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私のとなりに

「そういえばさー、そろそろ先生たちの異動が決まる時期だよねー」

「あぁうん」


ある日、なんの変哲もない日。


「ね、みさきあの噂知ってる?」

「ん?」


******


「エェー!マルコ先生が異動!?」

「あれ?知らなかったの?」

「知らない!っていうかそんな話きいてないんですけど!?」

「ごめん、てっきり知ってるかと思って。みさきってばなんでもない顔してたからコイツ普通じゃねーよって思ってた」

「全然普通じゃねェェェッ」


なに、私のあずかり知らぬところでそんな噂が!?3日前にマルコ先生宅に伺った時、マルコ先生はいつも通り私の頭にヘッドロックかましてきましたけど〜?じゃあアレはなに?私が気にしたらマズイと思って先生なりに気を遣ってたってこと!?
いや、それにしては普通すぎた。でもマルコ先生って嘘とかすっげー上手につきそうだし…。


「わからんッ!」

「いきなりうるせーよ」

「あ、スンマセン…」

「ほんとにクソ以下の脳みそだね。まだ噂の段階じゃん」

「噂って言ったってさァ!あんな先生に噂が立つなんてよっぽどだよ!」「アンタ自分の彼氏を…」


今までマルコ先生の噂なんか日常生活の一割すらも出てなかったのに「あの噂」ってめっちゃ有名になってんじゃん!だれだ嘘ぶっこいてるやつはよォ!


「先生に直接聞いてみれば?」

「うん…」


でもさ、先生異動になるって本当なんですか?ってどんな顔して聞くんだよ〜。もしも「そうだよい」なんて言われてみろみさき!お前ごときがその試練に耐えられるのか?否!ヒィー!


「あ、みさき」

「ぎょわぁぁッ!」

「…なんだよい。ゴリラみてーな悲鳴あげやがって」

「アーッ!今の私の澄んだ心にその言葉はキツすぎる!」

「ハァ!?」


ほら、やっぱりいつもどおりだよ。これで本当に異動なんでしょうか…。


「あの、マルコ先生」

「ん?」

「その…」


いつになく歯切れの悪い私に違和感を覚えたのか、マルコ先生の顔はいつもよりも真剣だった。そうなんだ、マルコ先生ってめちゃくちゃなアピールをし続ける私をウザそうにしながらも相手にしてくれてたんだっけ。いつでも真剣なんだっけ。「どうした?」

「…」

「なんかあったのか?言ってみろい」

「あ…」


異動なんですか?
これだけなのに普段は饒舌でうるさい私の口はまったく動いてくれなかった。肝心な時に限って使い物にならない口なんてなんの意味があるのだろうか。
ずっと口を閉ざしたまま俯いた私の頭にポンとマルコ先生の大きな手が乗る。私の大好きな手だ。見上げると、少し困ったように笑う彼がいた。その笑顔にまた心がギュッと苦しくなる。もし本当に異動だったら、こんなふうに学校の片隅で、廊下でふざけ合い笑い合うこともなくなる。


「みさき」

「…はい」

「今日学校が終わったら裏の門の前に来い」


この言葉は「放課後に会おう」という私たちの合言葉だ。いつからか自然とそんな風に決まっていた。教室の移動の時に偶然会って、すれ違いざまに合言葉を囁かれて、それだけのことに有頂天になっていた。でも今この時はそれが悲しい。微かな可能性に翻弄される私。きっとマルコ先生は私がこんな不安を抱えているなんて知りもしないだろう。








「早く乗れよい。だれかにみつかる」


漆黒の車、マルコ先生のお気に入り。見た目からして値の高そうなソレは座り心地がとてもいい。以前にも誰かをこんなふうに迎えに来て乗せたりしたのだろうか。楽しく話なんかしたのだろうか。いつもの私からは到底思いつきもしないマイナスな憶測が頭の中を飛び交う。


「家でいいかい?」

「はい、マルコ先生と一緒ならどこでも…!」

「はは、やっぱりな。お前ならそう言うと思った」


それはそれだけ私のことを理解してくれているということ?
もしマルコ先生が私の知らない遠くの場所へ行ったら、そこでまた教師をして、他の誰かをこんなふうに好きになって、恋をしたりするの?



「ま、散らかってるけど」

「言っときますけど、全然散らかってませんからね!」

「おれのセリフにかぶせるなよい」

「もー、マルコ先生って潔癖症なんですか?私の部屋なんてジャングルですよ!」

「それは想像しなくてもわかる」

「え、それどういう意味…」


前に来た時から一週間も経っていないのに、かなり間があいてしまっている気がする。なんだか今の私たちみたい…っていうか私が勝手に不安になっているだけだけど。あの親友は私のことクソ以下の脳みそって言ってたし…。っていうかそれって友達に対して超ひどくね?


「で?」

「はい?」

「なにかおれに言いたいことでもあるんじゃねェのかい」

「…なんでそう思うんですか」

「ハァ?だってさっき廊下で何か言いかけてただじゃねェか」

「そうだった…!」

「お前は…、いつになったらゴリラから人間になれるんだ」


先生、私はもとから人間です。ってそうじゃない!いつもどおりすぎるマルコ先生に流されそうになってしまった。アー!先生お得意そのポーカーフェイスは私にはハードルが高すぎるよ…!事の真偽がまったくわからない…。
というかちょっと思ったんだけど、異動とかそういうのって学校側の機密事項だから彼女とはいえ教えてくれんの?相手はあのマルコ先生なんだけど?


「せ、先生…!」

「ンなでけー声出さなくても隣に座ってんだから聞こえてるよい」

「隣に座ってる…、イイ響き…!じゃない!あのですね、先生にお尋ねしたいことが、」

「あ?言ってみろい、どうせ“今日の夕飯なににするんだ”とかそんな内容だろい」


全ッ然違いますけどォ!?かすってもいないですから!私にとってはすごく重要なことなんだけどな…。どうせ、なんかじゃ片付かないのに。


「マルコ先生…い、異動するって噂が流れてるんですけど、本当ですか!?」

「ハァ!?」

ウワーッ!めっちゃ驚いてる!驚きまくってる!私が親友ちゃんから聞いたときと同じくらい驚いてますよ!


「お前そんなことどこから聞いた!?」

「ヒィ〜我が親友から聞いたんです!なんか結構みんな知ってるみたいで、でも私は知らなくて、」

「…ハァ」


マルコ先生が、ため息ついちゃった。すごく落胆してる気がするのは私だけ?


「せんせ…、」

「最悪だ」

「え」

「なんでそんな噂が流れたんだよい…」


え、まさか本当に異動なの?あの学校から、いなくなっちゃうの?
もうすれ違いざまに放課後に会う約束したり放課後にこっそり先生のお気に入りの車に乗ったり、準備室へ遊びに行くことも出来なくなっちゃうの…?
あの学校に入学してからずっとマルコ先生を追い掛けてきた。親友やエースにバカにされても、それでも好きだから諦めずに告白し続けてきた。マルコ先生も最初は本当に鬱陶しそうにしてたけど、でも最後は私を受け入れてくれた。好きって言ってくれた。その想い出の空間にマルコ先生はいなくなっちゃうの?私をおいて…?


「あのなーみさき、それは…」

「…ぐすっ、…ヒック、」

「…は?え、泣いて…、え、みさき!?」


いやだ、こんなの。泣きたくなんかない。こんなの私じゃない。私はいつでも笑ってて鬱陶しいくらいマルコ先生を追い掛けて。そんな私だからマルコ先生だって私を好きになってくれたんじゃないの?
でも、いつもいた場所に先生がいなくなるって考えるだけで心臓が苦しくて仕方ない。ズキズキと痛みだしたこれは私じゃあどうしようもないよ。


「オイ、みさき…」

「いやです…」

「は?」

「入学してからずっとマルコ先生だけみてきたのに、なのにそこからいなくなったら意味ないじゃないですか…!」

「……」

「準備室も職員室も、廊下も裏の門も、全部全部、マルコ先生がいたから楽しかったのに…」


私の青春はあの学校と、そこにマルコ先生がいたから成り立っていたのに。どちらかが欠けてもダメ。先生が私をおいて一足先に学校からいなくなってしまうことがどうしても耐えられない。
こんなこと聞かれてマルコ先生は困っているだろうけど、私も困っているのだ。言いたくないのに勝手に口が動いてとんでもないことばっかり言うし、涙も止まらない。零れる涙を拭うために擦った目元が痛いよ。


「いなくなっちゃやだ…」


こんなこと言ったってどうしようもないのにね。異動なんて上の決定事項だから先生個人の意見が通るものなんかじゃないだろうし。私の口は先生と付き合ってからひどくワガママになってしまったようだ。


「みさき…」

「…なんですか」

「その噂のことなんだがな、」


やだやだ聞きたくない。でも聞かなきゃ始まらない。矛盾し相反する想いが胸の中で混ざっていく。結果を聞くのが怖い。
先生がいなくなってしまうかもしれないという恐怖に俯いていると、視界の隅に先生の手が映り、昼間もしたように私の頭の上に優しく置かれた。


「みさき、その噂は真っ赤な嘘だ」
「…」

「だれがそんな噂を流したのか知らねェが今年異動していくのは別の先生だよい」

「…本当?」

「本当」

「嘘じゃない…?」

「嘘じゃない。その噂、たしかに流れてるな。実際おれの耳にも入ってきた。だがなァ…噂の対象はおれだしまさかそんなにいつまでも引きずるとは思ってなくてよい」


失敗だった、と頭を掻くマルコ先生の姿に心臓をギュッと掴んでいた何かがゆっくりと解放される。


「あーあ、こんなことならみさきには最初に言っておくべきだったかね」

「…でも、異動のこととかって厳重に口封じされてるんじゃ…」

「口封じって…。まァそうだが、みさきの場合は別だろい」

「べつ…?」


別っていうのは、つまり私はマルコ先生の彼女だから、ってこと?
だとしたら私、すっごい嬉しいかも…!


「ほ、本当に異動じゃないんですね!?」

「何度もそう言ってるだろい」

「よ、よかったァ〜!」

「まったくバカめ。あんな噂に躍らされてるんじゃねェよい」

「だって…!」

「いいか、みさき。おれはお前が卒業するまでは、絶対にあの学校から離れない。おれだってお前と同じだ」


マルコ先生はワタワタしている私を自分の胸に抱き寄せ、力強い声でそう言った。発せられた声からは迷いなどは微塵も感じられない。


「…でも…、校長先生とか教頭先生が決めたことなのに…?」

「そんなのいくらでも捻じ曲げてやる」

「うぅっ…うわぁぁん!先生好好き大好き〜!」

「あぁハイハイ。知ってる」


前にシャンクス先生が言ってた。マルコ先生は真剣になると標準語になるんだって。ね、マルコ先生、今自分で気がついてる?先生が話した言葉の最後にはいつものよいよいなんて全然ついてないんだよ。


「卒業式の日は一緒に写真撮りましょうね!」

「悪いがおれは写真は嫌いでね」

「だめです、撮ります。これ絶対!」

「強制かい」


卒業まではまだもう少し時間があるけど、最後のその日は二人、同じ場所で笑えていられたらいいね。それまではずっと一緒。



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