。
気がついたら、カウンターに『幸村君の落とし物です』というメモと一緒に置いてあったという。
ちなみにそのメモ、見せてもらったが明らかに手書きの文字ではなくて、丸ゴシック体で印字されたものだった。
これでは、柳による筆跡鑑定も出来ない。
……まさか、こうくるとはね。やられたよ。
奇妙な脱力感に見舞われフウ……と息を吐きつつ、俺は鞄に詩集をしまい、診察室へと急いだ。
帰ったら、早急にコレの意味を調べないとね。
そう思って、俺は右手のカードにグッと力を入れた。
……あ、曲がった。
next,Akaya
君がため 春の野に出でて 若菜摘む
我が衣手に 雪は降りつつ
(光孝天皇)
…あなたの為に春の野に出て七草を摘んでいると、私の袖に早春の雪が降りかかってきます。
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